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zoom RSS 日本史の「言葉」07 勝てば官軍・死人に口なし

<<   作成日時 : 2012/10/10 07:45   >>

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それぞれ「勝った方が正義だ」、「死者は発言できない」という
ほどの意味になるのでしょうが、歴史には(それも古い時代ほど)
その傾向が強くあるという気がします。
そこで、今回その例として「蘇我氏」を取り上げてみました。

通説に従えば、「天皇」なる存在が誕生したのは、おそらく天武
か持統のころ(七世紀後半)ではないかと思われます。
大変に大まかな掴みですが、「天皇」が誕生した後の日本史は
この「天皇家」が「万世一系」をもって歴史に関わった風景、とも
言えなくはありません。

では、「天皇誕生」以前の歴史はどうなっているのでしょうか?
実はこれも「最後に勝ち残った天皇家」から見た歴史の説明に
なっています。 つまり、「勝てば官軍・死人に口なし」史観と言え
なくはないのです。

たとえば、日本史では蘇我氏による「崇峻天皇暗殺」(592年)事件
が起こったことになっています。
しかし、先のようにこの頃にはまだ「天皇」と称する人物は存在
していないわけですから、「暗殺」はあったとしても「天皇暗殺」と
いう表現にはならないハズです。
でも、一般的にはそうなっています。

もうひとつ、有名な「蘇我入鹿暗殺事件」(645年)もその通りで、
この事件は一般的には「大化の改新」とか「乙巳の変」とか
呼ばれており、事実それが定着して現在まで伝わっています。

でも、この時代はまだまだ各地に実力者が多数いる中での
「バトルロイヤル(権力闘争)」を繰り広げていた時期なのですから
「変」という表現自体も変と言えば変で、正しくは「乱」なのでは?
※ややこしい言い回しになったことはご容赦。

要するに、「崇峻天皇暗殺」も「蘇我入鹿暗殺」のどちらも、実は
勝ち残った「天皇家」側からの見方・表現になっていているわけ
ですから、その意味では、つまり「勝てば官軍・死人に口なし」
史観ということができます。

そこで、これを「最終的には勝ち残れなかった蘇我氏」の側から
見てみると、ひとあじ違った視野が広がろうというものです。
そもそも、この頃は「蘇我氏」も「天皇家」も、ともに実力者で
あった、という観点からすれば「ほぼ同格の立場」にいたことに
なります。

同格の立場だったら、「偉そうにミカドとかミコとかの言葉を使って
いる蘇我氏はまことにケシカラン!」という「天皇家の言い分」は
成り立たなくなります。
「勝ち残った」立場だからこそ、後からこんなイチャモンもつける
ことができた、というわけです。

「乙巳の変」もその通りで、暗殺直前に入鹿の剣を預かり丸腰に
しておいたことは、「天皇家」からすれば確かに「頭脳的な作戦」
だったでしょうが、しかし、これを「蘇我氏」から見れば・・・

〜選りに選って外交儀式の真っ最中にいきなり「丸腰の人間」に
襲いかかった〜という凶悪非道の行為であり、その上にかなり
卑怯臭くまったくもって不正義なものだ、と思えたハズです。

画像 しかし「死人に口なし」。
 その蘇我入鹿の抗議・クレーム
 の内容が歴史に残ることは
 ありませんでした。
 出展:wikipedia 乙巳の変
 もしもの話ですが、このとき
 入鹿が難を逃れその後の反撃
 に成功していたとしたら、この
時の実行犯のひとりである「中大兄皇子」なんぞは、おそらく
「つまらない名前」に変えられていたことでしょう。

というのは、天皇家が勝ち残ったからこその「中大兄皇子」なので
あって、蘇我氏が勝ち残っていたら当然こちらが「天皇家」になり
ますから、その上できちんと「○○皇子」後の「△△天皇」と名乗り
をあげたハズですから。

また、この時の卑怯臭い行動のリーダー「中大兄皇子」なんぞは
「天皇家」に刃を向けた極悪人とされ、その歴史書には思い切り
「悪口」を書かれたことでしょう。
ちょうど、「蘇我入鹿」が現在受けている評価・扱いと同じものに
なったことは間違いないところです。

でも、ここに挙げた「蘇我氏」だけに留まらず、おそらくはもっと
もっと多くの「勝てば官軍・死人に口なし」の事例があるものと
思われます。

特に、この「乙巳の変」の折に中大兄皇子に協力した中臣鎌足の
血統が「藤原氏」を襲名?した以降は、それこそ「藤原史観」とも
言うべきコンセプトでまとめられている印象がします。

それが証拠に、先の「乙巳の変」についても今に伝わっている
経緯自体が既に「藤原史観」によるものと断定できる内容に
なっています。
いわゆる「筆を曲げた」部分も少なくなかろうということです。
※その一例は〜日本史の「陰謀」03 賜姓のアリバイ〜にも書きました。

画像 日本の歴史の中で「死人に口あり」
 の唯一の例は「幽霊」の名セリフ、
 あの陰にこもった「うらめしや〜ァ」
 なのかもしれません。

 往年の「幽霊映画」の経験がない
 お若い方もあろうかと思いますの
 で念のために申し添えますが、
 あれは「まことに恨めしいゾ」との
 意思表示をしているのであって
 決して「裏通りのメシ屋さん」を
 ご案内しているのではありません
 ので、お間違いのなきよう。

 出展:wikipedia 皿屋敷

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