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zoom RSS 日本史の「忘れ物」04幕府の無届転居

<<   作成日時 : 2012/04/10 00:00   >>

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日本史の「時代の名称」は、基本的に政権の中枢を置いた場所、
言うならば「首都?地域」の地名から命名されているようで、
たとえば、飛鳥・奈良・平安・鎌倉・・・などもそのようです。
では、室町幕府の「室町」って一体どこにあるの?

卑怯にも、いきなり不意を突かれたから、ワタシも固まった!
それで、心に傷を負ったワタシは早速のこと、周りの人にも同じ
質問をしてみたのでした。 でも、まずは一安心。

〜武家政権なんだから、やっぱり関東じゃないのかな?〜
平均的にこの程度の五十歩百歩の回答が多く、「室町」の
知名度は意外にも高くない、という事実を確認できた次第です。

そのことでひとつ物知りになりましたが、なんと「室町」って京都に
あるんですってね。 〜武士政権なのに、なんで京(都)に?〜 
別に居直るつもりはありませんが、これは当然の疑問です。

武士の本拠地は関東のハズであり、その証拠に「鎌倉」も「江戸」
も関東です。 だったら、「室町」も歩調を合わせて関東にある
べきだ、と言いたくなる気持ちも分かって欲しいところです。

さて、その「室町時代」を複雑にしているのが、「南北朝時代」と
「戦国時代」の存在です。
両時代とも、基本的な「時代の名称=首都?の地名」のルール
から、やや外れているばかりでなく、実際には「室町時代」という
大きなくくりの中の一時期を指しています。

このルールを逆手に取って、だったら南北朝時代の「南北朝」って
朝鮮半島のこと? 戦国時代の「戦国」って戦国村のこと?と意地
の悪いツッコミをしたくなる気分ですが、ワタシも大人ですから、
そのような振舞いをすることなく素直に本題に入ります。

では、武士の本拠地は関東なのに、なぜ京都の「室町幕府」なの
でしょうか? 分かってみると至って単純な経緯なんですね。

なんのことはない。 実際には足利尊氏(室町幕府初代・将軍)
も、その前の武家政権に倣って当初は鎌倉に住み、そこに拠点を
置いたのですね。 ですから、そのまま何事もなければ、尊氏の
政権は「第二次鎌倉幕府」または「後鎌倉幕府」とでも呼ばれた
のかも知れません。


画像 出展:wikipedia室町幕府
 ただ、その後になって尊氏は
 京に舞い戻ることになります。
 南朝・後醍醐天皇との決着を
 付ける必要があったからで、
 つまり、これは尊氏政権と
 後醍醐政権の「王者決定戦」
 だったワケです。
言い換えれば、勝利するためには尊氏自身が前線に張り付く
必要があった、というワケです。

ところが、この「王者決定戦」は戦上手の尊氏の意に反して
「短期決戦」とはなりませんでした。 戦が長引くことは、すなわち
尊氏が京を離れることができない、ということでもあり、心ならずも
その政権機能を京に置かざるを得なくなってしまったワケです。 
まあ、尊氏の「将来計画」を後醍醐天皇が潰した形になります。

○そのような事情があったのなら、「京の幕府」であることは理解
  してやってもいいゾ。 だが一体、「室町」とはナンジャラホイ?
○鎌倉幕府や江戸幕府と同様に、それを「京幕府」と呼べば済む
  ことなのに、なんでわざわざ「室町幕府」と呼んだのですか?
当然、この手の疑問が出てくることになります。

そんな事態もあろうかと、先回りして調べました。
どうも、三代・義満がこの京の広小路室町に御殿を造営した後、
当時の人々は歴代将軍を「室町殿(むろまちどの)」と呼ぶように
なったことから、この「室町」の名称が定着したらしいのです。

※上の絵が「花の御所(室町殿)」

そうすると、「室町」は「鎌倉」や「江戸」のように丸々ひとつの
都市ではなく、都市の中の一地域を指していることになります。
道理で他より「知名度」が低いはずです。
こんな事情なら、「よく知られていない」ことの責任は国民の側に
ではなくて、むしろ「室町」の名称そのものにありそうです。

ところがこれでも、実はまだスッキリした説明にはなっていません。
○そういう事情なら、三代・義満以後の「室町」は了解してやろう。
  しかし、初代・二代は「室町」ではないことになってしまうゾ!
こんなツッコミをかましてくる人もあろうかと思います。

ちなみに、一般的な説明ではこうなっています。
<入京後の尊氏は二条高倉近辺に住居を構えた。幕府機能自体
は三条坊門万理小路にあったため「三条御所」と呼ばれた。>

ということで、これらすべての経緯を律儀に当てはめていくと、
第一期 「後鎌倉幕府?」(ごかまくら・ばくふ?) 
第二期 「三条幕府?」(さんじょう・ばくふ?)
第三期 「室町幕府」(むろまち・ばくふ) となって、この三つの
幕府の総称を、まとめて「室町幕府」と呼んでいることになります。

引越しの回数からしても、実に「腰の落ち着かない政権」ですが、
その上に政治状況においても、
三代・義満の頃までは「南北朝問題」に悩まされ、
六代・義教の「恐怖政治」や「暗殺事件」、
八代・義政は「職場放棄」の上に、「応仁の乱」を招き、さらに
これ以後は、実質的な「戦国時代」へ突っ込んでいきます。

さらに補足すれば、尊氏・直義兄弟には「協力と離反」があり、
南北朝も「三種の神器・争奪戦」で裏切り・謀略を繰り返し、
その後の「応仁の乱」の時代には、敵・見方がコロコロ入れ替わっ
たりもして、それぞれに何層もの複雑さが絡みあっているのです。

要するに、やたらとややこしい上に「ナンデモあり」の時代だった、
ということができそうなのです。

さて、ここまで整理しておけば不意にこんな発言が飛び出したと
しても、「固まる」思いをすることもなく胸を張っての受け答えが
できそうですゾ。 「室町幕府の室町って、一体どこに?」
エヘン!それはネ・・・カクカクシカジカ。

〜日本史の「忘れ物」03信長の平和事始〜
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庶民の暮らしぶり・・・歴史の中でも案外よく分かっていないのが、 ここのところだという話を耳にしたことがあります。 なるほど、そりゃあそうかも・・・みんながみんな朝日文左衛門の 真似をするわけにはいきませんものネ。 ...続きを見る
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