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zoom RSS 日本史の「女性」03呪詛と空前自害

<<   作成日時 : 2012/03/05 09:00   >>

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いきなり、「さんま」である。
もっとも、秋の味覚のサンマとか、司会者のサンマではない。
室町八代将軍・足利義政の時、この「三魔(さんま)」という
言葉が見られたそうだ。 文字通り「三人の悪魔」の意味だ。 

この三人とは「おい・あり・からす」のこととされ、その
「おいま」とは将軍・義政の乳母であり側室である「今参局
(いままいりのつぼね)
」を指す。

ちなみに、あとの「二魔」とは烏丸資任、有馬持家だとされて
いるようだ。
つまり、この三人は、義政の周辺にはびこる「奸臣」と
見なされて、思い切りの悪口を言われていることになる。

今参局の説明、「乳母兼側室」が少し分かりにくいが、義政
より十歳以上?年上の女性で、当初は乳母を、義政の
成長後は側室を務めた、ということになっている。
だから、義政にとって今参局は「大好きな女性」だった、と
思われる。

昔の「乳母」は、単に「乳の出る女性」というだけでなく、
「プロの養育士」という一面も持っていたから、乳子?・義政に
対する影響力は、現代人が想像する以上に大きい。

さらには側室までも兼任していることを考えれば、今参局の
発言力・権力が大きくなるのも当然なことである。
そんな折(1459年)、将軍・義政は正室・日野富子を迎えた。

富子には「正室」としてのプライドがある。 だが、今参局に
してみれば富子は「新参者」だ。 義政周辺の派閥抗争が
にわかに激しくなったとしても無理はない。


画像 出展:wikipedia百鬼夜行
 この当時の政治状況は
 不安定なものだった。
 なにせ、将軍・義政が
 政治に見向きもしない
 のだから無理もない。
どうせなら三魔でなく、将軍「義さ」を加えて四魔として
おきたかったくらいのモノだ。

折も折、正室・富子は子を生んだ。
ところが、この子がまもなく死んでしまうのである。
義政の母・日野重子が、「これは今参局の呪詛によるもの」、
まあ、早い話が「富子が生んだ子を今参局が呪い殺した!」と
騒ぎたてたわけだ。

複雑な人間関係なので、少し整理しておこう。
将軍・義政の正室・日野富子から見ると、将軍・義政の
母・日野重子は「大叔母」(富子のおじいちゃんの妹)に当たる。
母も妻も日野氏、義政は「日野氏」の大きな勢力に包まれて
いたことになる。 当然、今参局はそこには仲間入りできない。

義政の母・重子による「呪詛告発」により、義政は「母&正室」を
取るか、「乳母兼側室」を取るか、の決断を迫られたことになる。
結局、義政は「母&正室」を取った。 
義政にとってはメッチャ「怖い母親」だったのかも知れない。

今参局は、結局「有罪判決・流罪」を言い渡された。 
そんな「呪詛」ごときの迷信に基づいて「流罪」なんて、そんなの
むちゃくちゃだと思うのは現代人の感覚だ。

もっとも、20世紀にも、教祖が唱える「ハルマゲドン」をコロッと
信じ込んでいた一流大学出のインテリが多数いたことを思えば、
義政時代の人間と現代人との間に、さほどの差はないのかも
しれないが。

さて、その事件は、今参局が流罪地へ護送される途中に起きた。
なんと「刺客」が今参局を襲ったのである。
妻・富子が義政の心変わりを心配したために、母・重子が刺客を
差し向けた、とされている。

つまりは、妻・富子も母・重子も、義政の「優柔不断」な性格を
キッチリ見抜いていて「先手」を打った、ということだ。
ところが、この時の今参局の行動が凄かった!

覚悟を決めた今参局は、刺客の手にかかるくらいならと、自ら
懐刀を「腹」に突き立てて「切腹」して果てたのだ。
普通、女性の自害は喉を突くらしいが、そうしなかったのだから、
今参局も結構激しい気性の女性だったのかも知れない。

今のところ、この今参局が、日本で最初に「切腹」自害した女性
いうことになっている。
それにしても、この今参局といい、呪詛を申し立てた上に刺客を
送り込んだ富子・重子といい、なんという「激しさ」であろうか?

将軍・義政が政治に意欲を持てず「萎えてしまった」のは、この
家庭環境に原因があったのかもしれないゾ。
だとしたら、無責任将軍にも多少同情の余地はありそうだ。

※今参局は乳母であり、側室ではなかった、とする説もある。
※今参局の「切腹」は事実でない、とする説もある。

上記の「三魔」もそうだが、「三大○○」との言い方がある。
たとえば、「日本三大史跡」とは、平安京・大宰府・多賀城のこと
らしいし、「江戸三大改革」なら、享保・寛政・天保となる。

もっとも、「日本三大ハゲ山県」、愛知・滋賀・岡山は多分に失礼
である・・・と、愛知県人であるワシなぞは強く思う。

〜日本史の「女性」02お江の将軍構想〜
〜日本史の「女性」01禅尼の動機〜


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日本史の「言葉」08 女「さんがい」に家なし
この言葉を聞いて、「ははん、男尊女卑だった昔は女性が 三階に住むことが許されなかったんだなあ。」と理解したアナタ、 その考え方は間違いなく間違いですヨ。 「さんがい」とは「三階」ではなく実は「三界」の字を当てるのです。 ...続きを見る
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2012/12/25 10:31

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