ヤジ馬の日本史

アクセスカウンタ

zoom RSS 日本史の「パクリ」01天照と東照

<<   作成日時 : 2011/12/25 06:30   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 2 / コメント 0

自分より遥かに豊富な歴史知識を備えた人が目の前に
いたとしたら、アナタだってきっと羨ましいと思うだろう。
それと同様に、戦国の世で数多くの「お家滅亡」を見てきた
徳川家康にとって、一度も途切れることなく、百代を超えてなお
今も続いている「天皇家」は憧れの存在だった・・・ということだ。


画像
〜ヤジ馬の日本史〜  次回の→日本史の「パクリ」02二世と三代 

権勢を誇った信長が秀吉があっけなく滅ぶ姿を、家康自身は
間近かで見ているのである。 さて徳川家を、途中でコケることの
ないよう、天皇家と同じように子孫代々まで存続させるには、
一体どうすればいいものか? 
この頃の家康の状況を整理してみよう。
征夷大将軍に任じられた頃、家康は既に六十歳を超えていた。
しかも主家筋の豊臣家も、仮想敵国である大名諸藩もまだ
生き残ったままだ。 残された「時間」が少ない上に「先行き」も
まったく不透明という重いハンディがあったのである。

要するに、家康は何事もチャッチャッと急いで片付ける必要が
あった・・・ということである。
そのハンディの中で、家康が選択したのは「パクリ」だった。
何にせよ「パクる」ことは良くないヨ、などとノンキな正論も
あろうが、既に老境に入った家康に対して、少しくらい
同情してもバチは当たらないハズだ。
結論から言えば、家康は「憧れの天皇家」のシステムをそのまま
丸ごとパクったのである。

天皇家に備わる権威の源泉は「神の子孫」であるという点に
尽きる。だから、家康は自身が「神」になることを必要とした。
天皇家の「皇祖神・天照大神」に倣った「幕祖神?=東照大権現
(とうしょうだいごんげん)」がそれである。
「アマテラス」に対抗すべく「アズマテラス」と名乗ったことは、
天皇家を強く意識していた証拠と言えるだろう。

ナニッ!人間が神様に転職できるのか?などと、またノンキな
感想が飛び出すのかも知れないが、神田明神(平将門)も
天満天神(菅原道真)も豊国大明神(豊臣秀吉)も、元はと言えば
みんな人間であるゾ。
いやいや、豊国大明神だけは元・サルだろうというのは、
神様に対していささか不謹慎なツッコミである。

さて、アマテラスの子孫が代々「天皇」を継承してきたのと
同様に、家康が神になることでアズマテラスの子孫が代々
「征夷大将軍」を継承することの理論的な正当性は一応
築けたことになる。 しかし、これだけでは不十分なのだ。

なぜなら、家康の時代でも天皇家は既に百代を超えて
万世一系の維持し続けてきている。
この脅威的に強靭な「足腰」を持続する秘訣は、一体どこに
あるのか?

実は、家康はそのカラクリが「宮家」にあると見ていた。
天皇家・本家に天皇継承の面で不都合が発生した場面には
宮家(天皇家・分家)が機能することで、その危機を乗り越えて
きた経緯があったからだ。

そこで、天皇家・分家である宮家に対応するカタチで
将軍家・分家としての「御三家」を創立することにした。 
天皇家の磐石体制に負けないほどの強固な「将軍家の
万世一系」システムを作っておきたかったからに他ならない。

これより後の時代になるが、この「御三家」が上手く機能して
家康の目論見通りに「万世一系?」を維持できたことがある。
徳川本家に人材不足が生じた折に、御三家・紀州藩から
吉宗を迎え八代将軍に就かせた経緯がそれである。

ただ、神様が絡んでくると、現実世界と信仰世界の境目が
不明瞭になりやすくなるもので、たとえば三代将軍・家光の
お守りの中身には直筆?で「二世将軍」と書かれていた事実
などについては、現在でも解釈の分かれるところである。
このことについては、次回「二世将軍の謎」編に譲ろう。

それにしても、限られた時間内でこれだけのことを成し遂げた
家康は、やはり凄い人物である。
しかし、それを「パクリ」とやや品に欠けた表現にしたのは、
当方の落ち度かも知れないので、別の表現も摸索しておこう。
「天皇家のシステムをコピーした」・・・では似たようなものか?
だったら「天皇家から学んだ」なら、失礼にはならないのかナ。


採点をお願いします→ 5バツグン 4よろしい 3まあまあ 2イマイチ 1スカタン
               〜励みになります。ご協力ありがとうございました。〜

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(2件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
日本史の「パクリ」02ニ世と三代
さて、前回で家康による天皇家システムの「パクリ」に ついて書いた。 ただ、ここにひとつの謎がある。 〜なぜ、三代将軍・家光のお守りには「二世将軍」と書かれて いたのか〜という点である。 そんなもん、家光の計算ミスか 書き間違いに決まっている、の一言で片付けてはイケナイ。 ...続きを見る
ヤジ馬の日本史
2011/12/30 16:02
日本史の「パクリ」06 祝言から神前そして”空前”へ
その昔は「祝言(しゅうげん)」、ちょい前なら「結婚式」、 今風なら「ウェディング」?あるいは「ブライダル」? このように、夫婦誕生の儀式にも歴史的変遷があります。 ...続きを見る
ヤジ馬の日本史
2013/07/14 22:24

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
日本史の「パクリ」01天照と東照 ヤジ馬の日本史/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる