テーマ:淀殿

日本史の「デジャヴ」25 二度ある落城は三度ある

ヘソ曲がり系の方々に念のためにお断わりしておきますが、ここでいう 「落城」とは~城が空から降って落ちてくる~ことではなく、オーソドックスに ~敵に城を攻め落とされること~の意味で使っています。 ほとんど「非日常」の光景とも言ってもいいこの「落城」を、実は生涯に 三度も体験している女性がいます。 もちろんそれは現代人ではあり…
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日本史の「言葉」25 長い物には巻かれよ 戦国版

~勢力・権力のある者には逆らわないほうが身のためであるゾ~ こうした意味の助言・忠告の格言が、~長い物には巻かれよ~ なかなかに説得力のある言葉ですが、幸いなことに、長い歴史の中には、 この言葉を彷彿とさせる出来事を見つけることができます。 ここでは戦国乱世における一例を取り上げてみますが、この場合の 「勢力・権力のある者…
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日本史の「言葉」17 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる

豊臣家と徳川家の対峙は、このような経緯を辿りました。 ○1598年 「豊臣秀吉」(1537-1598年)の死去 ○1600年 「関が原の戦い」 名目は豊臣家の逆賊を成敗 ○1603年 「江戸幕府」を開く 初代将軍・徳川家康 ○1605年 「家康隠居(大御所に)」 息子・秀忠が「2代将軍」に ○1614年 「方広寺鐘銘事件」 徳…
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日本史の「もしも」02 秀吉の四人?の息子たち

天下人・豊臣秀吉(1537-1598年)の没後、豊臣家は秀吉唯一の 男子・秀頼を後継者に立て、徳川家の圧力に抗し続けたが、 「大阪の陣」(1615年)において結局滅亡に至った・・・史実は こうなっています。 ではもしも、秀吉が複数の男子に恵まれていたとしたら、 豊臣家の天下はどうなっていたのでしょうか? ということで、こ…
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日本史の「女性」13 正室は知っていた!

今回のタイトルにドキッとされた方もあるかも知れませんが、 ここでは“そのこと”に触れませんので、どうぞご安心ください。 ここでいう“正室”とは、豊臣秀吉の奥サマ・おね(北政所・高台院)の ことであり、その彼女に触れるからには、もちろん“側室“である 淀殿にも登場を願うことになります。 さて、豊臣秀吉(1537-1598…
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日本史の「陰謀」08 超裏ワザ・超極秘作戦

若い頃から数えて総勢347人との女性と関係を結んだA氏は ただの一人として子供には恵まれなかったのですが、53歳の折、 その時点での最愛の女性・B女(21歳)がひょっこり懐妊すると いう局面を迎えたのです。 ところが、誕生したその子・Cクンはわずか3歳で早世し、ガックリ 肩を落としたA氏でしたが、ドッコイその四年後にはこの…
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~淀殿の青写真~

その感覚は、今回の「女子サッカーW杯」の決勝戦をライブ中継で 見た人にはわかるものかも知れない。 延長戦に入ってからアメリカにゴールされてしまったその瞬間、 大多数の日本人が「万事休す、勝負あった、もうダメだ」と思った のではないだろうか? よもや、そこから跳ね返して、最後に逆転勝ちを納めるなどとは 想像もしなかったことだろ…
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