テーマ:士農工商

日本史の「忘れ物」29 身分に関する二三の用語

昔の人にとっては、至極“当たり前田の”常識だったのに、現代人にとっては イマイチ理解が及ばないというものも、実際には数多くあります。 人間社会の変化が歴史そのものであるという一面もありますから、ある意味では 止むを得ないことなのでしょうが、例えば「身分」なんて概念もそうしたものの 一つなのかもしれません。 明治以前つまり江…
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日本史の「アレンジ」22 ローカル風味の士農工商

孔子(前552?-前479年)に始まった「儒教」を新たな形で体系化・発展させた 「新儒教」ともいうべき思想は、その創始者の名を取って「朱子学」と呼ばれ ました。 中国南宋・朱熹(1130-1200年)、つまり「朱子」(朱先生)による 新学問ということです。 じつはこの思想は、日本にも割合早い時期に伝わっており、たとえば、 …
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日本史の「冗談?」19 建前揃えの軍事政権

~軍隊の力を背景に、軍人が政治権力を掌握して支配する政府の形態~ これが「軍事政権」に対する一般的な説明です。 もしそういうことなら「江戸幕府」(1603-1867年)という存在もまた その「軍事政権」に該当しそうです。 戦を勝ち抜くことで他の存在を屈服させ、その上に樹立された政権だから です。    大名行列 …
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日本史の「付録」12 頭のテッペンも朱子学

時代劇でよく見掛ける男性頭のテッペンの剃り上げた部分を「月代 (さかやき)」といいます。  もう少し丁寧な紹介をすれば、~成人した男子が冠または烏帽子の 下にあたる額ぎわの頭髪を半月形に剃った部分~   騎士(博物館) まあ現代人の感覚からすれば、幾分シュールな印象になる髪型であること は間違いありません。 だって…
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日本史の「信仰」15 儒教徒はメタボに憧れる

「儒教」あるいは「儒学者」という言葉は日本史の中にもよく登場しています。 では、その「儒教」って、いったいなんなの?  なんとなく分かっているようで、その実分かっていないのは、筆者とて その例外ではありません。 そこで、手っ取り早く一般的な説明の受け売りに走ると、 ~「儒教」は、(紀元前もかなり前の)孔子(前562-前479年…
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日本史の「アレンジ」19 科挙より素敵な選び方?

国家を安定させ長い繁栄を保つためには、特にその中枢を担うべき官僚に 優秀な多くの人材を必要とするものです。 このあたりを、うっかりスカタンな人間に任せようものなら、たちまちに国が 傾きかねないことはどの国にとっても一種の常識と言っていいのかも しれません。 ただ、その優秀な人材を選ぶ方法が問題です。 他人よりズバ抜けて背…
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日本史の「ツッパリ」23 触らぬカネにタタリなし

~江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ~ 本音であったかどうかは分かりませんが、こんなセリフを吐いて粋がっていた とするなら、江戸っ子の「お金」に対する感覚は、チマチマ貯金に励む 現代日本人とは少しばかり異なるものがあったと言えそうです。 (お金の)「使い方」が違えば、(お金の)「造り方」の方にも違いがありました。 ただし、この場…
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日本史の「信仰」10 朱子学生まれの銭嫌い

12世紀・南宋の儒学者・朱熹(1130-1200年)が興した「朱子学」の思想は、 いわば「新儒教」との位置づけがなされていますが、オリジナルの 「儒教(孔子)」に比べると、随分とヒステリックな一面を備えていました。 「商売をやるよりは学問をした方が好ましい」ほどの考え方だった 「儒教(孔子)」に対し、新儒教「朱子学」は士農工…
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日本史の「タブー」03 コメ将軍の”贅沢は敵だッ”

将軍本家ではなく御三家の一つ紀州藩の出身で第8代将軍に就いたのが 徳川吉宗(1684-1751年)で、後に「享保の改革」(1716-?年)と呼ばれた 幕政改革に乗り出しています。(将軍在任1716-1745年) そうした大仕事に敢えて取り組んだのも、本家出身でないことに幾分の 引け目があってのことだったかもしれません。 そ…
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日本史の「付録」02 世の中には二種類の人間がいる

随分と昔の映画の中にこんなセリフがあったことをヒョッコリ思い出しました。  正義の人VS悪漢の対決が見せ場という、お約束通りの展開の「西部劇」で、 その中で正義の人が悪漢に向かって吐いたこんな言葉です。 ~世の中には二種類の人間がいる。 (建物に)ドアから入るヤツと   (お前のように)窓から入るヤツだ~ この作品で初めて…
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日本史の「微妙」01 江戸民族?のお仕事ぶり

現代の「お仕事ぶり」はといえば、概ねのところ、「週休2日・40時間労働」が 一つの基準になっています。 もっともこれは建前であり、必ずしも遵守されているとは言い切れません。 過労死などの報道に接することも少なくないからです。 そんな中にあって、最近「週休3日制」を実践する企業も登場してきました。  しかし、こんな程度のこと…
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日本史の「災難」05 百姓って誰のことさ?

「士農工商」とは、元々は中国・儒教が生んだ概念であり、日本では 江戸時代の身分序列を表わしたものとされています。 ところが、その下にさらに付け加えた「士・農・工・商・穢多・非人」という 表現もあったようで、これが部落差別を連想させる不適切?な言葉と されました。 その共犯?と見做されたものか、現在では元々の「士農工商」までもが…
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日本史の「忘れ物」19 ”士農工商”って放送禁止?

昭和時代の学校では、こう教えていたような気がします。 ~「士農工商」とは身分を偉い順に並べた言葉である~ ところが、驚いたことに平成の現代では、これが ~すまん!誤解だったかもしれん~ということになって いるそうです。 ちょうど「老若男女」が「人間全体」を、また「春夏秋冬」が 「季節全体・一年全体」を示すのと同様に、この…
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日本史の「謎解き」16 ♪伸びた月代寂しく撫でて

昭和歌謡曲の名曲のひとつ「侍ニッポン」の中にこんな 言葉が見えます。 (作詞:西条八十/作曲:松平信博) ♪人を斬るのが 侍ならば ♪恋の未練が なぜ斬れぬ ♪伸びた月代 寂しく撫でて ♪新納鶴千代 にが笑い では、ここにある「月代」とはいったい何のこと? ~さかやき(月代)→日本の成人男性の髪形のひとつ。 頭髪を前額側…
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日本史の「謎解き」12 ピンハネ?は見ぬフリを

江戸幕府は、その期間に何度かの「改革」を試みていますが、 そこには、いつも「財政再建」という課題が伴っていました。 しかし、なんでまた「財政再建」が必要だったのか? そんなことは決まっておる、とにもかくにも「貧乏」だったからだ! それはそうでしょうが、でも普通に考えれば、その「貧乏」? 自体からして、なにかしら怪しい雰囲気…
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日本史の「陰謀」06 身分を買った人々

学校の授業では、江戸時代の民は「士農工商の身分制度」に よって、四つの身分に仕分けされていた・・・と習ったように記憶 していますが、ちょっと待った! 最近になって「旗本株を買う」という言葉を耳にしたゾ。 江戸時代の石高制というシステムは、どうも元々「武士階級が 貧乏になっていく」欠点・課題を抱えていたようですが、 それも…
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日本史の「謎解き」06 ”米”はどこへ消えた?

この「統計」?が正確なものか、もちろん議論もあるでしょうが、 江戸時代の米の生産量と人口には(幾分の凸凹はあるものの)、 概ね比例関係があるように見えます。 つまり、人口が2,000万人と推定される頃の米の生産量は 概ね2,000万石、2,500万人の頃なら2,500万石程度ということです。 もっとも、幕府への各藩の石高申…
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日本史の「言葉」03士農工商

一旦覚えたことって、案外抜けにくいモノですね。 私にとっては、「士農工商」がバッチリそれにハマっていました。 「士農工商」とは江戸幕府が作った身分制度で、民を四ツの 階級に分類したものである・・・と、その昔授業で習ったとおりに (心が素直だから)理解していたのです。  先生は確かこんなことも説明してくれたなア。  ~上か…
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