テーマ:島津久光

日本史の「付録」10 なにゆえ貴殿が国葬に?

幕末の推移が分かりにくいのは、たぶん劇的な事態急変と逆転が遠慮なく 登場することが原因の一つになっているのかもしれません。 たとえば、その幕末期に政局の安定と攘夷実行を目論んで、いわゆる 「公武合体」路線を強力に推し進めた孝明天皇(1831-1867年)が突然の 崩御に見舞われたことを受け、その後継に立った明治天皇は逆に開国・ …
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日本史の「もしも」01 それは生麦村で起きた!

現代なら、おそらくこのような経緯は辿らなかっただろうと 感じられるのが、幕末の1862年武蔵国生麦村(現:横浜市 鶴見区)で起きた、いわゆる「生麦事件」です。 この時400人ほどの行列を組み、江戸から京都へ向かっていた 薩摩藩主の父・島津久光の一行が「生麦村」に差し掛かった折に 乗馬した4人のイギリス人(男性3人女性1人)…
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