テーマ:赤穂事件

日本史の「女性」25 従一位なら噂も消せる?

こ江戸幕府創立者・徳川家康(1543-1616年)は幕府の公式学問として 朱子学を採用しました。 最高の徳目を「孝(親孝行)」とする朱子学は、家臣や諸藩に忠誠を 求める幕府にとっても非常に都合の良いものだったからです。 実際、「孝」の実践に熱心に励んだ将軍も誕生しています。 たとえば、第五代将軍・徳川綱吉(1646-170…
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日本史の「パクリ」13 義士と浪士の天秤ばかり

日本人が大好きなお芝居ということなら、赤穂事件をモデルにした「忠臣蔵」は 必ずその上位にランクインすることでしょう。 なにせ21世紀の現代になっても、 そうしたドラマが繰り返し放送されているのですから。 もっとも、お芝居の方が有名になりすぎてしまい、史実としての 「元禄赤穂事件」※の方はいささか影が薄い印象もありますが。 ※…
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日本史の「発明発見」17 情報新幹線の誕生と終焉

~殿中(江戸城内)において浅野長矩が吉良義央に刃傷に及ぶ~ いわゆる「元禄赤穂事件」(1701年)の発端となった出来事ですが、 この第一報は、当時の常識を打ち破る“驚異的なスピード”をもって、 国許の赤穂まで届けられました。 普通の旅行者なら17日程度 、飛脚なら8日をかけたといわれる江戸から 赤穂まで(約670km)の行…
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日本史の「誤算」03 急進派・安兵衛の目論見

「堀部武庸」(ほりべたけつね/1670-1703年)の名で、すぐさまピンと 来る人は少ないかもしれませんが、別の名乗りならかなりの 有名人と言えそうです。 チョンガー時代は「高田馬場の決闘」(1694年)の「中山安兵衛」 として、また所帯を持った後の「堀部安兵衛」の名は、赤穂事件・ 「吉良邸討ち入り」(1703年)浪士の一人と…
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日本史の「陰謀」16 事件は”長袴”から始まった!

裾の丈がメッチャ長くて、足も出せないまま後ろに引きずる 袴姿は、 たとえば、「忠臣蔵」ドラマの江戸城内「松の廊下」 シーンにも登場します。 これには、見た目通りの「長袴」という名が付いていますが、  ともかく足の出ない不思議なデザインですから、現代人が いささかの疑問を抱いたとしても不思議ではありません。 ~それにしても無駄…
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日本史の「謎解き」19 江戸版”速度”の単位 って?

日本史には、重さや長さなどを表わす色々な「単位」が登場し ますが、「速度(スピード)」に対する単位があったのでしょうか? 現代でいう「時速○km」といった類の単位です。 これに必要な「距離」と「時間」の単位は確かにありました。 距離については「里」でしょう。 では、その「里」とはどれほどの 距離なのか? ややこしい説明です…
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日本史の「逆転」12 またか!殿中刃傷事件

「殿中“刃傷”事件」と聞けば、真っ先にイメージするのが 芝居・ドラマ「忠臣蔵」のモデルにもなったことで有名な、 あの「元禄赤穂事件」でしょう。 ところが、実は同じような 事件はそれより以前にも起こっているのです。 この「赤穂事件」より十数年前も前のこと、若年寄・稲葉正休 (1640-1684年)が、大老・堀田正俊(1634…
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日本史の「逆転」05 切れない名君と斬る暗君

1701年、殿中において浅野内匠頭長矩(1667-1701年)が 高家・吉良上野介義央(1641-1703年)に突然斬りかかったと される「元禄赤穂事件」は、映画や芝居を通じて現代人にもよく 知られています。 ですが、この「赤穂事件」が「ビックリ仰天」「前代未聞」の 出来事だったかといえば、それはちょいとばかり違うようです。 …
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日本史の「謎解き」08 赤穂浪士のユニフォーム姿

時は1703年(元禄15年)、赤穂藩遺臣(赤穂浪士)が吉良屋敷に 討ち入った、いわゆる「赤穂事件」。 これをモデルにしたお芝居「忠臣蔵」は多大な人気を集め、 現在でもその状況は変わっていません。 さて、そこに登場する「赤穂浪士」のイメージは、まあ平均的に 下の絵のようなものではないでしょうか? すなわち、左襟部分には「身…
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