テーマ:天皇家

日本史の「例外」02 天皇家好きの将軍家親戚

~朝方(午前9時頃)、藩士15名を含めた総勢60名ほどの護衛を従え、   彦根藩邸を出た大老・井伊直弼(1815-1860年)は、江戸城の入口・   桜田門の前で暴漢集団に襲われ絶命(即死)に至った~ これが今から160年ほど前に起きた「桜田門外の変」(1860年)です。 その彦根藩邸から職場・江戸城の入口まで実は僅か五・六…
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日本史の「タブー」08 そして誰もが頓挫した

日本の歴史にはなんとも不思議な現象もあって、たとえば「天皇」の存在 などもそれに当てはまるかもしれません。 それ以前には別の呼び方をしていたのでしょうが、たぶん7世紀くらいには 自分たちの最高権力者に、現在と同じ「天皇」の呼称を用いていたと 思われます。 ただ、希望者なら誰もが、「天皇」になれるというわけではありません。 …
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日本史の「陰謀」24 家康の朝廷封じ込め作戦

戦国の世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、その権力機構 である「幕府」(1603年)を江戸に置きました。 そこでちょっと気になるのは、家康がその「江戸」という地名をそのまま 使い続けたという事実です。 平安時代末期の頃にはすでに「江戸」という地名はあったとされていますが、 これは「穢土」にも通じる響きがあっ…
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日本史の「世界標準」23 ハナから違うゾ皇帝・国王・天皇

たとえばキリスト教などの、いわゆる「一神教」における唯一絶対の存在を、 日本では「神」という呼び方をしています。 ところが、日本には「八百万神」という言葉があります。 つまり、国内のメッチャ大勢の存在も、国外のオンリーワンの存在も、同じ 「神」という名称で呼んでいることになります。 その概念はトコトン異質なものですから、ホ…
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日本史の「微妙」05 多重国籍?将軍の苦悩

艶福家として有名な?水戸藩主・徳川斉昭を父、またその正室である宮家 (有栖川)出身の吉子女王を母として、江戸・小石川の水戸藩邸で生まれた のが、江戸幕府最後の将軍となった第15代・徳川慶喜(1837-1913年)です。 ということは、慶喜の体には生まれながらにして「水戸藩()徳川家」と 「皇室(天皇家)」の両方の血が流れていたこ…
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日本史の「逆転」21 イトコ同士の真逆な信念

戦国の世の最終勝者となり、江戸幕府を開いた徳川家康(1543-1616年)の 子孫にはこんな人たちも混じっていました。 家康→  三男・秀忠→庶子・保科正之(1611-1673年) 家康→十一男・頼房→三男・徳川光圀(1628-1701年) ここでの保科正之の父“秀忠”と、徳川光圀の父“頼房”とは、24歳離れた 兄弟(共に家康…
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日本史の「アレンジ」16 悲運に遭遇!公武合体

「都市伝説」かもしれませんが、こんなお話が残されています。 ある時、舞踊家イサドラ・ダンカン※1(女性)が、作家バーナード・ ショー※2(男性)にこう言って結婚を申し込んだ。 ~貴男の頭脳と私の肉体を持った子供が生まれたら、   どんなにかすばらしい事でしょう~  ところがショーはこう答えて辞退した。 ~私の肉体と貴女の頭脳…
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日本史の「災難」02 ”面食い”は禍根を残す

「古事記」では「木花之佐久夜毘売」、「日本書紀」では 「木花開耶姫」、一般的には「木花咲耶姫」と表記する 「コノハナノサクヤヒメ(ビメ)」という名が神話に登場しています。 咲く花をイメージさせるまことに美しい名です。 この姫神が出会ったのが、「天孫降臨」で名を馳せたニニギノ ミコト・・・つまり、「天照大神」の孫に当たる方で…
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日本史の「ツッパリ」17 独創美意識?の幕引き

少々乱暴に言い切ってしまうなら、明治期の「文明開化」とは、 日本が従来使用していた「モノサシ」を西欧製の物に持ち替える 作業のことを指していたのかもしれません。 伝統ある「チョンマゲ」から愛想のない「ザンギリ頭」へ、「藩」から 「県」へ、「士農工商」から「四民平等」への転換など、この時期に 従来のハード・ソフトの多くを西欧…
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日本史の「パクリ」08 我が血統が治めるべき国

日本における「天皇」の正当性の拠りどころは、神話にある 「天壌無窮の神勅」(てんじょうむきゅうのしんちょく)、つまり天照 大神が孫のニニギノミコトに下した言葉にあるとされています。 その内容を口語に直せば、これくらいの感じでしょうか。 ~秋になると稲穂がたくさん稔るこの豊かな国は、私の子孫が   統治する地です。なんじ皇孫…
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日本史の「冗談?」12 朝廷公家の超貧乏競争

武家政権時代の朝廷・公家は、経済的にかなり苦しい状況に おかれていました。 天皇ご自身とて決してその例外ではなく、 中には立派な?「貧乏ぶり」でユニークなエピソードを残された 方も少なくありません。 ちょっと例を挙げればこんな具合です。 第103代・後土御門天皇 (1442-1500年/在位:1464-1500年) →費用…
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日本史の「デジャヴ」10 明治リベンジ成就編

新しい時代・文明開化・・・「明治維新」(1867年)を迎えた多くの 人々の心には、おそらくこうしたある種の高揚感があったこと でしょう。 しかし、それとはまったく別の感慨にふけった人たちもいました。 別の感慨?・・・それはタイトルにある通り「リベンジ(雪辱)」です。 では、「明治維新」の何が「リベンジ」なのか? よく指摘…
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日本史の「ツッパリ」12 筋を通せばクビが飛ぶ

現代では「身分意識」が希薄になっていることの上に、元々 その名称自体が堅苦しいことも重なって、江戸後期の事件? いわゆる「尊号一件(そんごういっけん)」が注目されることは あまりないようです。 そもそもこの事件?は、天皇が自分の父に尊号「上皇」を贈る よう、幕府に対して希望したことが始まりでした。 「上皇(太上天皇)」と…
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日本史の「世界標準」10 戦国の”超人願望”ブーム?

どんな時代にも「流行り廃り(はやりすたり)」はあるもので、 戦国の武将達にとっても多少流行ったものがありました。 いったいそれはなに? いいえ、「フラフープ」ではありません! それは、自身を神の生まれ変わりとする「神仏転生」?、 または、自身が神になる「即身成仏」ならぬ「即身成神」?もどき の考え方で、人間の域を超えること…
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日本史の「発明」02 万事が”もうやっこ”の国

仲良く「分け合う」ことを、尾張近辺では「もうやっこ」と表現 します。(より正確には、「・・・していました」かも?) そして、日本の歴史はこの「もうやっこ」の精神に満ち溢れて いることにも気がつきます。 そもそも、朝廷VS武士という二大勢力の構図も、 「権威=天皇(朝廷)」 「権力=将軍(武士)」という形での、 さらには武…
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日本史の「アレンジ」06 将軍家は親戚頭に過ぎぬ!

外国のものが日本人にうまく受け入れられようとするなら、 それなりの工夫が必要になることは言うまでもないことで、 たとえば、「本場・ピッツァ」(pizza)が「アレンジ」されて 「日本風・ピザ」に姿を変えているのもその一例でしょう。 今回取り上げたお二人に共通した「持ちネタ」は、外国(中国)の 思想である「儒教」(朱子学)で…
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日本史の「女性」11 忘れた頃の”女性天皇”

一時期、「女性天皇」が話題に上がったことがありましたが、 では、これまでの「女性天皇」についてなにかご存知ですか? なんとなく、古い時代には少し多目だったかな?程度の印象は あっても、あまりよく知らないと言うのが正直なところでしょう。 それで、調べてみました。 なるほど、確かに7~8世紀頃は「女帝ラッシュ」の傾向が あり…
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日本史の「陰謀」07 なぜ”征夷大(たい)将軍”?

「征夷大将軍」の大を(だい)ではなく、なぜ敢えて(たい)と 読むのでしょうか? 征夷(野蛮人をやっつける)がその本来の職務であるならば、 響きも強い(だい)の方が断然ふさわしい気がするのですが?・・・ 清水寺縁起  ~田村麻呂は蝦夷へ~ 朝廷社会で使う言葉、大納言・大臣・大嘗祭・…
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日本史の「パクリ」04 血筋をブランドに!

後援者 「長期低迷状態とお聞きしていますが、ホントに?」 蓮如様 「確かにイマイチ! と言うより人気サッパリ!かな。」 後援者 「では、思い切った”目玉商品“を企画しましょうヨ!」 蓮如様 「はて、そんな”目玉商品”なんかがあろうかいね?」 蓮如は教祖・親鸞上人の直系八代目の子孫に当たる真宗 の僧で、この頃の教団をリードし…
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日本史の「冗談?」02天皇のバイト生活

家臣 「さてさて、どのように取り計らいましょうぞ?」 殿様 「お贈り頂いた以上、ダンマリではチト気がひけるわナ」 家臣 「さりとて、こちらからお願いしたわけでもありませんが・・・」 殿様 「だから余計に微妙で・・・ホント!ワタシも困っちゃう・・・! 」 室町時代の末期にあたるこの頃(1520年代頃)、補足するなら、 「織田…
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日本史の「忘れ物」05やじろべえ国家

胴の先が細く、人の形をして、左右に伸びた手の先の重りで バランスをとる「やじろべえ」は日本の伝統的な玩具です。 このバランス、日本における「権威と権力」の関係によく似て いませんか? そう、日本は「やじろべえ日本」なのかも? 「権威と権力」を言い換えれば「カリスマとパワー」になります が、日本史の大きな特徴として、いつの時…
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日本史の「謎解き」04三種神器と象徴

天孫降臨の際に天照大神から授けられたとされる鏡・玉・剣の 三ツの宝物「三種の神器」については分かっていないことも多い ようですが、これもそのひとつでしょう。 ~それぞれはいったい何を「象徴」しているのか?~  写真出展:wikipedia三種の神器  まず「三種の神器」を整理しておきましょう。  ※それぞれにはいくつかの…
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日本史の「陰謀」03天下人の就職難

三成 「いきなり、良いアイデアを出せ、と言われましても・・・」 秀吉 「やっぱり、箔を付けておかんことには迫力に欠けるゾ」 天下を取った秀吉に一番欠けていたもの、それは「正当性」、 平たく言えば「有資格」だった。 つい最近まで下層出身者の 「出世ぶり」を売りにしてきたのだから、それがないのは当然だ。 この時代、強いだけでは…
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日本史の「ツッパリ」02崇徳の憤懣遺言

死ぬ前に自らの気持ちを強く固めていたのだから、これは 「遺言」と言ってもいいのではないか。 きわめてユニークな遺言?で、こう言い切った。 「頭へきた!実家なんぞ、このオレが没落させてやるゾ!」  イラスト出展:香川県立五色台少年自然センター 自然科学館  さて、この言葉の主、元天皇・崇徳がなんで  また実家・天皇家の没落…
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「諡号と皇后」謎の天皇

初代・神武天皇から第44代・元正天皇までの全天皇(弘文天皇と 文武天皇を除く)の諡号は、淡海三船が一括で付けたものと されている。 (※異説もある) では、どうして~弘文と文武~この二人の天皇だけは除外されて いるのだろうか? 不公平ではないか。 もったいぶった言い方になってしまったが、「弘文天皇」の方は 実は簡単に説明…
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