テーマ:戦国時代

日本史の「落胆」02 純正室町時代の数え方?

鎌倉時代から明治時代に至る間の時代区分は、それぞれの定義や解釈に よって微妙に異なる感じもありますが、筆者がたまたま目にした日本史年表 では、以下のように整理されていました。 ○鎌倉時代 →→ /1185-1333年 ○建武の新政 → /1333-1336年 ○室町時代 →→ /1336-1573年    ◇南北朝時代/13…
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日本史の「発明発見」22 誰がためにカネは生る

二兆円超とも言われる多額の借金に苦しんでいた日産自動車に乗り込むや、 瞬く間に経営立て直しを成功させたことで、一時期は時代の寵児として 注目を集めたカルロス・ゴーン氏でしたが、本年(2018年)になって、 所得隠隠蔽の疑惑が浮上し、つい最近のこと逮捕されるまでに至りました。 なんでも十億単位の報酬を得ていた上に、表に出さない…
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日本史の「デジャヴ」24 天魔王は不意を衝かれる

家臣・明智光秀(1528?-1582年)による主君・織田信長(1534-1582年)に 対する謀反「本能寺の変」(1582年)は、その後の政治状況を大きく 変えました。 もし、この事件で信長が命を落とすことなく健在であり続けたなら、一家臣に 過ぎなかった羽柴秀吉(豊臣/1537-1598年)がその後の天下を握ることも なか…
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日本史の「発明発見」19 エリートは風船?を背負う

「馬廻(うままわり)」とは、概ねこんな説明になっています。 ~武家の職制のひとつで、大将の馬の廻りに付き添って護衛・伝令・   決戦兵力として働くエリートであり親衛隊的な存在~ 武家の職制として確立されたのは、どうやら戦国時代も後半に差し掛かった 時期だったようです。 織田信長(1534-1582年)は、そうした馬廻衆など…
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日本史の「忘れ物」26 人口僅少時代に巻き戻す

「小人閑居して不善をなす」・・・小人物(つまらぬ人間)がヒマを持て余すと、 とかく悪事に走りやすい、という意味です。 ところが、確かに「小人物」に違いないけど、筆者の場合は「不善をなす」 どころか、そのヒマを逆利用して人口の変遷、少し堅苦しい言葉なら 「人口動態」、これに目を配ってみました。 褒めてやってください。 さて「…
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日本史の「誤算」07 我が死は三年間秘すべし

自領に迫った甲斐・武田信玄(1521-1573年)軍。 これを阻止すべく、 徳川家康(1543-1616年)が、屈強な自前の軍団「三河武士団」及び 織田信長(1534-1582年)軍との「連合軍」を率いて挑んだのが、 いわゆる「三方ヶ原の戦い」(1573年/現:静岡県浜松市)でした。 ところが、武田軍は圧倒的に強く、徳川織田「連…
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日本史の「パクリ」12 頭のテッペンに”愛”がある

工場作業や現場作業、はたまたオートバイに乗るときでさえ、現在は多くの 場合、”頭部”を守るヘルメットの着用が義務付けられています。 人体で最も大切で脆弱な部分が、その“頭部”に他ならないからです。 とは言うものの、丈夫さを優先させるあまり、それがデカすぎたり重すぎたり したのでは、本来の作業や動作に支障をきたすことにもなります。…
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日本史の「災難」07 トレンドは出世から平和へ

平和をドップリ享受している現代人からすれば幾分首を傾げたくもなる風潮 ですが、戦国乱世の時代には国民の中にも「戦争」が無くならないことを 期待する気分が濃厚にありました。  ~なんでまた、そんな「命懸け」の事態を望むのか?~ 理由は単純。  実は絶好のサンプル?が目の前に存在していたからにほかなりません。 その「絶好のサン…
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日本史の「女性」22 手抜かり!戦国人質作戦

官僚的能力には抜きん出たものを持ちながら、武勇面では イマイチの評価だったのが、豊臣秀吉(1537-1598年)の腹心・ 石田三成(1560-1600年)です。 それを案じたものか、秀吉は「忍城」※の攻略(1590年)をこの 三成に命じました。 最も落としやすい城と睨んだからです。 ※忍城(おしじょう)/戦国時代の関東七名城の…
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日本史の「トホホ」21 のっぺらぼう?室町と尊氏

~「室町時代」と「鎌倉時代」では、どっちが先でどっちが後   だったのか、とんと自信が持てないオジサン~ 昔の小説に登場していたこんな歴史オンチ?の人物を今でも 思い出すのは、当時の自分も同じ境遇にあって、深い共感を 覚えたせいなのかもしれません。  もっとも、現在でもさほどの進歩はないのですが。 さて、その「室町時代」…
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日本史の「逆転」19 金と銀に見る三英傑の遺伝子?

金貨と銀貨/金メダルと銀メダル/金婚式と銀婚式、これらを 比べてみると、いずれの場合も「金」の方が「銀」より立派、 あるいは格上というイメージになっています。 では「金庫」と「銀行」、この場合はどうだ? その実態や法律的な定義はよく知りませんが、個人的には、 扱う資金も営業エリアも「(信用)金庫」より「銀行」の方が 大規…
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日本史の「デジャヴ」17 戦国繚乱!養子の系譜

なんだかんだと言っても、あるいは言わなくても、 戦国時代の人物関係には大層複雑なものがあります。 たとえば以下の内容がその通りで、この説明を分かりやすいと 思える人はよほどの奇人変人?でしょう。 ~ええかよく聞け、話は戦国時代だ。 毛利元就※1の実子が   次男・吉川元春※2と三男・小早川隆景※3なのだゾ。    そして…
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日本史の「忘れ物」23 戦国”戦死者”の弔い作法

戦国時代(室町時代末期)は、文字通り全国各地で活発に “戦(いくさ)”が展開された時代です。 しかし“戦”の頻発は、言い替えればそこで命を落とす、つまり 大勢の”戦死者”を生み出すということでもあるわけです。 ドラマなどでは、華々しい合戦場面やその直後の戦死兵や 倒れた馬の姿が映されることはあっても、そのさらに後のまさに …
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日本史の「列伝」08 戦さに散った戦国一家

尾張国出身の戦国武将・森可成(もり・よしなり/1523-1570年/ 享年48)には、以下の順に六人の息子がいました。 長男・可隆 ( よしたか/1552-1570年) 享年19 次男・長可 ( ながよし/1558-1584年) 享年27 三男・成利 ( なりとし/1565-1582年) 享年18 ※蘭丸(信長小姓) 四男・…
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日本史の「謎解き」21 ピケティ風?の戦国経済論

とんでもなく固くて難しい内容という噂?があった、フランスの 経済学者トマ・ピケティ著の「21世紀の資本」が出版されるや、 世界ではすでに100万部超え、日本でもたちまち10万部以上が 売れたそうですから、これが驚かずにおられましょうか・・・ おられません! (日本版発売 2014年12月08日) ちなみに日本版は「A5判/…
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日本史の「列伝」01 父チャンを超えたい症候群

親があまりに偉大、言葉を変えればスーパースター的存在で ある場合、その子供は結構難儀な立場に置かれるものです。 ~周りの連中はいつも親父と俺を「見比べ」ている~ こうした 雰囲気はなんとなく本人(子)にも伝わってくるから鬱陶しい。 たとえ本人に「親とは器が違う」という自覚、ある種の諦観が あったにせよ、周りの「視線」はそれ…
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日本史の「陰謀」13 毒殺未遂?政宗の真実

~自分を殺そうとした相手を許す~ こんなことはよほど温厚な 人でも、到底・生涯・金輪際できることではありません。 それは、「殺し殺され」が普通に行われていた戦国の世でも 変わりのないことでしょう。 ところが、伊達政宗(1567-1636年)はそんな相手を許しています。 なんでか? お話は少々混み入りますが、こんな経緯でした。 …
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日本史の「もしも」03 戦国乱世に第二のピサロ

数千年の歴史を持つアンデス文明を継承したインカ帝国 でしたが、キリスト教圏・スペインの侵略によりあっけなく 滅んでいます。(1533年) フランシスコ・ピサロ(1470頃-1541年) 率いる、当初わずか180人の兵隊と40頭足らずの馬による 軍事行動がその発端でした。 そこで「もしも」ですが、この日本が同じ頃同様な「侵略…
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日本史の「怪人」06 戦国の起き上がり小法師

「戦国時代」はいつ始まったのか? そのひとつにはこんな 見方もあるようです。 ~そりゃあ、やっぱり室町六代将軍・ 足利義教(1394-1441年)の首が落ちた瞬間からだろうゼ~ この見解に従えば、この義教将軍暗殺(嘉吉の乱1441年)の 実行犯・赤松光祐(1381-1441年)こそが「下克上・戦国」の世の 幕を切って落とし…
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日本史の「謎解き」14 攘夷論は”科学”なんですッ!

世界中の国と付き合うことを当たり前と受け止めている 現代日本人からすると、幕末期に吹き荒れた「攘夷論」、つまり ~外国人は追っ払ってしまえ~という思想は、どうしても “幼稚な考え“に見えてしまいます。 その”攘夷”のココロを大胆乱暴に簡略化するなら、こんなところ でしょうか。~わが国(日本)は神国であり、清らかな存在である…
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日本史の「逆転」04 武士の正座と胡坐

いまさらの感がありますが、TV時代劇を観ていて、戦国時代と 江戸時代の武士の座り方に違いがあることに気がつきました。 もっともソファーに腰を下ろすシーンはあまり見かけませんので、 つまりは正座(せいざ)と胡坐(あぐら)のことを言っています。 「正座」というからには、これが日本人のその昔からの作法で あり、「由緒正しい」座り…
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日本史の「ツッパリ」09 ♪地球の上に朝が来る・・・

♪地球の上に朝が来る/その裏側は夜だろう/ 西の国ならヨーロッパ/東の国は東洋の・・・♪ ※「地球の上に朝が来る」作詞作曲:川田義雄(後:晴久に改名) 日本人が作ったものとしては珍しくスケールの大きな歌曲ですが この歌詞にあるように、西の国のヨーロッパという政治勢力を 東の国の東洋(日本)が意識せざるを得ない状況が、 既…
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日本史の「ツッパリ」08 釜かぶり今昔物語

これは割合に有名なエピソードですが、信長は家康に その「本人」を前にして、普段通りのストレートな言葉で、 このように紹介したとされています。 しかし、それは同時に濃厚な尾張弁だったことも想像されます。 ~ええきゃー家康ドノ。このジイ様が松永弾正だでぇ。 主家に背いたばっかでにゃーで、将軍も殺したしよぅ、そんで その上に大…
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日本史の「パクリ」03 ヘソクリ妻とチャッカリ夫

ヘソクリ妻で有名な「お千代」さん(島倉千代子ではない)と、 そのチャッカリ夫「山内一豊」、この夫妻、実は司馬遼太郎の 小説「功名が辻」で主人公として取り上げられており、現代人に とってはかなり「有名人」?と言えるのかも知れません。 妻の名「千代」は「まつ」を正しいとする説もありますが、前出の 「功名が辻」で「千代」とされて…
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