テーマ:西郷隆盛

日本史の「女性」24 無血開城はなぜできた

もし、明治新政府側が聞く耳持たぬという強硬姿勢を崩さなかったら、あるいは 幕府側があくまでも抵抗の意思を示し続けたとしたら、「江戸開城」(1868年)は 史実のようには運ばなかったのかもしれません。 実のところ、この「開城」から3ケ月ほど前の「鳥羽・伏見の戦い」に敗れた 旧幕府軍に対し、政府軍(官軍)は徳川家の所領を剥奪だけ…
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日本史の「列伝」09 海舟の♪浪花節だよ人生は

維新直前の1858年のこと、演習航海を兼ねた長崎海軍伝習所 の練習艦・咸臨丸は、幕臣・勝海舟や練習生たちを乗せ、 薩摩の山川港へ入りました。 そしてこの時、薩摩藩主・島津斉彬(1809-1858年)が自ら 咸臨丸を訪ねたことが、幕臣・勝海舟(1823-1899年)との最初の 出会いになりました。 「黒船来航」(185…
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日本史の「迷宮入り」12 西郷どん20年目の閃光

「維新三傑」の一人・西郷隆盛(1828-1877年)、いわゆる西郷どんは 「ギョロ目」や「ずんぐりむっくり体型」など、外見的にも愛嬌のある 特徴を備えた人物でした。 もっとも、生まれつきの「ギョロ目」に対し、「肥満体型」?の方は 30歳頃からのことだったようで、これも後年(1873年頃/46才頃?) には、医師の指導でダイ…
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日本史の「デジャヴ」09 怪しき肖像画は続く

たとえば、聖徳太子・源頼朝・足利尊氏・武田信玄・西郷隆盛など ・・・こうした歴史上の人物の「風貌」を、おそらく多くの人は 下のような肖像画でイメージするのではないでしょうか? ところが、これらが「本当に本人の肖像か?」と突っ込まれると、 情けないことに、実は全部が全部 “怪しい” のだそうです。 そんなァ!・・・こちらには…
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日本史の「迷宮入り」08 西郷どんの唯一の写真?

明治維新の三傑に数えられる西郷隆盛どんには、実は ご本人の写真が一枚もありません。 このことは西郷どん自ら 明治天皇にも告白?していますから事実だと思われます。 西郷どんと同様に維新で活躍した坂本竜馬・勝海舟・大久保 利通などは写真を残しているのに、なぜか、西郷どんだけには その「写真」がない?・・・のです。 一般に…
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