テーマ:明治維新

日本史の「落胆」05 主君の悪口は言えない

いわゆる幕末維新(1853-1869年)の折に、最も過激な思想・行動を示した のが外様大名・毛利家を藩主とする「長州藩」でした。 戦国時代に国人領主から戦国大名への脱皮を一代で成し遂げ、中国地方の 覇者となった毛利元就(1497-1571年)が同藩の始祖とされ、 その子孫が代々の藩主を受け継いできた御家です。 現にこの幕末…
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日本史の「付録」10 なにゆえ貴殿が国葬に?

幕末の推移が分かりにくいのは、たぶん劇的な事態急変と逆転が遠慮なく 登場することが原因の一つになっているのかもしれません。 たとえば、その幕末期に政局の安定と攘夷実行を目論んで、いわゆる 「公武合体」路線を強力に推し進めた孝明天皇(1831-1867年)が突然の 崩御に見舞われたことを受け、その後継に立った明治天皇は逆に開国・ …
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日本史の「タブー」08 そして誰もが頓挫した

日本の歴史にはなんとも不思議な現象もあって、たとえば「天皇」の存在 などもそれに当てはまるかもしれません。 それ以前には別の呼び方をしていたのでしょうが、たぶん7世紀くらいには 自分たちの最高権力者に、現在と同じ「天皇」の呼称を用いていたと 思われます。 ただ、希望者なら誰もが、「天皇」になれるというわけではありません。 …
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日本史の「デジャヴ」25 二度ある落城は三度ある

ヘソ曲がり系の方々に念のためにお断わりしておきますが、ここでいう 「落城」とは~城が空から降って落ちてくる~ことではなく、オーソドックスに ~敵に城を攻め落とされること~の意味で使っています。 ほとんど「非日常」の光景とも言ってもいいこの「落城」を、実は生涯に 三度も体験している女性がいます。 もちろんそれは現代人ではあり…
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日本史の「アレンジ」18 拙者の名前も御維新いたす

実際には、この他にもその該当者?は大勢いますが、幕末維新の頃に 大いなる活動を見せた人物の中からピックアップしたこの四人の 「共通点」に気が付きますか? ○長州藩士・村田 蔵六 (むらた・ぞうろく   /1824-1869年) ○福井藩士・三岡 八郎 (みつおか・はちろう /1829-1909年) ○長州藩士・桂 小五郎 (か…
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日本史の「冗談?」16 豪胆衝動買いに栄光あれ!

幕末に活躍した人物の一部については、その評価が分かれることもあります。 その行動を肯定的に捉えれば、間違いなく一種の「先駆者/功労者」という 評価になるものの、一面ではちょっとばかり首を傾げたくもなる行動も併せて 取っているということで、たとえば、幕末尊王攘夷の志士として一般的には 高い評価を得ている長州・高杉晋作(1839-1…
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日本史の「列伝」16 証文通りで何かご不審が?

現代社会で暮らすほとんどの人間には、社会通念として「公と私」という 観念上の境界線が存在しています。 ~「公」とは社会生活における自分(公人として)の立場であり、「私」とは   自分(私人として)のプライベートな生活~  ごく大雑把に捉えるならこんなところでしょうか。 この観念上の境界線を軽視・無視すると「公私混同」という…
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日本史の「謎解き」27 生身の神は意思を持つ

21世紀に入ってから、いわゆる「イスラム国(IS)」による活発な?行動をよく 耳にするようになりました。 いわゆる「テロ」行為です。 ところが現代日本人には、その「イスラム教」に平均的に縁が薄いことも あって、その宗教的・政治的な背景までには充分な理解が及んでいません。 概ねこんな程度の大雑把な理解が精一杯なところでしょう。 …
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日本史の「事始め」15 日本の国旗はどう決めたの?

白地の中央に太陽(日章)の赤丸をあしらった日章旗(日の丸)を、いつ 日本国の国旗と決めたの? 突然にこんな素朴な疑問をぶつけられたら、 多分即答できない人の方が多数派だと思われます。 仮に、「日の丸弁当」※のことなら多少の講釈はできるゾと、胸を張る 年配者がいたとしても、本家?国旗「日の丸」のケースともなれば、おそらく そ…
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日本史の「陰謀」22 歴史は勝者が作る・・・もの?

~歴史は勝者が作る~という言葉があります。 新たに支配者となった「勝者」が、自らを正義とした主張に沿って次の時代の 社会秩序が構築されていくことを思えば、確かに説得力のある言葉です。 たとえば、奈良時代に成立した日本最古の正史とされる「日本書紀」(720年) がいい例で、ここにある内容も最終的な勝者となった天武天皇(631?…
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日本史の「もしも」10 ビビった家康”薩摩”を安堵

薩摩国島津氏の「当主」?※島津義弘(1535-1619年)は屈指の猛将として 「鬼島津」の異名でも聞こえた人物で、殊に「関ヶ原の戦い」(1600年)で示した 度肝を抜く行動は敵味方双方の語り草になったほどです。 ※異説もあり 本番?「関ヶ原」本戦の前哨戦ともいうべき戦いに備えて、伏見城に籠城する (東軍)徳川方・鳥居元忠(1…
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日本史の「災難」06 ”先取り維新”は悔し涙から

いわゆる「黒船来航」(1853年)より半世紀ほど前のこと、鎖国体制にあった 日本の長崎港にイギリス軍艦が突如侵入するという事件がありました。 その軍艦の名から「フェートン号事件」(1808年)と呼ばれています。 イギリス艦のくせに、「オランダ国旗」を掲げて入港するや、乱暴なことに、 出迎えたオランダ商館員を人質に取り、水や食…
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日本史の「冗談?」15 新政府は”借金清算”事業団?

現代なら莫大な借金を抱えて返済不能に陥った場合、普通は会社は「倒産」、 個人は「自己破産」に至ることで、一応の決着はつくものです。 では、これが江戸期の「藩」の場合だったらいったいどうなるものなのか? 実際、幕末期においてはそれこそ「莫大な借金」を抱え込んでいた諸藩も 少なくなく、俗にいう「薩摩藩77万石」もその仲間でした。…
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日本史の「陰謀」21 歴史用語はブランド志向?

多数の人物、あるいは出来事の中から、傑出した三人(三つ)を選んで、 「三○○」とか「三大××」との名称を付けて呼ぶことはさほど珍しいこと でもありません。 たとえば人物なら、「三英傑」※1や「維新の三傑」※2が そうですし、出来事なら「江戸幕府の三大改革」※3もその法則?に バッチリ当てはまっています。 ※1 織田信長・豊臣秀…
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日本史の「列伝」15 できるの?藩主の脱藩

その藩の籍から離れ、主従関係を解消する「脱藩」・・・この経験を持つ人物は 幕末に限っただけでも、すぐさま何人かの名を挙げることができます。 たとえば、長州藩士・吉田松陰(1830-1859年)は、我が目で東北の状況を 確かめるべく旅行を計画したものの、藩の許可発行が遅れたため、しびれを 切らして出発・・・これで脱藩。 また…
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日本史の「発明発見」16 地球一周!と徳川埋蔵金?

江戸幕府がまだ健在だった頃、すでに「地球一周」を成し遂げた 77人の侍たちがいました。 日米修好通商条約批准のために 米軍艦・ポーハタン号で、アメリカに派遣された「万延元年遣米 使節団」(1860年)の一行がそれです。 とはいうものの、現在ではこの時のポーハタン本隊の行動よりも その折に護衛の名目で派遣された「咸臨丸」の方…
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日本史の「言葉」23 恐ろしいものを二人見た

明治時代に入ってからのこと、元幕臣・勝海舟(1823-1899年)が こんな回想をしています。  ~おれは今までに天下で恐ろしいものを二人見た。    それは横井小楠と西郷南洲とだ~ この場合の「恐ろしい」 とは、「夜叉面もどきの怖い面構え」という意味ではなくて、多分 人物の「桁外れの大きさ」を言ったものだと思われます。 …
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日本史の「誤算」04 武士団スフィンクスに立つ

あまり有名な出来事ではない(筆者の無知?)かもしれませんが、 1864年のこと、備中国(現:岡山県)井原領主・池田長発 (ながおき/当時28歳/1837-1879年)をリーダーとした34名からなる 「遣欧使節団」が幕末の日本を離れ、遠くフランスへ渡航した 事実があります。  これより2年ほど前の「文久遣欧使節」を第1回とするな…
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日本史の「災難」04 複雑系?四兄弟の幕末維新

いわゆる「幕末維新」のお話ですが、やや複雑系?の内容に なりますので、体調もしくは頭調が優れない方にはお奨め いたしておりません。 その点、悪しからずご了承ください。 さてその頃、現在の岐阜県海津市に当たる地域に「美濃国・ 高須藩」という3万石ほどの小さな藩がありました。 その藩主・松平義建(よしたつ/1800-1862年…
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日本史の「災難」03 ゆるネーム?”蛤御門の変”

幕末期、それまで共に御所の護衛に当たっていた長州藩は、 同僚?の会津藩・薩摩藩から、突如として締め出しを食らい、 京から追放される立場になりました。 いわゆる「八月十八日の政変」(文久3年/1863年)です。 仲間の裏切り?にあった長州藩は当然巻き返しを図り、これが 翌年の「禁門の変」(1864年)と呼ばれる軍事行動でした…
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日本史の「デジャヴ」18 幕末”御預浪士”の正義

名刺からはみ出してしまいそうな、この長ったらしい名乗りが 「新選(撰)組」の正式な名称です。  ~京都守護職/会津藩松平肥後守容保※中将/御預浪士/   新選(撰)組~ (前身は壬生浪士組) ※松平容保(1836-1893年) 幕臣(旗本・御家人)で構成された正規(公的)の組織である 「京都見廻組」とは異なり、こちらは浪士…
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日本史の「事始め」10 明治超高層の紆余曲折

中ほどの各階には物品販売店が並び、上階は展望室という 間取りで、浅草公園に建築(1890年/明治23年)された当時日本一 の高さを誇る建物(高さ52M/12階建)は、「雲を凌ぐほど高い」と いう形容から「凌雲閣」(りょううんかく)と命名され、別に分かり やすい「浅草十二階」の愛称でも親しまれました。  ※八角形の建物で10階ま…
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日本史の「言葉」21 幕末志士の日本史読本

歴史書は大きく「正史」と「外史」に分類されます。 この言葉を素直に受け止めるなら、「正史」とは「正しい歴史」を 意味し、これとは別に「外史」という言葉があるのなら、こちらの 方は「正しい歴史」以外の、まあ「歴史エピソード」ほどのものか と解釈したくなるところです。 ところが、実際にはこんな定義になっています。 正史~国家…
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日本史の「発明発見」12 シュリーマンが見た”幕末”

ドイツ人考古学者ハインリヒ・シュリーマン(1822-1890年)は、 ギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイア※が実在したことを 実際の発掘によって証明(1871年)したことで有名な人物です。 ※伝説?「トロイの木馬」で有名な紀元前13世紀頃?の都市。 ただ、発見自体は確かに”偉業”に違いないのですが、自身は 発掘の専門家…
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日本史の「怪人」12 なにか妖怪九日十日

~こんな良いところもあったが、この点は短所だった~ その人物の評価は、このように長所短所、あるいは功罪を 併せて語られることが普通です。 ところが、~こんな悪いところもあったが、この点も短所だった~ こんな口調で語られる人物も、歴史の中には少数ながら存在 しています。 そういう人物の一人として、幕末から明治に生きた「鳥居…
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日本史の「列伝」06 通訳官サトウの東奔西走

日本名を「佐藤(薩道)愛之助」と名乗り、英国名はそれをもじった 「アーネスト・サトウ」・・・いかん、話はまったく逆で、本名が 「アーネスト・サトウ」(Ernest Mason Satow/1843-1929年)で、 それをもじった?日本名の方が「佐藤(薩道)愛之助」でした。 幕末期の1862年、駐日公使館付通訳生として横浜に…
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日本史の「怪人」11 即身夜叉?晩年の壮絶!

生身のままで仏に成ることを「即身成仏」と言うなら、逆に 「即身夜叉」?という言葉があってもいいのでは? ちなみに、ここでは「メッチャ怖い面貌」を「夜叉」と表現して いますが、例えば20世紀アメリカの大富豪ハワード・ヒューズ (1905-1976年)の晩年の姿なぞは、まさにそのイメージに重なる 印象です。 ヒューズは精神面…
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日本史の「デジャヴ」13 ”分離独立”あちこち事情

昨年(2014年9月)のこと、“スコットランド”は、イギリスからの 「分離独立」の是非を問う「住民投票」を行いました。  間違えやすい?のですが、実施したのはイギリスに対し それなりの不満を抱いていた”スコットランド”であって、決して “ディズニーランド”ではありません。 要するに、”中央政府”に縛られた現在の状況にいるよ…
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日本史の「言葉」16 自作自演はなぜ”狂言”?

デッチあげ・自作自演の強盗事件を「狂言強盗」と表現すること があります。 しかしよく考えてみると、この言い方は伝統芸能 である本物の「狂言」に対し大変に失礼な気もするのです。 ところが、このことで本家「狂言」側からクレームが付いたという 話も耳にしません。 ということなら、それなりに“合理的”な表現になっているとも 考え…
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日本史の「謎解き」14 攘夷論は”科学”なんですッ!

世界中の国と付き合うことを当たり前と受け止めている 現代日本人からすると、幕末期に吹き荒れた「攘夷論」、つまり ~外国人は追っ払ってしまえ~という思想は、どうしても “幼稚な考え“に見えてしまいます。 その”攘夷”のココロを大胆乱暴に簡略化するなら、こんなところ でしょうか。~わが国(日本)は神国であり、清らかな存在である…
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