テーマ:徳川綱吉

日本史の「タブー」10 神君祖法をシカトする?

戦国の世の最終勝者・徳川家康(1543-1616年)が、自ら初代将軍に就き、 創立を果たしたのが江戸幕府(1603-1867年)でした。 その将軍職を2年ほどで辞し、家康はその後継として自分の息子秀忠を 第2代将軍に就けました。 そして、自らがそうだった「独裁将軍」の姿を秀忠には求めませんでした。 諸藩に対し、「参勤交代」…
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日本史の「女性」25 従一位なら噂も消せる?

こ江戸幕府創立者・徳川家康(1543-1616年)は幕府の公式学問として 朱子学を採用しました。 最高の徳目を「孝(親孝行)」とする朱子学は、家臣や諸藩に忠誠を 求める幕府にとっても非常に都合の良いものだったからです。 実際、「孝」の実践に熱心に励んだ将軍も誕生しています。 たとえば、第五代将軍・徳川綱吉(1646-170…
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日本史の「アレンジ」13 ”生類”その微妙な法解釈

江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉(1646-1709年)による悪名高き? 「生類憐みの令」※(1687年-1709年)は、とりわけ綱吉の干支で ある「犬」に対して特別な計らいを見せました。 最終的には30万坪弱の広大な敷地に数百棟の「御犬小屋」を 建設し、ここへおよそ十万匹の「御犬様」を収容したわけです。 その御犬様のエサ、い…
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日本史の「謎解き」24 井沢元彦著”謎の真相”の不可解

「逆説の日本史」シリーズで、斬新な視点で日本史の見直し 作業を進めている著者・井沢元彦氏によるメッチャ長い書名の 「学校では教えてくれない日本史の授業 謎の真相」が、つい 先日のこと刊行されました。(2016・2・3/PHP文庫 第1版・第1刷) 「井沢日本史」のファンなら、このこと自体は素直に歓迎したい ところです。  …
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日本史の「逆転」12 またか!殿中刃傷事件

「殿中“刃傷”事件」と聞けば、真っ先にイメージするのが 芝居・ドラマ「忠臣蔵」のモデルにもなったことで有名な、 あの「元禄赤穂事件」でしょう。 ところが、実は同じような 事件はそれより以前にも起こっているのです。 この「赤穂事件」より十数年前も前のこと、若年寄・稲葉正休 (1640-1684年)が、大老・堀田正俊(1634…
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日本史の「忘れ物」15 ”生類”と”魔女”の背比べ?

~薬欲しさに吹き矢で燕を射った者に厳罰、 顔に止まった蚊をつぶした小姓もやっぱり厳罰~ これは、将軍・綱吉による「生類憐れみの令」(1687年)が 語られるとき、よく紹介されるエピソードです。 ~この日本では、バカ殿がバカ法律を作って、世の中を 振りまわすなんぞ、実にバカなことをやっていたものだ~ このエピソードは、…
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日本史の「忘れ物」11 時代の透明人間

庶民の暮らしぶり・・・歴史の中でも案外よく分かっていないのが、 ここのところだという話を耳にしたことがあります。 なるほど、そりゃあそうかも・・・みんながみんな朝日文左衛門の 真似をするわけにはいきませんものネ。 何を食べていたのか、どんな家財道具があったのかなど 日常生活については、分からないことの方が多いくらい だそ…
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日本史の「謎解き」07 ”家”のない四人の将軍

ワタシ自身は昔からこのことに少なからず疑問を感じている のですが、そのわりに世間様は静かですので、結局のところ それほどの疑問ということではないのかもしれません。 江戸幕府には初代・家康から十五代・慶喜まで、延べ十五人の 将軍を数えますが、そのほとんど(11人)は名前の先頭に 「家」の字が付いています。 もちろん、こ…
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日本史の「発明」01 気配りされたアリバイ工作

実際には遺言?という体裁で残したのではなく、自らの態度で 示したもののようですが、ワンマンだった創業者社長が二代目・ 社長選んだ際にはハッキリとその意向が示されていました。 「時代も変わってワシのようなワンマンはもう過去のものに なった。 今後は経営実務を重役連中に任せることにして、 次代以降の社長たちは黙って決済するだけ…
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日本史の「ツッパリ」05黄門様のあてつけ

藩の後継者、すなわち「次期殿様」を決める段に「もめる」ことは さほど珍しくもなく、もちろん徳川将軍家にもそれはありました。 その場面に登場したのが、テレビ「この紋所が目に入らぬか!」 で有名な水戸黄門こと、徳川光圀だったワケです。 お話は少しばかりややこしいのですが、この光圀は「御三家・ 水戸徳川家」の初代藩主・頼房(家康…
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日本史の「謎解き」02綱吉の可視政策

幕閣 「この点、いささか整合性を欠くような印象ですが」 綱吉 「満点理想はそうそう簡単ではない!」 幕閣 「でも、それでは民への説明にもチト困りますが?」 綱吉 「捨て置け、肝心なのは法の精神だゾ!」 将軍・綱吉による悪法?「生類憐れみの令」の対象は、犬だけ ではなく、猫や鳥、魚類・貝類・虫類などの生き物全般に渡り、 さ…
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