テーマ:享保の改革

日本史の「微妙」11 将軍トライアル評判記

立派な君主、すぐれた君主のことを「名君」と言います。 また、長い歴史の中で一度衰えたり途絶えたりしてしまった事や物を復興 させることを「中興」といい、そうした「中興」を成し遂げた祖先に対して は「中興の祖」という呼び方も用意されています。 ちなみに、「中興の祖」をもう少し深追いしてみると、この程度の意味合い になるようです…
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日本史の「発明発見」19 町医者と将軍の福祉コラボ

御三家・尾張家との間に引き起こされた激しい後継争いの末、最終的に 八代将軍の座に就いた紀州家出身の徳川吉宗(1684-1751年)は、後に 「享保の改革」(1716-1745年)と呼ばれる政治改革に取り組みました。 この意気込みの背景には、七代将軍・徳川家継(1709-1716年)の後継者を 巡る尾張藩との間で繰り広げられた経緯…
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日本史の「タブー」03 コメ将軍の”贅沢は敵だッ”

将軍本家ではなく御三家の一つ紀州藩の出身で第8代将軍に就いたのが 徳川吉宗(1684-1751年)で、後に「享保の改革」(1716-?年)と呼ばれた 幕政改革に乗り出しています。(将軍在任1716-1745年) そうした大仕事に敢えて取り組んだのも、本家出身でないことに幾分の 引け目があってのことだったかもしれません。 そ…
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日本史の「事始め」01 名君?は”オンチ”が大嫌い

御三家筆頭の尾張家第七代藩主・徳川宗春(1696-1764年)が 著した本「オンチせいよう」とは、「音痴専用」カラオケマイクの ことではなく、意外にも「温知政要」と書きます。 それは施政の大綱とか家臣の心得などに触れたもので、 藩主に就任(1730年)した年に着手、翌年脱稿、そして、そのまた 翌年(1732年)には主だった…
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大岡越前守&一両目の行方

ドラマでおなじみの大岡越前守(忠相・ただすけ)は 実在の人物であり、町奉行として江戸幕府八代将軍・ 吉宗が進めた「享保の改革」にも携わっている。 彼についての有名な逸話・いわゆる「三方一両損」は おそらくは大岡越前守とは無関係なオモシロ話であって、 歴史的事実ではないと思われる。 しかし、そのオモシロ話が一般市民の支持を受け…
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