テーマ:徳川宗春

日本史の「パクリ」14 忘れん坊将軍の悪巧み

徳川幕府(1603-1867年)が諸大名を管理・コントロールするため設けた御家の 「格付け」(家格)を少し整理してみると、概ねこんな具合になりそうです。 ○将軍家/幕祖・徳川家康(1543-1616年)を祖とした最高の家格を誇る。   →江戸幕府の長・征夷大将軍を建てるべく徳川本家。 ○御三家/親藩の中で最高位のランクであり…
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日本史の「事始め」01 名君?は”オンチ”が大嫌い

御三家筆頭の尾張家第七代藩主・徳川宗春(1696-1764年)が 著した本「オンチせいよう」とは、「音痴専用」カラオケマイクの ことではなく、意外にも「温知政要」と書きます。 それは施政の大綱とか家臣の心得などに触れたもので、 藩主に就任(1730年)した年に着手、翌年脱稿、そして、そのまた 翌年(1732年)には主だった…
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日本史の「逆転」06 将軍家激震スキャンダル

そもそもは、江戸城・大奥の御年寄(取締役?)の帰城が 門限に遅れたという些細な?出来事が発端でしたが、そこへ 大奥・幕臣・徳川各家の派閥争いが絡んだ?ものか、事態は 奇怪な展開をみせました。 その経緯は、ざっとこんなものです。 この日(1714年)、大奥・絵島(江島)は将軍(七代・家継)の名代 として、先代将軍(六代・家…
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日本史の「お国自慢」02 尾張系日本人の体験

昔からよく指摘されることですが、名古屋の人間はお世辞込みで 言うなら「保守的」、お世辞抜きなら「閉鎖的」な一面を持っている そうです。 もし仮にその通りだとしたら、その背景にある涙なし では語れない尾張系日本人?の「歴史体験」にもぜひ注目を。 保守的であり閉鎖的な性格~これをマイナスに捉えるなら、 その責任は尾張系日本人の…
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日本史の「ツッパリ」03将軍と墓石入牢

八代将軍・吉宗と尾張藩・宗春、この二人、相性が悪かった。 不倶戴天の敵(ふぐたいてんのてき)と言ってもいい。 ちなみに語呂は少し違うが、フグの大天敵(ふぐのだいてんてき) とは、実はグルメ人間(美食家)のことである。 徳川家康は晩年に誕生した三人の男子に将軍家に次ぐ地位を 与えている。九男・義直(尾張藩)、十男・頼宣(紀州…
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