テーマ:松平定信

日本史の「怪人」21 素性も政策も虫が好かぬ

広く武士の教養・規範とすべく「朱子学」に注目したのは江戸幕府創立者・ 徳川家康(1543-1616年)その人でした。 いや、江戸幕府においては人というより、神様に祀り上げられた「神君」と 言った方が正しいかもしれません。 つまり、朱子学に励むことは即ち「神君」の御遺志にビッタシ沿う行動になる わけですから、そこで、幕府が存…
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日本史の「災難」11 改革とミニ科挙と異学の禁

戦国の世を勝ち抜いた徳川家康(1543-1616年)は、自ら征夷大将軍と なって江戸幕府を開き、その公式学問として「朱子学」を採用しました。 理由は明快で、家康自身が目の当たりにした明智光秀(1528?-1582年)に よる主君・織田信長(1534-1582年)に対する謀反・謀殺や、その後の 豊臣秀吉(1537-1598年)によ…
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日本史の「逆転」15 世間は勝手?この落首

その時代を少し整理してみるとこうなります。 老中・田沼意次(1719-1788年)が幕政を主導していた期間は概ね 1767年から1786年までの20年ほどで、いわゆる「田沼時代」と 呼ばれています。 その田沼意次の失脚後に老中首座・将軍輔佐に就いたのが いわゆる「寛政の改革」を断行した松平定信(1759-1829年)です。 …
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日本史の「ツッパリ」12 筋を通せばクビが飛ぶ

現代では「身分意識」が希薄になっていることの上に、元々 その名称自体が堅苦しいことも重なって、江戸後期の事件? いわゆる「尊号一件(そんごういっけん)」が注目されることは あまりないようです。 そもそもこの事件?は、天皇が自分の父に尊号「上皇」を贈る よう、幕府に対して希望したことが始まりでした。 「上皇(太上天皇)」と…
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日本史の「冗談?」10 純血エリートの悪い癖

幼い頃から聡明かつ真面目で堅物、その上とっても毛並みが 良い・・・江戸中期の老中・松平定信(1759-1829年)が、まさに この通りの人物でした。 なにせ八代将軍・吉宗の孫であり、一時期は将軍候補者と しても目されていた(異説もあり)そうで、しかも「寛政の改革」 (1787-1793年)を指導した人物としても、そしてまた…
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日本史の「世界標準」11 悪口に留まり粛清に至らず

江戸幕府は、良くも悪くもいわゆる「農業重視」を基本政策とした 政権でした。 その証拠に、「商業重視」の姿勢を見せた田沼意次は、道半ばで 失脚し、しかもその後、こともあろうに”ワイロ政治家”などという、 ボロクソの“悪口”を並べ立てられています。 そんな“悪口”を、一体誰が並べ立てたのか? もちろん、田沼とは正反対に農業重…
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