テーマ:伊達政宗

日本史の「事始め」21 鉛筆は鉄砲より強しか?

江戸時代を舞台にしたTV時代劇の劇中に登場した文字を書くシーンでは、 筆記ツールとして毛筆が使われていました。 その数日後、今度は幕末維新を描いたTVドラマです。 ここにも同様のシーンが登場しましたが、筆記ツールはやはり毛筆でした。 さて、こんなプチ体験から、個人的にちょっとした素朴な疑問を持つことに なりました。 ~す…
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日本史の「信仰」08 時代は殉死を御法度に

病死にせよ自然死にせよ、主君が亡くなった場合に家臣・従者や近親者が その死を悼んで「追い腹を切る」、いわゆる「殉死」は、戦たけなわの 「戦国時代」にはあまり流行らなかったそうです。 この時代に戦さ以外の理由で死んでしまったのでは、その分だけ戦力を低下 させてしまうわけですから、考えてみれば当然なのかもしれません。 ところが…
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日本史の「陰謀」13 毒殺未遂?政宗の真実

~自分を殺そうとした相手を許す~ こんなことはよほど温厚な 人でも、到底・生涯・金輪際できることではありません。 それは、「殺し殺され」が普通に行われていた戦国の世でも 変わりのないことでしょう。 ところが、伊達政宗(1567-1636年)はそんな相手を許しています。 なんでか? お話は少々混み入りますが、こんな経緯でした。 …
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日本史の「謎解き」13 伊達政宗の大胆と細心

「遅れてきた戦国武将」のニックネーム?もある伊達政宗は いったい何に遅れたのか? 天下分け目の「関ヶ原の戦い」に遅れた(遅刻した)のは、 徳川家康の息子・秀忠であって、断じて政宗ではないゾ。 政宗が地元・奥州を固めた(政宗23歳)頃には、既に天下は はっきり秀吉のものになっていましたから、つまりは「群雄割拠 の戦国の世」…
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