日本史の「列伝」17 ジコチュー夫妻の別視界 室町幕府第6代将軍・足利義教(1394-1441年)が暗殺に倒れたあと、 第7代の座には幼い嫡男・義勝(当時九歳))が就きました。 しかし、わずか十歳で夭逝。 そのため第8代には、義勝の弟(第6代・義教三男/庶子)である14歳の 義政(1436-1490年)が就くことになりました。 しかし庶子の立場だった義政の立場からす… トラックバック:1 コメント:0 2018年03月25日 続きを読むread more
日本史の「もしも」06 才能で職業は選べない 昔は親の身分を息子が継承することは至極「当たり前」のことと されていました。 「家老の子は蛙の子」・・・ぁちょっと違った!「家老の子は家老」 という言葉もそうした社会・文化を言い表わしたものでしょう。 ですが、歴史の中には「家老の子」であることが、その本人に とっては甚だ不幸だったと思われる例もいくつか見られます。 言葉… トラックバック:1 コメント:0 2015年09月30日 続きを読むread more
日本史の「デジャヴ」05 断トツ無責任男編 「無責任男」と聞けば、ある程度の年配者なら、反射的に 「植木等」の名を思い浮かべることでしょうが、ここでは 南北朝時代の「後醍醐天皇」(1288-1339年)と、室町八代将軍・ 「足利義政」(1436-1490年)のお二方を名指ししています。 その共通点は、なんといっても「無責任」なところであり、 しかも、この「日本国」を… トラックバック:0 コメント:0 2013年11月25日 続きを読むread more
日本史の「女性」03呪詛と空前自害 いきなり、「さんま」である。 もっとも、秋の味覚のサンマとか、司会者のサンマではない。 室町八代将軍・足利義政の時、この「三魔(さんま)」という 言葉が見られたそうだ。 文字通り「三人の悪魔」の意味だ。 この三人とは「おいま・ありま・からすま」のこととされ、その 「おいま」とは将軍・義政の乳母であり側室である「今参局 … トラックバック:1 コメント:0 2012年03月05日 続きを読むread more