テーマ:元寇

日本史の「タブー」12 使者はなぜ殺されたのか

「蒙古襲来」あるいは「元寇」という当時の日本国にとって歴史的な 大事件は、概ねのところこんな説明になっています。 ~日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として  東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元朝)およびその属国  である高麗によって二度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である~ 早い…
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日本史の「微妙」09 素知らぬ顔して意趣返し

モンゴル高原に居住する遊牧民の有力族長の一人であったチンギス・カン (1162-1227年)が、その他の遊牧民らを統合して創設した「モンゴル帝国」 (1206-1634年)は、その後もさらなる領地拡大に励み、いつしか下図にある 範囲をその「最大版図」(領土・領域・勢力範囲)とするようになっていました。 ざっくり言うなら、~モ…
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日本史の「災難」09 国難!朝廷幕府の異質な対応

世界征服を目指すがごときに領土拡張を続けた超大国・元が、大海に浮かぶ 島国・日本に目をつけ征服を目指したのが、いわゆる「元寇」(蒙古襲来) でした。 それは前後二度に及び、その一度目を「文永の役」(1274年)、 そして二度目を「弘安の役」(1281年)と呼んでいます。 ちっぽけな「ド田舎国」を狙って、世界に冠たる超大国がガ…
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日本史の「トホホ」24 日蓮サン予言?の星取表

日本の歴史には、時として「日本人離れ」?した人物が登場します。  たぶん、日蓮宗(法華宗)宗祖・日蓮(1222-1282年)もそうした一人に 挙げていいのでしょう。 なにせ、みんな仲良くの「和」をモットーとする日本社会にあって、いわば 「唯我独尊」的なこんな主張をしていたのですから。 ~念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊~  …
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日本史の「ツッパリ」19 強気が招いた結果オーライ

中国大陸を支配した「モンゴル帝国」(大元)とその属国である 「高麗王国」が海を越え、日本本土に侵攻した事件・・・これが、 いわゆる「元寇」です。  そして、その最初が「文永の役」(1274年)、二度目が「弘安の役」 (1281年)と呼ばれています。 ただ、この侵攻は突如としてオッ始まったわけではなく、実際 には「モンゴル…
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日本史の「列伝」05 六百年後の国難功労賞?

1268年、鎌倉幕府・第八代執権に就いたのが北条時宗 (1251-1284)でした。 イケイケドンドンの状況にあった大陸の「モンゴル帝国」が 「大元」(1271年)と名乗り出すその直前に、わが国ではなんと 「高校生?執権」を誕生させていたことになります。 すでに「馬で行ける範囲は全部」、言葉を変えるなら、「大陸の 大部分…
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日本史の「逆転」11 日本列島ウラオモテ

少し前までは、日本列島の太平洋側を「表(オモテ)日本」、 日本海側を「裏(ウラ)日本」とする、幾分差別的なニュアンスを 含んだ呼び方がありました。 地形的に太平洋側に大都市が集中したこともその理由でしょうが むしろ、この頃の日本が中国大陸側より欧米側に関心を寄せて いた事情が大きく影響したものと考えられます。 ところ…
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日本史の「トホホ」03 元寇を阻んだ?”生命体X”

元(モンゴル)・高麗による日本侵攻は二度とも神風が 吹き荒れてその軍団を全滅させた・・・ 「元寇」(蒙古襲来)に対する日本人の平均的なイメージは、 まあ、こんなところでしょうが、でもこのお話、ちょっとばかり 不自然ではありませんか? その「二度」とは一回目が「文永の役(ぶんえいのえき)」 (1274年)、二回目が「弘安の…
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日本史の「言葉」02敵国降伏

中国・元(げん)は二度に渡ってこの日本を攻めた。 有名な「元寇(げんこう)」である。結果はご存知の通り元軍の 敗北、すなわち結果的には日本側の勝利であった。 ところが、その後日本側ではその「勝因」についての意見が 大きく分かれることとなった。 なんで?  初めに、この元寇が鎌倉幕府の時代、  すなわち「13世紀の出来事」…
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幸運な国家 Part弐

PartⅠの昭和の「敗戦による「占領軍の統治」に続いて、 「外国の侵略」に直面した鎌倉時代の「元寇」を今回のPartⅡで、 取り上げてみよう。 実は、この時も日本にとっては 「「国家存亡の淵」であったと思えるからである。 ~元の大軍が、この日本に戦争を仕掛けてきたが、 その二度とも暴風によって自滅した~ 「元寇」に対する日…
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