テーマ:徳川慶喜

日本史の「付録」10 なにゆえ貴殿が国葬に?

幕末の推移が分かりにくいのは、たぶん劇的な事態急変と逆転が遠慮なく 登場することが原因の一つになっているのかもしれません。 たとえば、その幕末期に政局の安定と攘夷実行を目論んで、いわゆる 「公武合体」路線を強力に推し進めた孝明天皇(1831-1867年)が突然の 崩御に見舞われたことを受け、その後継に立った明治天皇は逆に開国・ …
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日本史の「微妙」05 多重国籍?将軍の苦悩

艶福家として有名な?水戸藩主・徳川斉昭を父、またその正室である宮家 (有栖川)出身の吉子女王を母として、江戸・小石川の水戸藩邸で生まれた のが、江戸幕府最後の将軍となった第15代・徳川慶喜(1837-1913年)です。 ということは、慶喜の体には生まれながらにして「水戸藩()徳川家」と 「皇室(天皇家)」の両方の血が流れていたこ…
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日本史の「陰謀」17 ヘッこれが”錦の御旗”かえ?

幕府側は最後の将軍・徳川慶喜が政権返上(大政奉還)を 実行、また朝廷側は、~慶喜を討伐せよ~との詔勅を、 薩摩・長州の両藩に発する・・・ 実はこれが同じ日(1867年11月9日)の出来事ですから、 徳川幕府が倒れ、明治新政府が成立するまでの過程には 相当に緊迫した政治状況があったといえそうです。 そして、この時発せられた…
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