日本史の「タブー」13 時流御免蒙の独創覚悟 とてつもなく意外な発想とか、あるいは当時の常識にはとんと囚われない言動 とか、その時代の常識の枠内に収まっていないように感じられる出来事も、 時として歴史の中には登場します。 この表現では、筆者の言おうとしていることがイマイチ分かりにくい印象です ので、二三の具体例を挙げておきましょう。 例えば、こういうことです。 ずっ… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月20日 続きを読むread more
日本史の「パクリ」15 天下布武は神の座から 尾張国・織田信長(1534-1582年)が、「天下布武」との印文を自分の朱印と して用いるようになったのは、美濃攻略を成功させた後、井ノ口を岐阜と 改名し、自らの拠点を尾張国・清州からこの地へ移した1567年頃からだと されています。 この文言は、一般的には天下統一への意識を強く示したものとの説明に なっています。 とい… トラックバック:0 コメント:0 2020年08月10日 続きを読むread more
日本史の「発明発見」26 季節限定戦では埒が明かぬ 戦国三英傑の一人である尾張国・織田信長(1534-1582年)は、当時の大名の 誰もが思いつかなかった「兵農分離」という新政策を打ち出し、これを実行に 移しています。 これ、文字通りに「兵士と農民を分ける」ことを意味する政策でした。 逆に言えば、それまでは基本的に「兵農一致」の状況にあったことです。 なぁに? その「兵農一… トラックバック:0 コメント:0 2020年07月15日 続きを読むread more
日本史の「災難」15 歴史対談コロナに散る 新型コロナウイルス感染が次第に拡大の方向へ進んでいた時期だったことも あって、その開催に一抹の不安を感じながらも、申し込みだけは早々に 済ませておきました。 歴史研究家という肩書が最適なのかどうかは分かりませんが、ともかく、 二人の先生による対談会形式による講演会です。 ところが、こうしたイベント自体が基本的に密閉・密集・… トラックバック:0 コメント:0 2020年06月10日 続きを読むread more
日本史の「油断」11 乱世終えたら麒麟がくる 最終回まで一年の長丁場という理由もあって、大河ドラマにはこれまで あまり関心を寄せていませんでした。 ところが本年は放送直前に主要配役の一人を演じる女優さんの不祥事、さらに その後には新型コロナウイルスの影響などがあって、何かとその行方に注目 させられました。 そこで、ついでのことに今回、その大河ドラマ「麒麟がくる」の主人… トラックバック:0 コメント:0 2020年05月30日 続きを読むread more
日本史の「ライバル」05 太陽暦の閏日と太陰暦の閏月 四年に一度の「閏年」に当たる本年、つまり西暦2020年の2月は、 当然ですが、例年の28日より1日多い29日となっています。 では、その「閏(うるう」っていったい何のことなのダ? 不意にこう訊ねられて、これにサラリを答えられる人はそうそう多くは ないことでしょう。 閏年/西暦2020年のカレンダー そこで、その「閏… トラックバック:0 コメント:0 2020年02月25日 続きを読むread more
日本史の「災難」14 後出しジャンケンの汚名 来年(2020年)のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は戦国武将・ 明智光秀とのことです。 例年、この大河ドラマには注目と期待が集まりますが、ところが今回は、 出演予定の女優さんに芳しくないスキャンダルが持ち上がるなどして、 番組放送以前にすでにひと騒動を演じました。 そのあたりのことはともかくとして、さて歴史上に実在… トラックバック:0 コメント:2 2019年12月30日 続きを読むread more
日本史の「トンデモ」04 本願寺籠城戦と水軍激突 織田信長(1534-1582年)と本願寺11世・顕如(1543-1592年)の激突、 いわゆる「石山合戦」(1570-1580年)の、その中盤では「天王寺の戦い」 (1576年)が繰り広げられました。 そして、これに勝利した織田軍は摂津国方面の軍事的優位を確実なもの とし、逆に負けた本願寺軍は本拠地・石山本願寺への退却を余儀なく… トラックバック:0 コメント:0 2019年12月05日 続きを読むread more
日本史の「発明発見」25 神の座へ三英傑の三段跳 筆者の生息地・愛知県では、戦国の天下を動かした下記の武将トリオを 「郷土の三英傑」として称えています。 尾張・織田信長(1534-1582年) 革新政策/関所撤廃・楽市楽座など 尾張・豊臣秀吉(1537-1598年) 集権体制/貨幣統一・兵農分離など 三河・徳川家康(1543-1616年) 幕府創立/天下統一・武家諸法度など … トラックバック:0 コメント:0 2019年11月30日 続きを読むread more
日本史の「列伝」12 生前没後もユニーク履歴 北近江の戦国大名であった浅井長政(1545-1573年)の経歴を眺めていくと、 いくつかユニークな点があることに気が付きます。 その第一は、やはり時天下統一を目指していた尾張国・織田信長(1534- 1582年)との関りということになるのでしょう。 信長の妹である「お市の方」(1547?-1583年)を妻として娶った 人物… トラックバック:0 コメント:0 2019年11月25日 続きを読むread more
日本史の「トホホ」28 大没落に遭遇した管領家 戦国英傑・織田信長(1534-1582年)については、こんな説明もされています。 ~その出自は、尾張守護・斯波氏に仕える守護代・織田氏の、そのまた 家老家の織田家である~ また別には、 ~越前朝倉氏の創始者・広景(1255-1352年)は斯波氏に仕えていた~ こちらも越前を拠点として戦国の世に存在感を示した家です。 この… トラックバック:0 コメント:0 2019年08月25日 続きを読むread more
日本史の「発明発見」23 小牧山城から天下を見渡す 筆者の生息地・名古屋から車で30分ほどの「小牧(市)」。 用事を早めに済ませ、空いた時間を「小牧山」探訪に充てたのが、数日前 (2019・04・27土曜)の午前のことでした。 割合近いエリアでありながら、ここを訪れたことがないという事実に、ふと 気が付いたからです。 「歴史好き」あるいは「お城好き」の皆様には、この「小牧山… トラックバック:5 コメント:0 2019年04月30日 続きを読むread more
日本史の「微妙」10 勝者は看板づくりに精を出す 筆者の生息地・尾張名古屋では、戦国時代に華々しい活躍を見せた 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の御三方を、その死後数百年経った現在でも 「郷土の三英傑」と呼んで称えています。 ちょっと補足しておくと、こんな案配になります。 織田信長(1534-1582年/尾張国)「室町幕府」に事実上の終止符を打った。 豊臣秀吉(1537-15… トラックバック:6 コメント:0 2019年04月05日 続きを読むread more
日本史の「忘れ物」27 慧眼!アントニーの法則 ~英雄(偉人)の死するや 生前の善行は墓に葬られ、 悪事のみ千載の後まで語り継がれる~ イングランドの劇作家ウィリアム・シェークスピア(1564-1616年)の作品 「ジュリアス・シーザー」(1599年)の中で、マルクス・アントニウス(マーク・ アントニー)が吐くセリフです。 ちなみに原文では、 ~The evil th… トラックバック:5 コメント:0 2019年03月15日 続きを読むread more
日本史の「デジャヴ」24 天魔王は不意を衝かれる 家臣・明智光秀(1528?-1582年)による主君・織田信長(1534-1582年)に 対する謀反「本能寺の変」(1582年)は、その後の政治状況を大きく 変えました。 もし、この事件で信長が命を落とすことなく健在であり続けたなら、一家臣に 過ぎなかった羽柴秀吉(豊臣/1537-1598年)がその後の天下を握ることも なか… トラックバック:0 コメント:0 2018年04月10日 続きを読むread more
日本史の「怪人」18 人間五十年もうすぐ三倍時代? 戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による農地解放政策 (1947年/昭和22年)が実施されるまで日本最大級の地主であった 山形県酒井の豪商・本間氏の栄華はこう謳われるほどでした。 ~本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に~ さて、お話は無関係に飛んで「人間の寿命」です。 今川義元との対決「桶狭間の戦い」(15… トラックバック:0 コメント:0 2018年02月20日 続きを読むread more
日本史の「お国自慢」16 弘法サン”あゆち”に参上! 筆者の生息地は、昔は「尾張国」、現在は「愛知県」と呼ばれています。 そこでヒョッコリ思い出したのが、とある「愛知県人」が宣(のたま)わっていた、 こんな御高説です。 ~ええか、よく聞け。 日本語「哲学」の語源はラテン語の“philosophia”だ。 これは“philo”が愛を、“sophia”が智恵を意味しているからして… トラックバック:0 コメント:0 2017年06月15日 続きを読むread more
日本史の「事始め」12 ”兵農分離”は金がかかる! ”メッチャ強い”とされる戦国武将でも、兵の大半を農民に頼って いるようでは、「農繁期」の戦(争)は叶うものではありません。 便利な農機具もない時代ですから、「農繁期」の農民はそれこそ 猫の手を借りたいほど忙しいからです。 さりとて農業を「基幹産業」としている以上、「手抜き」というわけ にもいきません。 そんなことをしようも… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月10日 続きを読むread more
日本史の「列伝」14 洗えば落ちるやもしれぬゾ 戦国時代の日本に渡来した巡察師・ヴァリニャーノに同行し、 織田信長(1534-1582年)に謁見(1581年)後、その献上品?と された黒人がいます。 ~切支丹国より黒坊主参り候/年齢26-27歳ほど/ 十人力の剛力/牛のように黒い身体~ よほどビックリこいた出来事だったのでしょう、「信長公記」は このように書き残してい… トラックバック:0 コメント:0 2016年11月20日 続きを読むread more
日本史の「お国自慢」15 愚直と創意ふたりの作者 戦国の覇者・織田信長(1534-1582年)の一代記「信長記」には、 太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に 小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあります。 両者を区別するために、一般的には 牛一版を「信長公記」(1600年頃?)、甫庵版を単に「信長記」 または「甫庵信長記」(1611年頃?)… トラックバック:0 コメント:0 2016年10月20日 続きを読むread more
日本史の「アレンジ」15 偶然?1582年の改暦問題 明治新政府が従来の「和暦」から「西暦」への改暦詔書を出し たのは、和暦の明治5年11月9日、西暦では1872年12月9日の ことでした。 ~太陰暦を廃止して太陽暦にする。 明治5年(1872)12月3日 を以って、明治6年(1873)1月1日とする~ ただ「太陽暦」には二つがあり、この場合は古い「ユリウス暦」 ではな… トラックバック:0 コメント:2 2016年09月05日 続きを読むread more
日本史の「事始め」08 昔もあった?ブラック企業 ~あまりの激務に体調を崩し、病死(享年55)~ 幕臣・江川英龍(1801-1855年)の最期を紹介した文章です。 現代なら、さしずめ“過労死”という言葉になるのでしょう。 では、死に至るような“激務”とは、いったいどういうものだった のか? そもそもの端緒は、最初の「黒船来航」(1953年)で開国を 迫ったペリー艦隊… トラックバック:0 コメント:0 2016年04月15日 続きを読むread more
日本史の「事始め」05 ”丸い地球”をいつ知った? “地球は丸い“ことを始めて知った日本人は誰で、そしてそれは いつのことだったのか? 歴史のエピソードを遡るなら、精密な日本地図(伊能図)を作った ことで知られる江戸後期の測量家・伊能忠敬(1745-1818年)が それを承知していたことは間違いありません。 彼は“地球は丸い”とする天文学を修めていましたし、それが あってこそ… トラックバック:0 コメント:0 2015年09月25日 続きを読むread more
日本史の「忘れ物」21 ♪酒と泪と男と女 今回のタイトルはもちろん故・河島英五(1952-2001年)の名曲 から頂戴したものですが、幾分ミスマッチな雰囲気もあるため、 この「泪」の部分を「仏」に入れ替えてみます。 「酒と仏(ほとけ)と御床(おとこ)と女」 これなら少しは関連性も 出てきそうです。 また話の都合上、信仰(仏教)世界の「事情」?にも触れておくと、 … トラックバック:1 コメント:0 2015年07月15日 続きを読むread more
日本史の「発明発見」10 ”地名改称”ゴマスリ音頭 地名は「言葉の化石」とも言われているそうですから、逆に 言えば、「地名改称」はその昔からあまり熱心に行なわれて こなかったということになります。 ひょっとしたら、先人達の 意識の中に、改称することに対しての宗教的または文化的な ある種のタブー感のようなものがあったのかも知れません。 ところが戦国の時代、織田信長が本拠?の地… トラックバック:1 コメント:0 2015年07月05日 続きを読むread more
日本史の「油断」03 英傑トリオの本願寺介入 数年前に750回忌大法要を迎えた宗祖・親鸞(1173-1263年)さんも、 ひょっとしたら、その後の「本願寺」の在り方には幾分首を ひねっておられるかも知れません・・・~なんでこうなったの?~ それは「本願寺」※と名乗るお寺が京都に二つ、それも割合近い 場所にあることです。 ※いずれも京都市下京区 その上に、つい最近まで両… トラックバック:0 コメント:0 2015年05月10日 続きを読むread more
日本史の「謎解き」21 ピケティ風?の戦国経済論 とんでもなく固くて難しい内容という噂?があった、フランスの 経済学者トマ・ピケティ著の「21世紀の資本」が出版されるや、 世界ではすでに100万部超え、日本でもたちまち10万部以上が 売れたそうですから、これが驚かずにおられましょうか・・・ おられません! (日本版発売 2014年12月08日) ちなみに日本版は「A5判/… トラックバック:0 コメント:0 2015年04月05日 続きを読むread more
日本史の「デジャヴ」12 神懸かりは突然コケた 超昔々のTV番組で「スーパーマン」を演じた俳優※1は、 ある日、自殺か他殺か不明な“射殺死体”で発見されました。 その後に映画で同じ役を演じた俳優※2も、落馬事故によって 身体麻痺の境遇に陥っています。 つまり超人「スーパーマン」?といえども、決して不死身・不滅の 存在ではなかったわけです。 (ちょっと論点がズレてるか?) … トラックバック:1 コメント:0 2015年03月20日 続きを読むread more
日本史の「迷宮入り」14 天下城焼失の風評被害 念願の「天下布武」完成目前にあった織田信長(1534-1582年) の居城「安土城」の“築城から焼失”まで経緯は以下の通り。 ○1576年 → 築城を開始 ○1579年 → 信長が引っ越す(この頃、落雷で本丸焼失?) ○1582年 → 6月「本能寺の変」(信長暗殺事件) ○1582年 → 6月「山崎の戦い」以後、天守と本丸など… トラックバック:0 コメント:0 2015年03月01日 続きを読むread more
日本史の「もしも」04 判決!”改名”に処すッ! 天皇位を一旦退位された後に、再び即位される「重祚(ちょうそ)」 は非常に稀なことで、これを経験された天皇は長い歴史の中 でもお二方しかおられません。 奇しくもお二方ともが女性天皇で、名を挙げれば皇極(斉明) 天皇と孝謙(称徳)天皇ということになります。 ※(最初)35代・皇極天皇/(二度目)37代・斉明天皇(誕生594-崩御6… トラックバック:1 コメント:0 2015年01月05日 続きを読むread more