テーマ:江戸時代

日本史の「アレンジ」19 科挙より素敵な選び方?

国家を安定させ長い繁栄を保つためには、特にその中枢を担うべき官僚に 優秀な多くの人材を必要とするものです。 このあたりを、うっかりスカタンな人間に任せようものなら、たちまちに国が 傾きかねないことはどの国にとっても一種の常識と言っていいのかも しれません。 ただ、その優秀な人材を選ぶ方法が問題です。 他人よりズバ抜けて背…
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日本史の「陰謀」24 家康の朝廷封じ込め作戦

戦国の世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、その権力機構 である「幕府」(1603年)を江戸に置きました。 そこでちょっと気になるのは、家康がその「江戸」という地名をそのまま 使い続けたという事実です。 平安時代末期の頃にはすでに「江戸」という地名はあったとされていますが、 これは「穢土」にも通じる響きがあっ…
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日本史の「付録」02 世の中には二種類の人間がいる

随分と昔の映画の中にこんなセリフがあったことをヒョッコリ思い出しました。  正義の人VS悪漢の対決が見せ場という、お約束通りの展開の「西部劇」で、 その中で正義の人が悪漢に向かって吐いたこんな言葉です。 ~世の中には二種類の人間がいる。 (建物に)ドアから入るヤツと   (お前のように)窓から入るヤツだ~ この作品で初めて…
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日本史の「災難」07 トレンドは出世から平和へ

平和をドップリ享受している現代人からすれば幾分首を傾げたくもなる風潮 ですが、戦国乱世の時代には国民の中にも「戦争」が無くならないことを 期待する気分が濃厚にありました。  ~なんでまた、そんな「命懸け」の事態を望むのか?~ 理由は単純。  実は絶好のサンプル?が目の前に存在していたからにほかなりません。 その「絶好のサン…
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日本史の「微妙」01 江戸民族?のお仕事ぶり

現代の「お仕事ぶり」はといえば、概ねのところ、「週休2日・40時間労働」が 一つの基準になっています。 もっともこれは建前であり、必ずしも遵守されているとは言い切れません。 過労死などの報道に接することも少なくないからです。 そんな中にあって、最近「週休3日制」を実践する企業も登場してきました。  しかし、こんな程度のこと…
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日本史の「怪人」16 盗っ人伝説ねずみ小僧

創作上の人物とばかり思い込んでいた盗っ人「鼠小僧」(ねずみ こぞう)。 これが実在した人物だと知って、ちょっとビックリ。 ~顔は頬被り、「千両箱」を軽々と抱え、瓦屋根の上を身軽に   走り、ひと気のないところでフワリと路上に舞い下りる~ 映画ドラマで描かれる、いささか現実離れしたこんな姿が焼き ついていたからです。 名を…
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日本史の「忘れ物」24 沖を通るは北前船か廻船か?

~荒れた天候によって江戸への航路が閉ざされていた年、   紀州のミカンを、家に残ったボロい大船にドッチャリ積み   込むや、猛烈な嵐の中を江戸まで運んだ~ 史実か伝説なのかは幾分あいまいなところがありますが、 ともかくこんな命懸けの行動が「紀伊國屋文左衛門」 (1669?-1734年)のエピソードのひとつとして語られています。…
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日本史の「忘れ物」23 街道旅のトイレ事情

たとえば、昔の人が江戸・日本橋から京都・三条大橋まで、 あるいはその逆でも同じですが、その道程490km余りの 「東海道五十三次」の旅に出たとします。  車のない時代のことですから、老若男女を問わず嫌でもこの間 を歩き通さねばなりません。 (平均的には二週間ほどの行程?) さてその場合、「宿場町」というサービス・エリア?が…
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日本史の「逆転」17 隣国へ三里七里十里の渡し

江戸・日本橋から京・三条大橋に至る「東海道五十三次」の 道中、尾張国から伊勢国へ向かう宿場町には、東から 40鳴海宿→41宮宿(尾張国)→(伊勢国)42桑名宿→43四日市宿 がありました。 そして、同行程の「唯一の海路」として有名なのが「41宮宿」と 「42桑名宿」の間を船で結んだ、いわゆる「七里の渡し」※です。 その移…
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日本史の「言葉」19 漢字よりアルファベットだ!

~漢字を放棄して能率的なアルファベットを導入せよ~ かつてこんな主張もありました・・・といえば、まあ大抵の人は それを明治以降の出来事だと思うでしょう。 なにせアルファベットと言っているのですから、どうしたって 「文明開化」に遭遇した「明治」より以前とは考えにくい。 ところがドッコイ、こう主張したのは生まれも育ちも歴とした…
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日本史の「謎解き」18 渡世人の生活費は?

昔の東映時代劇にあった「関の弥太っぺ」サンとか、その後の TV時代劇の「木枯らし紋次郎」サンなど、こういう人たちを いわゆる「渡世人(とせいにん)」と呼んだようです。 しかし、この言葉くらいは聞いたことがあるにせよ、その生態?に ついては現代人の常識になっていません。 別の「旅烏(たびがらす)」とか「旅人(たびにん)」とい…
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日本史の「逆転」05 切れない名君と斬る暗君

1701年、殿中において浅野内匠頭長矩(1667-1701年)が 高家・吉良上野介義央(1641-1703年)に突然斬りかかったと される「元禄赤穂事件」は、映画や芝居を通じて現代人にもよく 知られています。 ですが、この「赤穂事件」が「ビックリ仰天」「前代未聞」の 出来事だったかといえば、それはちょいとばかり違うようです。 …
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日本史の「逆転」04 武士の正座と胡坐

いまさらの感がありますが、TV時代劇を観ていて、戦国時代と 江戸時代の武士の座り方に違いがあることに気がつきました。 もっともソファーに腰を下ろすシーンはあまり見かけませんので、 つまりは正座(せいざ)と胡坐(あぐら)のことを言っています。 「正座」というからには、これが日本人のその昔からの作法で あり、「由緒正しい」座り…
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日本史の「怪人」01 西鶴の超人技は本当か?

江戸時代の小説家?井原西鶴(1642-1693年)は、一時期、 俳諧の「短時間・量産」に凝って、1677年には一昼夜でなんと 1,600句の大記録?を打ち立てました。 ところが、どんな分野でも挑戦者は現われるもので、 その数ヵ月後にはこの記録も破られ、そればかりか、その後も 続々と新記録?が誕生し、西鶴の記録は完全に過去の…
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日本史の「言葉」11 三行半(みくだりはん)

時代劇などで、夫が妻に向けて、この「三行半(みくだりはん)」を 突きつけるシーンを見たなら、まあ大抵は、この時代の離婚は 夫の一存・自由裁量で決めてしまえたものと、受け止めたくなる ところでしょう。 ところが、必ずしも実態はそうでなく、夫婦どちらかが一方的な 不利益を背負うことのないよう、先人達もそれなりの配慮の上で、 …
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日本史の「冗談?」06 ゆっくり急げ!大名行列

少し昔のことですが、本当にあったらちょっとコワイものとして 「千手観音の往復ビンタ」とか「全力疾走する大名行列」などを 挙げていたコミックソングがありました。 野暮な説明になりますが、「大名行列」といえば、現代人なら 大多数が、映画で観るように毛槍持ちの奴さんを先頭に 「下に~い、下に~い」と声をかけながらゆったりゆったり…
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日本史の「謎解き」06 ”米”はどこへ消えた?

この「統計」?が正確なものか、もちろん議論もあるでしょうが、 江戸時代の米の生産量と人口には(幾分の凸凹はあるものの)、 概ね比例関係があるように見えます。 つまり、人口が2,000万人と推定される頃の米の生産量は 概ね2,000万石、2,500万人の頃なら2,500万石程度ということです。 もっとも、幕府への各藩の石高申…
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日本史の「世界標準」02識字のお膳立て

子供 「アタイ、『たかさごや~』っての、もう覚えちゃった!」 大家 「聞こえていたか。祝言に向けてしばしの特訓じゃった」 子供 「たかさごや~、このうらぶねに~、ほをあげて~・・・」 大家 「真似をしなくてもよい。それより、それを忘れないように     ちゃんと字で書いておいたらどうだい」    江戸の長屋の光景です。  …
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日本史の「ツッパリ」01金銀入歯組

「太平の世」にカジを取り始めた江戸幕府に対して、 不満を持つ旗本は少なくなかったようだ。 旗本には、神君・家康とともに戦ったことでこの天下を 作った、という自負心があったからである。 太平を是とする世の中は、この武勇を遠ざけることに つながり、旗本にすれば「我らの働きが正当に評価されて いない」という受け止め方になる。 …
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「時代の転換」その儀式

授業で学んだ歴史の「江戸時代」について、みなさんはどんな 印象をお持ちだったろうか? 訊ねてみると、封建制・士農工商・鎖国・飢饉などの言葉から、 結構「薄暗い社会」をイメージしていた人も少なくないようで、 現に私もその一人だった。 では、これは本当に「正しい」印象なのだろうか? 結論から言えば「必ずしも正しくない」とは言…
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