日本史の「アレンジ」19 科挙より素敵な選び方?

国家を安定させ長い繁栄を保つためには、特にその中枢を担うべき官僚に 優秀な多くの人材を必要とするものです。 このあたりを、うっかりスカタンな人間に任せようものなら、たちまちに国が 傾きかねないことはどの国にとっても一種の常識と言っていいのかも しれません。 ただ、その優秀な人材を選ぶ方法が問題です。 他人よりズバ抜けて背…
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日本史の「油断」09 史実と伝説行ったり来たり

天孫降臨の折、天照大神は地上に降りる皇孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を こんな言葉で送り出したようです。 ~この日本の国は私の子孫が王となるべき地なのですから、皇孫である   あなた(瓊瓊杵尊)が行って治めなさい。 いいこと、ここのところが特に   大事なことですが、皇室が栄えることは天地がある限り永遠なのですよ~ しかし…
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日本史の「落胆」02 純正室町時代の数え方?

鎌倉時代から明治時代に至る間の時代区分は、それぞれの定義や解釈に よって微妙に異なる感じもありますが、筆者がたまたま目にした日本史年表 では、以下のように整理されていました。 ○鎌倉時代 →→ /1185-1333年 ○建武の新政 → /1333-1336年 ○室町時代 →→ /1336-1573年    ◇南北朝時代/13…
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日本史の「言葉」28 そのセリフ実は我に非ず

歴史の中には、まさに時代を切り取ったかのような言葉・セリフが登場する ことがあります。 たとえば、~平家にあらずんば人にあらず~ 武士階級がようやく頭角を現し始めた平安時代末期に登場した言葉です。 でも、このセリフを吐いた人物を、平家総帥・平清盛(1118-1181年)だと 思っている人も少なくないようで、なぜそんなことが…
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日本史の「信仰」14 民族癖が選んだ?維新三傑

たまたまのこと、目の中に「維新の三傑」という言葉が入ってきたので、 ことのついでに少し読み進めてみると、そこには以下の三人の名が 挙げられていました。 ○木戸  孝允(1833-1877年) 長州藩士/  病死・享年45歳 ○西郷  隆盛(1828-1877年) 薩摩藩士/  自刃・享年51歳 ○大久保利通(1830-1878…
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日本史の「付録」10 なにゆえ貴殿が国葬に?

幕末の推移が分かりにくいのは、たぶん劇的な事態急変と逆転が遠慮なく 登場することが原因の一つになっているのかもしれません。 たとえば、その幕末期に政局の安定と攘夷実行を目論んで、いわゆる 「公武合体」路線を強力に推し進めた孝明天皇(1831-1867年)が突然の 崩御に見舞われたことを受け、その後継に立った明治天皇は逆に開国・ …
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日本史の「ライバル」01 日本と西欧の同時ビックリ

武士政権が滅び、明治という新しい時代を迎えた日本には、西洋の文明が 怒涛の如く押し寄せるようになりました。 ただ当初こそ、そうした物に対して戸惑いだけでなく、相当な抵抗感・ 違和感も覚えた日本人の側も、接触する機会が増えるに従い、次第に 慣れ親しむようになっていきました。 たとえば、髪型(ヘアスタイル)一つをとっても、こん…
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日本史の「異国」03 衣服まわりの二三の閑話

人類史上初の有人宇宙飛行計画において、ライバル・ソ連の先手を取るべく アメリカが情熱を傾注したのが「マーキュリー計画」(1958~1963年)でした。 この時のNASA(アメリカ航空宇宙局)、要するにアメリカの有人飛行計画の 黎明期の顛末を描いた映画に1983年「ライトスタッフ」という作品があります。 宇宙空間での飛行士の居…
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日本史の「誤算」10 戦国乱世の三バカ大将

「馬鹿者/愚者」を意味する言葉は、TPOによって阿呆・トンマ・間抜けなど、 別の表現も用いられますが、そうした意味ではなく、政治的な判断もしくは 行動の拙さをもって「愚者」と評された人物も、歴史上には少なからず登場 しています。 そんな立ち振る舞いだけで、後世の人間から「愚者」扱いされては、もう冤罪 並みの不運と言ってもいいの…
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日本史の「ツッパリ」23 触らぬカネにタタリなし

~江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ~ 本音であったかどうかは分かりませんが、こんなセリフを吐いて粋がっていた とするなら、江戸っ子の「お金」に対する感覚は、チマチマ貯金に励む 現代日本人とは少しばかり異なるものがあったと言えそうです。 (お金の)「使い方」が違えば、(お金の)「造り方」の方にも違いがありました。 ただし、この場…
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日本史の「トホホ」27 タケル氏の異色な境遇と病質

「古事記」では主に「倭建命」※、「日本書紀」では主に「日本武尊」※と表記 されるそうですが、第12代・景行天皇の息子であり、第14代・仲哀天皇の父に 当たる人物を、分かりやすく「ヤマトタケル」と呼ぶこともあります。 ※「倭建命/日本武尊」はいずれも(やまとたけるのみこと)と読むそうな。 父も天皇、息子も天皇という血筋であれば…
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日本史の「トンデモ」02 曲学阿世のイチャモン術

「林羅山」(1583-1657年)といえば、23歳の若さで徳川家康(1543-1616年)の ブレ-ンに収まったほどに優秀な学者さんですが、反面ちょいとばかりクセの ある?人物でした。 失礼を承知の上で言えば、「曲学阿世の徒」※という言葉に当てはまる 印象を備えた人物ということです。 ※真理を曲げて世間や時勢に迎合する言動を取…
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日本史の「発明発見」22 誰がためにカネは生る

二兆円超とも言われる多額の借金に苦しんでいた日産自動車に乗り込むや、 瞬く間に経営立て直しを成功させたことで、一時期は時代の寵児として 注目を集めたカルロス・ゴーン氏でしたが、本年(2018年)になって、 所得隠隠蔽の疑惑が浮上し、つい最近のこと逮捕されるまでに至りました。 なんでも十億単位の報酬を得ていた上に、表に出さない…
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日本史の「事始め」17 幕末日本人のモノづくり

~泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず~ いわゆる「黒船来航」(1853年)で吃驚仰天した様を揶揄した狂歌です。 蛇足ですが、この「上喜撰」とは茶の銘柄であり、「蒸気船」(黒船のこと)に かけた言葉になっています。 それはともかく、それこそ「見たこともない」ハイテク戦艦が姿を現したの ですから、当時の日本人にとっては…
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日本史の「お国自慢」17 やっとかめ文化祭2018

どうやら、数えて6年目ほどになるようですが、今やすっかり名古屋の秋の 恒例行事となった感が漂う「やっとかめ文化祭」を今年もチョロっと覗いて みました。 本年(2018年)10/27(土)~11/18(日)を期間として、名古屋の街全体を 会場にする形で、例年のように  ○芸どころまちなか披露 ○芸どころまちなか舞台 ○まちなか寺…
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日本史の「異国」02 武器商人?勲章を賜る

つい先週の地元新聞にこんな記事が掲載されました。 /さらば グラバー号/ 名古屋-長崎 夜行バス 今月終了 ~片道904キロ・11時間40分 平成走り抜けた~   (中日新聞 朝刊/2018年11月09日/金曜日) さらに、その「グラバー号」については、 ~幕末に長崎を拠点に活躍した英国の武器商人トーマス・グラバー  (…
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日本史の「微妙」09 素知らぬ顔して意趣返し

モンゴル高原に居住する遊牧民の有力族長の一人であったチンギス・カン (1162-1227年)が、その他の遊牧民らを統合して創設した「モンゴル帝国」 (1206-1634年)は、その後もさらなる領地拡大に励み、いつしか下図にある 範囲をその「最大版図」(領土・領域・勢力範囲)とするようになっていました。 ざっくり言うなら、~モ…
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日本史の「ツッパリ」22 戦国ボランティアの聖戦

~山口県周防大島町で8月12日から行方不明になっていた2歳の男児が   15日、無事に保護された。 山中で男児を発見したのは、ボランティアで   捜索に加わっていた大分県の尾畠春夫さん(78)だった~ そもそも「ボランティアで捜索」という発想すら持ち合わせていなかった 筆者は~わずか30分ほどで男児を無事救出~という劇的なニュー…
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日本史の「逆転」22 異国・異人に拘った幕末風景

黒船来航(1853年)の翌年に日本再来航を果たしたアメリカに対して、 心ならずも「日米和親条約」(1854年)を締結せざるを得なかったのが 時の幕府でした。 長崎「出島」に拠点を持つオランダ国以外の、新たな「異国」である欧米との 関りを持つことは、それまで継続してきた実質的な「鎖国体制」に幕府自身が 終止符を打ったことになり、…
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日本史の「付録」09 頭のテッペンに祖法あり

ものごとを比較するのび、世界の、あるいは日本の「三(大)○○」という 表現がよく使われます。 筆者の生息地・名古屋辺りでいうなら、たとえば 「郷土の三英傑」※とか「徳川御三家」※という表現などがそれに該当します。 ※織田信長(出身:尾張)/豊臣秀吉(出身:尾張)/徳川家康(出身:三河) ※尾張徳川家(家祖:家康 9男・義直/6…
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