日本史の「トンデモ」03 精神が敵機を撃墜する

第119代・光格天皇(1771-1840年)以来およそ200年ぶりとなる平成の「譲位」
に当たって、天皇陛下(第125代/明仁/満85歳1933年生)は、その心境を
こう漏らされました。
~平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵して
  います~

その思いによほど強いものがあったのでしょう、いささか涙声にも聞こえた
ほどでした。

その脳裏には、父帝(第124代・昭和天皇/1901-1989年)が担ってきた
「昭和」という時代の過酷な状況があったものと推察されます。
実際この昭和時代の前半期は戦争続きでした。
1937(S12)年に当初支那事変と称した日中戦争が始まるや、その解決の
糸口すらつかめないままに、続けざまに新たにアメリカを相手とした
「太平洋戦争」に突入(1941年/S16)していった歴史があるからです。

天皇陛下(明仁)は、この戦争によって自ら疎開経験もされただけに、
平和を願う気持ちには強いものがあって先のお言葉になったのでしょう。
さて、「平成」という「戦争のない時代」を経た今、自然な気持ちでその前の
「戦争が続いた昭和の時代」を振り返ってみると、実はとてつもなく大きな
疑問にぶつかります。

たとえば、
~(中国)大陸で目いっぱいの戦闘を繰り広げているさ中にあって、さらに、
  強大国家・アメリカを相手に新たな戦争を始める。 こんな大それたことを
  いったい誰が考えつき、実行したものか?~

相撲なら、実力せいぜい十両程度の力士が、幕内力士を相手に取り組む
はずが、ひょんな維持針から、それと同時に大関・横綱クラスをもう一人相手に
加えようというのですから、まったくもって「常軌を逸した無謀」です。

要するに、誰が見たって「勝てっこない」と戦争でありながら、実際にはその
「常軌を逸した行動」に突き進んでいるのです。
とても、妙な行動には違いありませんが、日本の政府としても、そのことに
まったく気が付いていないわけではありませんでした。

この年(S16)の日本側内閣は、近衛文磨(1891-1945年)が率いていました。
一方のアメリカは、対日石油全面輸出禁止等の制裁強化を図るなど、
アジアにおける日本の横暴に歯止めをかけるべく腐心を重ねていました。 
こうした措置によって経済的窮地に立たされる羽目に陥った日本は、
打開策として、「対米外交」を模索するのですが、相手のアメリカは、
結果的にこれを拒否。

外交に望みをかけていた近衛の姿勢に激怒したのが陸軍大臣の地位に
あった東條英機(1884-1948年)でした。
~(戦争回避のために)交渉を譲り続けるのは、外交ではなく、もやは
  降伏であるッ~


「(対米戦争勝利には)自信が持てない」とする近衛は、結局内閣総辞職
(10月)に追い込まれたのですが、実は次の内閣はこの東條英機に大命降下
されたのです。
~(近衛の)譲る外交は降伏である~と批判しているのですから、明らかに
近衛とは逆方向の政治姿勢を目指したものです。
つまり、近衛時代に比べたら「開戦」の可能性が飛躍的に高まってしまった
ことになります。

しかし、近衛がこの時「自信が持てな」かったのは、ある意味当然で、直前に
実施した「総力戦机上演習研究」において、日米戦争は「日本必敗」との
結果が示された事実があったからです。

「日本必敗」のシミュレーション結果があるにも関わらず、その戦争に意欲を
燃やす陸軍大臣に大命降下されるなんてこと自体が、本来からすれば
とってもヘンな展開であって、事実この組閣命令には当の東條本人が
一番驚いたとされています。
まことに捻りの効いた運びですが、これには内大臣・木戸幸一(1889-1977年)
の目論見が働いていたようです。

~東條は天皇の意向を絶対視する人物であるから、昭和天皇の意を汲んで
  戦争回避に持っていくには一番有効な首班ではないか~

戦争路線に足を踏み出している人物に戦争回避の役割を背負わせようと
するウルトラ高等戦術?ですから、常識的見地からすれば、いたって分かり
にくいお話です。
逆に言うなら、一種のバクチであり、平和をそこに賭けたことになります。

太平洋戦争開戦01 東條英機01









太平洋戦争・開戦/総理大臣・東條英機

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ところが、組閣後三週間ほどで、東條内閣はいわゆる「真珠湾奇襲」
実施し、日米戦争の幕を切って落としたのですから、その意味では、
内大臣・木戸幸一の凝りに凝った?逆転的発想も、まったくの思惑外れに
終わったということになりそうです。
つまり、天皇周辺はこのことによって開戦の抑止力になると考えたのに対し、
東條本人は天皇の真意を誤解し、こう受け止めたワケです。
~私が選ばれたのは、戦争に勝つためであるッ~ (最終的な勝利を
  収めるためならば、国民にどれだけの犠牲を強いても構わない)
まさに、「ボタンの掛け違い」によって「本末転倒」の状況を招いてしまった
ことになりそうです。

平和日本における現代日本人からすれば、国家の命運をバクチに賭けると
いう行動自体もも摩訶不思議に感じられますが、さらに追い打ちの気分を
味わうのは、対米戦争開戦後の指導者たちの言動です。

客観的には、/精神論が大好き/妥協は敗北とする教条主義/さらには
(そうしたことによる)事実誤認は当たり前/を当然のこととしていたように
見えます。 (昭和史関連の著書も多い作家・保坂正康の言葉)

なかでも陸軍、とりわけそのトップに立つ東條英機の言動には、現代日本人
の多くが、おそらくは腰が引ける思いを抱くものと思われますので、少しだけ
紹介しておきましょう。

~敵機を何で撃ち落とすか?~
飛行学校を訪ねた際に、東條が学生に投げかけた質問です。 
当然のように、~高射砲でありますッ!~と答える学生に、東條は、
~イヤ、それは違うッ、精神で撃墜するのだ~

これに似た東條の言葉をもう少し。
念のためですが、これらは映画ドラマなどによって創作されたものではなく、
全ては東條本人が発し、何らかの形で記録されている言葉です。

「日独伊三国同盟」(1940年調印)で連合国に対する枢軸国連帯を強化
したものの、1943年には、そのうちの「伊(イタリア)」が降伏し早々と脱落。 
こうした現実に直面した際の東條はこう言い放ちました。
~(小者が脱落したことで)かえって枢軸体制はすっきりした~

また、1944年に日本の統治下にあったマーシャル群島(現・マーシャル諸島)
の島々をアメリカ軍に奪還・制圧されると、
~物事は考えようで、むしろ敵の背後に我が基地があると考えればよい~

さらに、精神論の極めつけは、
~戦争とは精神力の勝負であり、五分五分のときには実は六分四分で
  わが方が有利。 六分四分、あるいは七分三分で不利のときが五分五分
  なのだ~


こうした精神論の亡者が戦時国政を担い続けたのですから、つまり、
こういうことが言えるのかもしれません。
~亡国の思想にとり憑かれ判断力を失った東條初め、その周辺の軍人
  たちは、自らが「精神論原理主義者」であることにも、またその異様さにも
 まったく気が付いていなかった~


それがために、この戦争にもはや勝利はないと分かった段階に至っても、
なお降伏に踏み切れず、その果てに300万人を超える戦没者、人類史上初の
原子爆弾による大惨事などを被る羽目に陥ったのです。

そうした昭和の時代に思いをすれば、
~平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵して
  います~

この天皇陛下のお言葉には重いものを感じます。

そういう意味では、新たな天皇にも、
~令和が戦争のない時代で(あったことに)心から安堵しています~
先帝と同様にこのお気持ちを味わっていただきたいと思うのは、日本国民の
多くが抱く素直な感情なのかもしれません。



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