日本史の「怪人」20 妊娠15ケ月の万世一系

昔々のある女性の主張です。
~生まれた子の父親が夫であることは間違いありません~
我が国の古い記録にも残されいるお話です。
しかし、この主張に対してこんな反論が出ても不思議ではありません。
~それはとってもヘンだ! だって、それだとアナタのお子さんの誕生は
  貴女の夫が亡くなってから一年以上も経過してからのことになります
  からねぇ~

生物学的見地からしても当然のツッコミです。

そこで、彼女はこんな説明も重ねました。
~お疑いはごもっともですが、実はワタシ、最大の努力を重ねることで出産
  時期を遅らせたのです。 ですから、その努力に応えて誕生した我が子の
  父親が私の夫であることは何らの疑いようもない事実なのです~


こんな駄ボラを聞かされる側は、さらにツッコミを入れます。
~いったいどうやって出産時期を遅らせたっていうのか? ええぇ~
さらに続く彼女の説明はこうでした。
~3個の石を巻きつけて腰を冷やすことにしましたが、この方法は大変に
  効果的で、出産時期を妊娠15ヶ月目まで遅らせることができたのです~


史実というより、伝説・神話に属するお話に感じられますが、ここで登場
人物を軽く補足しておくと、こんな案配になります。
まず第一に、このトンデモ話を披露・主張しているのが神功皇后で、その
夫として登場している方が、あの有名な英雄ヤマトタケルの子息とされて
いる第14代・仲哀天皇、さらには妊娠15か月目に誕生されたお子様と
いうのが、後の第15代・応神天皇です。

それにしても、不思議に感じられるは「妊娠15か月目の出産」というトンデモな
主張です。
昔の人だっておそらくはマトモに受け止めないであろうこんなヨタ話を、
なにゆえ神功皇后(正確にはこの記録者)は強く主張したものか?
それには、そうせざるを得ない事情があったものと推測されます。

さて、落ち着いて思考すれば、応神天皇が普通の妊娠期間で誕生して
いたのなら、その子の父親は仲哀天皇ではないことになります。
だって、夫・仲哀天皇は神功皇后の懐妊より以前の時期に既に亡くなって
いるのですから当然の結論です。

つまり、神功皇后(正確にはこの記録者)には、何が何でも
「応神天皇の父親は仲哀天皇」とする必要があったわけですが、ではなぜ
「第15代・応神天皇の父親は第14代・仲哀天皇」でなければならないのか? 
そんなもん、決まっていますがね。

そうでなかったら、この国の大原則である「万世一系」に疑惑がもたれて
しまうからです。
たぶん、この頃はまだ天皇という称号はなかったのでしょうが、それでも
「天皇家」の血統は連綿として正しく継承されていること、つまり「万世一系」
よる天皇の血統の正統性が維持されていることは主張しておく必要が
あります。

ましてや神功皇后の場合は、より声高に主張する必要がありました。
仲哀天皇の御子であるからこそ、天皇資格者とされ、また万世一系の
正統性を継承できるというのに、実際に自分が身ごもった子供の父親は
仲哀天皇ではなかった(と思われる)からです。
その辻褄を合わせるために、「妊娠15か月目の出産」という主張が必要に
なりました。

つまり、天皇の座が第14代・仲哀から第15代・応神に引き継がれたことは、
単に天皇の代替わりというだけでなく、ここで「血統交代/王朝交代」
あったことを示唆しているのかもしれません。
実も蓋もない言い方をすれば、それまでの「万世一系」は、ここで途絶えた
ということです。

現に、そう指摘する向きも少なくないようですから、あながち荒唐無稽な
トンデモ説と切って捨てるわけにもいきません。
そのように解釈すればできなくもない「事件」が、この後に起こっているから
です。
ただし、我が国の古い記録に紹介されている顛末ですから、確実な史実とも、
あるいは伝説・神話に属するお話とも、そこらへんのところは判然としていない
ことは留意する必要がありそうですが。

実は、応神天皇誕生以前に仲哀天皇には、応神から見れば異母兄にあたる
二人の息子、香坂(かごさか)皇子と忍熊(おしくま)皇子がいたのです。

神功仲哀01










 仲哀天皇/神功皇后

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「日本書紀」によれば、彼らの行動はこう説明されています。
~(仲哀天皇崩御後)神功皇后は筑紫(福岡県)で御子(後の応神天皇)を
  出産すると、それを聞いた香坂皇子と忍熊皇子は、次の皇位がこの幼い
  御子に決まることを恐れ、共謀して皇后軍を迎撃しようとした~

彼らは、神功皇后・御子側に対して全面対決の姿勢を示したということです。

つまり、亡くなった仲哀天皇の二人の皇子(香坂/忍熊)は、神功皇后が
生んだ御子の父親を仲哀天皇だとは認めていなかった。
~この御子を、我らと同様に仲哀天皇を父親とする異母弟と認めるには、
  どうしたって生まれ月の計算が合わぬ・・・何しろ「妊娠15か月目の出産」
  だもんな~


多分、香坂・忍熊兄弟の直感の方が正しいのでしょう。
お話の成り行きが不利と見た神功皇后側は、後世に予想される視線を
予防するために、多方面でいろいろな粉飾を行ったことが窺えます。
まず、諡号(死後に贈られる名)がそれです。

何しろ、母親が「神功皇后」であり、生まれた御子の諡号が「応神天皇」
です。
「神」の字の付く諡号を持つ天皇は、たったの三人※しかいないのにです。
※(初代・神武/第10代・崇神/第15代・応神)

しかも、「神」の字の付く皇后の諡号ときたら、後にも先にも彼女ポッキリ
ですから、こうなってくるといささか尋常な展開とはいえません。
この二人の諡号に漂う「必要以上のヨイショ感」に、いささかの暑苦しさを
感じるのは、何も筆者だけでもありますまい。

なに、アナタは感じないってか?
それは単にアナタの感受性が鈍いということに過ぎず、まあ普通の人間なら、
多かれ少なかれ厚苦しさを感じるものですって。
それはともかく、では神功皇后側に対決姿勢を見せた香坂・忍熊の両皇子は
その後に、どんな顛末を迎えたものか。

神功皇后・応神天皇への持ち上げ方とは全く逆で、こんな説明になって
いるのです。
~反乱の成否を占おうと狩りを行った香坂皇子は、その際にドッコイ猪に
  逆襲され亡くなってしまった~


こればかりではありません。 もう一人の忍熊皇子については、
~この不吉な前兆にすっかりビビってしまった忍熊皇子は、ついたケチを
  払拭しようとばかりに一旦退却の行動に出た~


追い打ちをかける説明が、さらに続きます。
~その後体勢を立て直して、再度皇后軍に立ち向かった忍熊皇子だった
  が、敵側作戦参謀の策略にまんまとはまって、結局は敗死に至った~

神功皇后軍のカッコよさに比べ、香坂皇子も忍熊皇子も見せ場もなく
随分とだらしなくやられてしまっているのです。

神功・応神側の主張は、早い話がこう言うことです。
~正義は我にあり。 我らこそが「万世一系」のルールを継承すべき正義の
  官軍であり、香坂・忍熊らはそのルールを妨害しようとした極悪非道の
  大悪人・賊軍である~


しかし、この説明は黒を白と言いくるめるような強引さが漂っています。
間違いなく仲哀天皇の息子である香坂・忍熊皇子が、「妊娠15か月目」に
生まれた応神天皇に対して疑惑の目を向け、父・仲哀が引き継いだ
「万世一系」を、その神功・応神側から守ろうとしたのも、これまた当然の
ことです。

つまり、「万世一系」のルールに従えば、皇位は香坂・忍熊側が受け継ぐべき
ものであったのに、武力に勝る神功・応神側がそれをちゃっかり簒奪する
ことで、事実上の「王朝交代」を成し遂げたと見るべきかもしれません。

こうした自らの行動の正当化には、さらに華々しいお話を必要としました。
それが、神功皇后自らが指揮し勝利を収めたとする、いわゆる「三韓征伐」
のお話ですが、このあたりもまた、確実な史実とも、あるいは伝説・神話に
属するお話ともイマイチ判然としていません。

史実ともあるいは伝説・神話との断定できないファジーな記録って、反面では
歴史に対するファンタジー領域が広がることにも繋がって、結構楽しいもの
ではあります。 なに、アナタはそうは感じないってか?
そういうことなら、然るべき処で、アナタの感受性を一度入念にチェックされる
ことをお勧めします。



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