日本史の「言葉」28 前後左右どっちから見て?

たまたま手にした本を眺め読みしていたら、着物(いわゆる和服)について、
こんな説明にぶつかりました。
~養老3(719)年、元正天皇が襟を右前にせよとの「右衽(うじん」の令」を
  発しました。
  ここから、着物は右前に着るようになり、現代まで続いています。~

ちなみに、元正天皇(第44代/680-748年)は、第40代・天武天皇
孫娘に当たる女帝です。

~ふぅむ、昔は着物の着方まで法律で決められていたのか~
これはこれで、ちょっと意表を突かれた感じもありましたが、これとは別に
「着物は右前に着る」という部分には、いささかの違和感を覚えたのも
事実です。
なぜなら、現在の和服は、これとは真逆の着方をしているように思えた
からです。

だって、説明は「右前」と言ってござるのですよ。
だったら、こう受け止めるのは何も筆者だけではありますまい。
~着物の衿部分が、着ている自分の体の前面で「右衿を前」に重ねる
  着方が正しい~

そうなると、一般的にはこれと逆の着方をしていることになるではないか!
いったい、どうなっているんだッ!

そこで、とっても面倒くさいのを押し殺して、この重大な違和感を解明
すべく努力を重ねてみると、
~着物を着るときの「前」という言葉の意味は、時間が「前」という意味~
という説明にぶつかりました。

つまり、「位置的な前」ではなく「時間的な前(先)」を言い表したもので、
右衿をまず先に体に付け、その後に左衿をそこに重ねる・・・こうした手順を
「右前」と表現しているようです。
だったら、素直に「右(が)先/左(が)後」くらいの表現を用いればいい
ものを、なんちゅう、ややこしい言い方をするのだ!

「右前」という言葉にこうした勘違いを抱く人は、何も筆者だけではない
ようで、その解消策としてこんな判別法を薦める向きもあるようです。
~そりゃあアンタ、自分が着た時の「右前」を考えるから、右か左か前か
  後かとことんワケが分からなくなっちゃうのだ、ええぇ違うか~

確かにその通り、そこに引っ掛かりを覚えるのです。

そこで、「右前」という言葉で頭が混乱している若者に向かって、この親切な
オジサンは、こんな説明に及びました。
オジ~長年の伝統だから、即刻に取り消せとは言えないが、自分が着物を
     着る場合に「右前」という言葉を使うのでは、勘違いを招きやすいは
     事実だ。 そこで、こんな見分け方はどうだ!?~

若者~ああッ、それは素晴らしい方法ですね~

オジ~答えを聞く前にヨイショを先回りするでない! 
     えぇか、自分が着た姿で勘違いしやすいのなら、他人様が着た時の
     姿で見分ければよいではないか。 
     これは「右前」の本来の定義から外れた判別法かもしれんが、
     少なくとも勘違いなく「右前」を理解できるゾ~

若者~ああッ、それは素晴らしい方法ですね~

オジサンの説明は続きます。
~要するに、正しく着物を着た人に正対して、つまり自分から見て、
  右側の衿の方が前になっているのを「右前」と理解するなら、
  間違えようがないハズだ、ええぇ違うか?~


確かに、その方法で判別は付きそうですが、その昔の元正女帝
なんでまた「右前にせよ」なんてお節介を?
そんなもん、個人の自由裁量に任せておいても良かったような気もするの
ですが、それでは不都合があったのでしょうか?

実はありました。
当時の先進国「唐」(中国/618-907年)の「左前は蛮族の風習」であり、
「文明人は右前」というポリシーに倣ったのです。
要するに、多少背伸びしてこう言いたかったのでしょう。
~我が国は決して蛮族ではないゾ。 先進文明国であるく中国とまったく
  同様に着物を「右前」にしていることが何よりの証拠であるッ~


着物女性01 左大臣右大臣01








着物(右前)/(向かって右)左大臣VS右大臣(向かって左)

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この「右前/左前」と同様な分かりにくさを備えた言葉の一つに、
「右大臣/左大臣」があります。
ともに、朝廷の最高機関である太政官職の一つですが、簡単に言えば、
右大臣より左大臣の方が偉いとされています。

では、この大臣の「右/左」って、なんのこと?
~どちらかと言えば、保守的・反動的な政治姿勢の傾向にあるのが
  右大臣で、それに対し、左大臣には革新的・急進的な言動が強い~
とっくにお気づきでしょうが、これは「右翼/左翼」の説明であって、
本来の「右大臣/左大臣」とは全く無関係ですから、うっかりお間違えに
ならないよう十分にご留意くださいね。

それはさておき、こんな理屈で「左大臣」の方が格上とされているようです。
~天子は南面し、臣下は北面す~という中国の古い言葉があり、それに
従えば、南を向いた天子から見て、日が昇る方角は「左」(つまり東)になる
ため、東の勝ちになったようです。

そういえば、聖徳太子(574-622年)が、隋(581-618年)の皇帝・煬帝
(569-618年)に送った国書でも日が昇る方角にえらく拘っていましたっけ。
~日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや~
昔の人は、日が昇ることを「とっても凄いこと」と評価していたのかもしれ
ません。

そのためでしょうか、ひな祭りの雛段飾りでも、南面する天子から見て
「左」(日が昇る方角)に格上の左大臣、そして「右」に右大臣となります。
ということは、先ほどの着物の「右前」と同様に幾分のややこしさが伴う
ものの、この「左右判別」は、ひな壇に向かった人から見れば、恐ろしい
ことに、「右が左大臣」で「左が右大臣」ということになるわけです。

着物の「右前」にせよ、はたまた「左大臣・右大臣」にせよ、もっと複雑な
左右判定を必要とする場合もありそうです。
たとえば、着物姿に正対せず、鏡に映して眺めた場合には「右前」はどう
なるのか?
はたまた、逆立ちしてその鏡を眺めたら、見ている人間にとって、元々の
「右前」は、どのように映るものなのか?
好奇心が旺盛かつ体力の有り余っている方はぜひ試してみてください。
ひょっこり、「右前」の新概念が誕生するかもしれませんゼ。



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