日本史の「付録」08 現世は儚し来世は墓無し

まず最初に、本稿は「儚し(はかなし)」と「墓無し(はかなし)」を掛詞にした
タイトルにしていることをお伝えしておきます。
これは単なる遊び心であり、そこに重い意味を持たせていりわけではあり
ませんが、このことに気付かないウッカリ者のために念のために注記して
おく次第です。

さて、ここ数年のこと、「墓じまい」なる言葉をよく耳にするようになりました。
お墓の遺骨を散骨したり、あるいは他所に合祀したりした上で、その「お墓」
自体を撤去してしまうことですが、これが最近になって確実に増加している
ようです。

祭祀継承者が途絶えてしまえば、そのお墓は「無縁墓」という名を冠されて、
さらにその後(最終的)には、他人によって撤去処分されてしまうわけですから、
それはさすがに忍びない。 
そこで、自分の遺志でもって、自分の代にきっちり締めくくりを付けること。
これが、言い換えれば「墓じまい」ということになります。

あぁ、先にお断わりしておきますが、これは「墓じまい」という選択肢も必用と
する場合のお墓についてのお話です。
由緒も格式も備えた文字通りの「先祖代々(○○家)の墓」であって、さらには
従来もまた将来も不安も「墓守」の継続に何らの不安がないお墓の場合には、
お話はまったく別になりますのでどうぞ誤解なきように。

さて、とある調査によれば、上記の「無縁墓」に近い状況にあるお墓は、
現在時点で40%程度とされているようです。
想像していたより高い数字でちょっと驚くのですが、ところがこれがさらに
10年先ともなると、グンと跳ね上がって60%以上に達するとの予測も
されています。

言葉を換えれば半分以上が「無縁墓」となるわけで、今は普通に思われ
ている「有縁墓」?の方が、近い将来には珍しい存在になるということです。
なんとも「墓受難」の時代ですが、こうした数字を目の前に突き付けられると、
「墓じまい」という選択が案外に身近にも感じられてくるものです。

条件が整わなければ、「墓守」という仕事は継続できるものではないことは
言われてみれば、確かにその通りです。
仮に、墓から遠く離れた土地に生活拠点を移す必要に迫られた場合など
でもできなくなりますし、逆に墓の近くで生活していても「墓守」自身が
入院生活を余儀なくされる健康状態でも、これまたできません。

こうした場合、「墓じまい」は切実な問題として迫ってきます。
~墓守が充分にできないなんて、御先祖様に対してメッチャ申し訳ない
  ことだ~

ついついこんな思いに駆られるのは、墓石の表面に刻み込まれている
一連の文字のせいかもしれません。
その文字列は、一般的にはこの程度の構成?になっているようです
・・・「先祖代々(○○家)の墓」

~おいおい、先祖代々ってか、凄まじい表現だなあ・・・こうなると
  「墓じまい」ってのは、オレ自身が御先祖様のキャリアのすべてを
  廃棄する作業にも思えてきてしまうではないか~


いわゆる祭祀継承者の立場にあれば、「墓守」を充分に果たせないのも
御先祖不幸なら、その御先祖様たちに立ち退きを迫る「墓じまい」もまた
それ以上の御先祖不幸に思えてくるわけで、そこにはまことに「心苦しい」
感情が去来します。

ところが、もう少しの冷静さを取り戻してみると、こんな素朴な疑問も湧いて
来ることもありそうです。
~待てよ! 墓に刻み込まれたこの「先祖代々」って、実際いつ頃の
  ご先祖様から始まっているのだ・・・戦国時代からか、それとも鎌倉時代
  あたりからなのか?~

墓じまい01






 


墓じまい/先祖代々の墓
 
東別院02












本願寺(名古屋)東別院

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そこで、今まではとんと無頓着だった「墓の始まり」?をちょっとばかり探って
みると、なんてことはない。
代数にすれば、多くてもせいぜい四・五代、時間に直せば古くてもまあ
100年チョイくらいで、新しいものなら、つい最近の「昭和時代」に作られた
「先祖代々(○○家)の墓」もあるくらいのものです。

~なんだぁ、たかだか数十年の「先祖代々(○○家)の墓」だったのか・・・
  それなら、御先祖代々の皆様に対して多少は申し訳ない気持ちも働く
  けど、まあ「死んでお詫びをせにゃならん」ほどメッチャ申し訳ないわけ
  でもないかもしれんなぁ~


さらに気持ちの負担を軽くする考え方も浮かんできます。
~要は考え方ひとつだ・・・「墓じまい」なんて仰々しい言葉を使うから、
  妙に大げさな「自責の念」?にかられてしまったが、早い話がダ、
  この「先祖代々(○○家)の墓」がまだ無かった、たかだか数十年前に
  状況に戻すだけのことじゃん~


「墓じまい」をもって、こうした御先祖様たちの境遇に一応のメドは付けた
ものの、今度は自分世代の死後環境が心配になってきます。
従来は考えたこともないこんな疑問が湧いてくるわけです。
~ええぇ? こうなると、オレは死んだら一体どこへ行けばいいのか?~
何しろ、「墓じまい」を断行しちゃった後のことですから、死ぬのに便利だった
「先祖代々(○○家)の墓」はもうとっくにありません。
 
でも、大丈夫ッ! 
~「先祖代々(○○家)の墓」なんぞは無くとも、実は人は自由気ままに
  思う存分死ぬことができる~
のです。
とある尾張者がこんな話をしていたことを、今ひょっこり思い出しました。

~世間では今頃「墓じまい」を話題にしとるけどよぅ、ウチなんかはとっくの
  昔から「ハカナシ」スタイルを貫いとるんだでぇ、どうだ参ったか~

別に降参はしませんが、尾張者特有のその品の無い言葉遣いには
ちょっと「参り」ます。

この尾張者の他愛ない自慢話は続きます。
~ウチの場合は、本願寺サンの「預骨(納骨)」システムを利用したでぇ。
  ちなみに、名古屋市内には東西両本願寺サンのそれぞれ「別院」が
  あるけどよぅ、地下鉄の駅名に「東別院」はあるけど、これが「西別院」は
  ないのだがねぇ・・・アンタこのこと知っとった?~
 
正直言って、この手の会話は疲れます。

要するに、重度の尾張弁のこの尾張者の御高説はこんなです。
~ええきゃぁ、幾分かの納骨費用(預る骨志)を納めることで、本願寺
  (この場合は「東別院」)全体を自家用のお墓とすることができるし、
  その上に有難いことに、その「墓前」?での読経は数多の坊サマに
  よって毎日欠かさずやってもらえるんだでぇ・・・ほんだでよぅ、この方法は
  「墓じまい」を思案中の人にもおススメということだがや~ 
あぁ、さよか。 でも、やっぱり疲れる。

この尾張者の駄ボラはさらに続きます。
~ええか、一時はブームと言えるほどの「クルマ(自家用車所有)熱」も
  最近はさほどでもなく、むしろその都度便利に利用できる「カーシェアリング」
  の方に注目が集まっていることを知っとるか?~

~あぁ知っとるがや~ こうした場合の礼儀?として尾張言葉で返したのが
大きな間違いでした。 
この尾張者のお話はさらに深みに落ち込んでいったのです。
~「クルマ(自家用車)の所有」がフィーバーした昭和時代には、
  「先祖代々(○○家」の墓」の方も同じように熱気を帯びたもんだ。
  だったら、所有より利用が重視されて「カーシェアリング」に注目が
  集まるクルマと同様に、「お墓」の方も、もうすぐ「墓シェアリング」全盛の
  時代を迎えるに違いないでぇ・・・つまり、昨今の「墓じまい」ブームは
  その予兆だっちゅうの!~

尾張者のこうしたヨタ話はともかくとして、いわゆる「無縁墓」をこれ以上
増やさないためにも、昨今話題になっている「墓じまい」は意義のある
決断であり行動ということになりそうです。

ただし念のために申し上げていけば、いかにこの「墓じまい」が活発に
なろうとも、「カーシェアリング」ほどに「お墓シェアリング」が注目される日は
来ないようにも感じられるところです。
だって、~お墓をシェアして、いったいどんなメリットが?~



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