日本史の「誤算」01 読者サービス?欠史八代
初代天皇として「古事記」や「日本書紀」にその名を挙げられる
「神武天皇」は、昔々の「庚午年」つまり、西暦に換算すれば、
ナント「紀元前660年」に即位(52歳)されたそうです。
要するに、釈迦や孔子やイエス・キリストなどのお歴々より
ずっと以前の人物ということになります。
そして、この「神武」さんの家系が「万世一系」をもって連綿と
続き、現在の「天皇家」に繋がるとされているのですが、
ただそこに学問的視点を持ち込むなら、反面では「欠史八代」
と呼ばれる疑問?も登場することになります。
この言葉のいわんとするところは単純明快で、神武から始まり、
(1) 神武(127歳) → (2) 綏靖( 84歳) → (3) 安寧( 57歳) →
(4) 懿徳( 77歳) → (5) 孝昭(114歳) → (6) 孝安(137歳) →
(7) 孝霊(128歳) → (8) 孝元(116歳) → (9) 開化(115歳) →
(10) 崇神(120歳)・・・ ※(数字)は「日本書紀」による享年
こう継承されてきたとされる系譜のうち、第2代・綏靖天皇から
第9代・開化天皇までの8人の天皇の実在は疑問である。
こう言っているわけです。
~真の初代は「崇神」(前148?-前30年?)であって、その古さに
少し (決して少しどころではないが) 箔を付けたいがために、
別に「神武」という変名?を名乗らせて活躍の年代を前倒し、
その間に8代の天皇を追加したのではないか?~
でも、なんでこんな疑惑を持たれてしまうのか?
これら八代の各天皇の尋常でない長寿命が、その理由の一つ
に挙げられます。
~軒並みなんと100歳以上 (以下の天皇もいる) の寿命~
確かに、人類史上空前の「超高齢社会」に生きる現代日本人で
さえ吃驚仰天する享年のオンパレードです。
次には皇位継承のパターンにも目が向けられます。
後の時代には兄弟間による相続が多く行われているのに対して
「欠史八代」では、すべてが父から子への、いわゆる「父子相続」
になっている点も不自然だと指摘されています。
「フシ相続」は「フシ然」・・・この手のダジャレ、ちょっと好きです。
さらには、初代・神武と第10代・崇神が同じ本名?を持つことも、
その理由として挙げられています。
どちらも「初めて天下(国)を治めた天皇」という意味の
「ハツクニシラススメラミコト」を名乗っているのです。
何事にせよ、「ハツ」(初)を名乗れる人物は普通は一人だけの
はずで、それが二人も存在することに首を傾げるわけです。
こうした状況証拠が揃っているのですから、妥当な結論として
「欠史八代」説を認めたくもなります。
ところがドッコイ、実際には「ちゃんと実在したゾ」とする説もある
のです。

歴代天皇湯呑み/神武二千六百年大祭(H27・04)
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これにもいくつかの見解があるようで、この考え方もその一つ。
~問題の「八代」を「天皇家」以外の「豪族」の王と解釈するなら、
なにも「欠史八代」ということにはならないゾ~
ただ、こうした説の妥当性を検討しようとするなら、そこはそれ
「伊都国」「邪馬台国」「葛城王朝」「狗奴国」など、メッチャ古い
国際情勢?に対する知識まで必要になってきます。
これは大いに煩わしいことであり、また当然のことですが、
筆者なんぞの知識レベルで判断できることでもありません。
多少の事情を説明しておくなら、筆者が「欠史八代」説支持に
廻っているのも、実はこうした「煩わしさ」から逃れたい一心から
なのです。
「根っからモノグサか!」とか「卑怯臭い奴だ!」などと糾弾され
れば、居直るわけではありませんが、確かにその通りだッ!
ちなみに、家系?を求めれば、神武天皇とは「天照大神」から
数えて、<1>子 <2>孫 <3>曾孫 <4>玄孫 さらに <5>来孫
この位置におられます。
そして、「天照大神」ご自身は「神代」の存在ですが、「神武」
以降は「人代」に所属?することになっており、つまり、
~「神様」をご先祖に持つ「人間」~という身分?ということに
なっています。
それで思うのですが、
~10代「崇神」が本当の初代であり、「神武」はデッチ上げ~
これがもし本当のことなら、この間の系統の流れを、なんでもっと
巧妙に創作しておかなかったのでしょうか?
例えば、この間の天皇8代を思い切って20代くらいに水増しして
おけば、それぞれの享年?も治世期間?も比較的穏やかな
数字になったはずです。 しかし、なぜかその類の情報操作?
には不熱心だった様子が窺えます。
もっとも見方を変えれば、この「百歳越えの寿命」という展開
こそが微妙な味付けとなって、無理なく?「神代」と「人代」の
間を繋いでいると言えなくもありません。
~「神代」で名を売った家系が「人代」に入ったとたんに、
まるっきり「人並み」?の寿命になってしまう~
確かにこれでは、説得力も迫力も不足して読者?に物足りなさ
を感じさせてしまいますからね。
その意味では、「百歳越えの寿命」とは作者?の苦心のアイデア
であり、読者?対する優しい心遣い・サービスと受け止めるのが
正しい態度なのかもしれません。
ちなみに、仮に自分を「±0世代」として「血統」を示すと、
「-4世代」高祖父母(こうそふぼ) → 「-3世代」曾祖父母(そうそふぼ)
→「-2世代」祖父母 (そふぼ) → 「-1世代」父母 (ふぼ)
→『±0世代』本人 (ほんにん) → 「+1世代」子 (こ)
→「+2世代」孫 (まご) → 「+3世代」曾孫 (ひまご)
→「+4世代」玄孫 (やしゃご) → 「+5世代」来孫 (らいそん)
→「+6世代」昆孫 (こんそん) → 「+7世代」仍孫 (じょうそん)
→「+8世代」雲孫 (うんそん) → 「+9世代」雲孫の子
このような流れになるそうです。
つまり、「欠史八代」とは、読者サービス?の点では満点ながら、
初代・神武天皇ご本人にしてみれば、「万世一系」を疑われた
上に、自らの「雲孫」まですべてが「架空の子孫」と言われている
ことになるわけです。 そうであれば、神武天皇ご本人はイマイチ
すっきりしない気分を感じておられるのかもしれませんねぇ。
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「神武天皇」は、昔々の「庚午年」つまり、西暦に換算すれば、
ナント「紀元前660年」に即位(52歳)されたそうです。
要するに、釈迦や孔子やイエス・キリストなどのお歴々より
ずっと以前の人物ということになります。
そして、この「神武」さんの家系が「万世一系」をもって連綿と
続き、現在の「天皇家」に繋がるとされているのですが、
ただそこに学問的視点を持ち込むなら、反面では「欠史八代」
と呼ばれる疑問?も登場することになります。
この言葉のいわんとするところは単純明快で、神武から始まり、
(1) 神武(127歳) → (2) 綏靖( 84歳) → (3) 安寧( 57歳) →
(4) 懿徳( 77歳) → (5) 孝昭(114歳) → (6) 孝安(137歳) →
(7) 孝霊(128歳) → (8) 孝元(116歳) → (9) 開化(115歳) →
(10) 崇神(120歳)・・・ ※(数字)は「日本書紀」による享年
こう継承されてきたとされる系譜のうち、第2代・綏靖天皇から
第9代・開化天皇までの8人の天皇の実在は疑問である。
こう言っているわけです。
~真の初代は「崇神」(前148?-前30年?)であって、その古さに
少し (決して少しどころではないが) 箔を付けたいがために、
別に「神武」という変名?を名乗らせて活躍の年代を前倒し、
その間に8代の天皇を追加したのではないか?~
でも、なんでこんな疑惑を持たれてしまうのか?
これら八代の各天皇の尋常でない長寿命が、その理由の一つ
に挙げられます。
~軒並みなんと100歳以上 (以下の天皇もいる) の寿命~
確かに、人類史上空前の「超高齢社会」に生きる現代日本人で
さえ吃驚仰天する享年のオンパレードです。
次には皇位継承のパターンにも目が向けられます。
後の時代には兄弟間による相続が多く行われているのに対して
「欠史八代」では、すべてが父から子への、いわゆる「父子相続」
になっている点も不自然だと指摘されています。
「フシ相続」は「フシ然」・・・この手のダジャレ、ちょっと好きです。
さらには、初代・神武と第10代・崇神が同じ本名?を持つことも、
その理由として挙げられています。
どちらも「初めて天下(国)を治めた天皇」という意味の
「ハツクニシラススメラミコト」を名乗っているのです。
何事にせよ、「ハツ」(初)を名乗れる人物は普通は一人だけの
はずで、それが二人も存在することに首を傾げるわけです。
こうした状況証拠が揃っているのですから、妥当な結論として
「欠史八代」説を認めたくもなります。
ところがドッコイ、実際には「ちゃんと実在したゾ」とする説もある
のです。


歴代天皇湯呑み/神武二千六百年大祭(H27・04)

↑応援クリックは↑
これにもいくつかの見解があるようで、この考え方もその一つ。
~問題の「八代」を「天皇家」以外の「豪族」の王と解釈するなら、
なにも「欠史八代」ということにはならないゾ~
ただ、こうした説の妥当性を検討しようとするなら、そこはそれ
「伊都国」「邪馬台国」「葛城王朝」「狗奴国」など、メッチャ古い
国際情勢?に対する知識まで必要になってきます。
これは大いに煩わしいことであり、また当然のことですが、
筆者なんぞの知識レベルで判断できることでもありません。
多少の事情を説明しておくなら、筆者が「欠史八代」説支持に
廻っているのも、実はこうした「煩わしさ」から逃れたい一心から
なのです。
「根っからモノグサか!」とか「卑怯臭い奴だ!」などと糾弾され
れば、居直るわけではありませんが、確かにその通りだッ!
ちなみに、家系?を求めれば、神武天皇とは「天照大神」から
数えて、<1>子 <2>孫 <3>曾孫 <4>玄孫 さらに <5>来孫
この位置におられます。
そして、「天照大神」ご自身は「神代」の存在ですが、「神武」
以降は「人代」に所属?することになっており、つまり、
~「神様」をご先祖に持つ「人間」~という身分?ということに
なっています。
それで思うのですが、
~10代「崇神」が本当の初代であり、「神武」はデッチ上げ~
これがもし本当のことなら、この間の系統の流れを、なんでもっと
巧妙に創作しておかなかったのでしょうか?
例えば、この間の天皇8代を思い切って20代くらいに水増しして
おけば、それぞれの享年?も治世期間?も比較的穏やかな
数字になったはずです。 しかし、なぜかその類の情報操作?
には不熱心だった様子が窺えます。
もっとも見方を変えれば、この「百歳越えの寿命」という展開
こそが微妙な味付けとなって、無理なく?「神代」と「人代」の
間を繋いでいると言えなくもありません。
~「神代」で名を売った家系が「人代」に入ったとたんに、
まるっきり「人並み」?の寿命になってしまう~
確かにこれでは、説得力も迫力も不足して読者?に物足りなさ
を感じさせてしまいますからね。
その意味では、「百歳越えの寿命」とは作者?の苦心のアイデア
であり、読者?対する優しい心遣い・サービスと受け止めるのが
正しい態度なのかもしれません。
ちなみに、仮に自分を「±0世代」として「血統」を示すと、
「-4世代」高祖父母(こうそふぼ) → 「-3世代」曾祖父母(そうそふぼ)
→「-2世代」祖父母 (そふぼ) → 「-1世代」父母 (ふぼ)
→『±0世代』本人 (ほんにん) → 「+1世代」子 (こ)
→「+2世代」孫 (まご) → 「+3世代」曾孫 (ひまご)
→「+4世代」玄孫 (やしゃご) → 「+5世代」来孫 (らいそん)
→「+6世代」昆孫 (こんそん) → 「+7世代」仍孫 (じょうそん)
→「+8世代」雲孫 (うんそん) → 「+9世代」雲孫の子
このような流れになるそうです。
つまり、「欠史八代」とは、読者サービス?の点では満点ながら、
初代・神武天皇ご本人にしてみれば、「万世一系」を疑われた
上に、自らの「雲孫」まですべてが「架空の子孫」と言われている
ことになるわけです。 そうであれば、神武天皇ご本人はイマイチ
すっきりしない気分を感じておられるのかもしれませんねぇ。

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