日本史の「言葉」20 十万犠牲者”諸宗山”の弔い

先日「無宗教葬」?というものを初めて経験してきました。
「無宗教」ということですから、一般的な葬儀によくある
「お経」が伴わなかったことは理解できます。
ところが今回の場合、「焼香」は行われました・・・「焼香」って
宗教行為(仏教)なのでは?

どうやら、この「無宗教葬」という言葉がちょっとクセ者で、
実際には厳格な意味での「無宗教」を指すものでもなく、まあ、
~特定の宗教宗派の儀礼によらない葬儀~くらいの感じで
使っているようです。
それなら、その表現も「自由葬」とか、あるいは単に「葬儀式」
程度の方が分かりやすいのかとも思ったところです。 

それで、ヒョッコリ「回向院」のことが頭に浮かびました。
~そういえば、ここも「無宗教」?・・・ぁ違った、こちらは
  きっちり「仏教」だから「無宗派」?というべきか?~


この回向院は、本家?両国の他にもうひとつ、元々はその
別院だった南千住、この二つがあって、正式な名称は、
  両国「諸宗山 無縁寺 回向院」(1657年創建/浄土宗)
南千住「豊国山 回向院」(1667年創建/浄土宗)

両国回向院は、1657年の「明暦の大火」(別名・振袖火事)
犠牲者を葬った「万人塚」がそもそもの始まりとのことで、確かに
この大火と寺の創建は同じ年の出来事になっています。

大火による犠牲者があまりにも多かったために、とても民間
だけでは対応し切れなかったのでしょう。
この事業は幕命、つまり政府主導で行なわれました。
※その数は10万人以上とも言われています。

さらに、この後に起きた「安政大地震」を初めとして、水死者・
焼死者や横死した者などの無縁仏もここに埋葬されています。
※1855年の「安政江戸地震」(死者1万人ほど)を指す場合が多い。

これほどの大勢の人を弔おうとするなら、それこそ「宗旨宗派」に
拘っている暇もありません。
そこで、それには捉われないという意味で、「“諸宗”山」という
山号が付けられたものと思われます。

ですから、どちらも「宗旨宗派を問いません」という姿勢が似て
いることもあって、冒頭のいわゆる「無宗教葬」?という言葉から
ひょっこり、この「諸宗山」を連想したわけです。

災害犠牲者ばかりではなく、さらには生あるもの全てを供養する
という理念から犬・猫・馬・鳥なども扱い、現代の「ペット葬」?の
先駆けとも言えるスタイルを整えていたようです。

実際、犬・猫自身が特定の宗派の信徒だとも思えませんから、
それを問わないという意味からすれば、この「“諸宗”山」という
名称はそれなりに的確なものだったかもしれません。


明暦の大火51











 「明暦の大火」(別名・振袖火事)1657年

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では、災害犠牲者の弔いがキッカケだった両国「回向院」
対し、南千住「回向院」はどんな目的で創建されたのか?
1651年に「小塚原刑場」が新設されたことが、そもそもの始まり
とされて、そこでの刑死者の弔いを目的としました。

刑死者とて、生前はいろいろな宗旨宗派に属していたでしょうが、
こちらも、それに捉われることなく供養に努めたことからすれば、
山号は「豊国山」となっているものの、実質的には確かに
「”諸宗”山の別院」として機能していたわけです。

幕末期の幕府による思想弾圧?「安政の大獄」(1858-1859年)
折に処刑された橋本左内(1834-1859)・頼三樹三郎(1825-1859)
・吉田松陰(1830-1859)などの方々も、ここに葬られました。

しかし、この「諸宗山」という表現には、ひょっとしたら日本人
特有の宗教的感性が隠されているのかもしれません。
なぜなら、「○○宗」信徒の刑死者が、異なる宗派の「××宗」で
葬られたとしても、当時の人ですら、そのことに特別の不自然や
違和感を持っていなかったことになるからです。

もっとも、こうした姿は現代日本人も同様で、年末年始の一週間
で、「クリスマス」(キリスト教)と「除夜の鐘」(仏教)と「初詣で」(神道)
を、慌しくこなしても、そのことに特段の違和感を覚えることは
ありません。 つまり、先人たちの「諸宗山」精神?を見事な
までに素直に受け入れていることになります。

その上さらには、現代風の「諸宗山」?を拡張しようとする動きも
見られます。 その中で人気があるのが「ハロウィン」※1、逆に
イスラム教の「ラマダン」※2などはさっぱり不人気な印象です。

※1) 元々は宗教的な行事。 現代では子供たちが魔女やお化けに仮装して、
   近所の家々を訪れてお菓子を貰ったりする風習/毎年10月31日
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※2) ヒジュラ暦の第9月。この月の日の出から日没までの間、イスラム教徒の
   義務の一つ「断食(サウム)」として、飲食を絶つことが行われる。


その「ラマダン」こそ、メタボ系日本人にはまさに”救世主”?だと
思えるのですが、「断食」?のイメージが先行するせいか、
これにはハナから拒絶反応が?
もしそうなら、これはこれで「飽食日本人」の面目躍如?と言う
べきところかもしれません。

そう言えば、日本では料理・食事の面でも「和食/洋食/中華」
など、それこそ「宗旨宗派」?を問うことはなく、ものの見事に
「諸宗山」精神?を発揮しています。
そうしてみると、「メタボ系日本人」?の原点を遡れば、案外この
「諸宗山」精神?に行き当たる・・・のかもしれませぬなぁ。





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