日本史の「忘れ物」01蓮如の業務改善

蓮如は村人たちに「御文(おふみ)」を読み聞かせていた。
蓮如 「どう?これなら少しは分かりやすい?」
村人 「確かに呪文みたいなお経に比べたら短いし、
    とっつきやすい感じはありますネ」
蓮如 「そうこなくっちゃ!そこが一番の苦労だったんヨ」


画像 蓮如には悩みがあった。
 阿弥陀如来の教えはとてつもなく素晴らしい
 モノである。
 にもかかわらず、人気の方はイマイチという
 より、ほとんどゼロに近い。
 この折角の素晴らしい教えをより多くの人に
 知ってもらうためには、さてどうしたモノか?

その解決策として、蓮如は平易な言葉を使う方法を選択した。
たとえば「充分な睡眠」とは言わずに、「よく寝る」という
敢えて耳に慣れた言葉を使う方法である。
このような編集方針で、お経のエッセンスを平易で短い文章に
アレンジしたものが、この「御文(おふみ)」である。

※中でも「朝には紅顔、夕には白骨・・・」の一文は有名?である。

その点、宗祖・親鸞は生真面目な上に、まあ原理主義者的
雰囲気を備えた人だったようで、このような「改革」はむしろ
「よろしくないこと」と受け止めていたフシがある。
この一本道の姿勢は人々には受け入れられず、本願寺が
いわば「倒産」寸前にまで追い込まれることになったのも
このあたりに理由があったのかも知れない。

要するに、宗祖・親鸞にとっては、仏の教えが絶対であり、
お客様満足度には無頓着であった、ということだ。
その点「経営建て直し」に腐心する蓮如は、このお客様
満足度
に対して敏感にならざる得なかった、のである。

事実、蓮如のこの地道な努力は報われ、この「御文」が
ヒット商品?になったことで、「浄土真宗」の知名度は上昇し、
またその信者数も大幅に増えたそうである。
このことは、その昔から信徒はやっぱり分かりやすい教えを
望んでいた、ということの証明でもある。

そもそも、宗教・信仰はその内容が理解されることで、人間の
心に響いていくものなのだから、人々に「神仏の教え」
そのものが伝わらないことには始まらない。
だから、キリスト教の経典「聖書」などはどの国の信徒にも
理解されるよう、それぞれの国の言葉に直すことに努め、
それがまたさらなる布教・伝道のための有効なツールに
なっていたことは歴史的な事実である。

ところが、仏教の経典?「お経」はそうなっていない。
蓮如の時代もおそらくそうだったと思われるが、現在でもその
漢字の羅列を「正しく読める」人はそれほど多くないだろうし、
さらにはそれが「どんな意味を示しているのか」については、
もっと少数の人しか分かっていない・・・ように思われる。

それにも関わらず、不思議なことに日本で仏教が滅んだワケでも
ない。 その証拠に宗教地図では、日本は一応「仏教国」の
範疇に分類されているのである。 しかし、よく考えてみれば
「仏の教え」にまったく無知・無頓着な「仏教徒」なんて、
ほとんどブラックジョークの世界であろうゾ。

それにしても、ひょっとしたら「お経」はお釈迦さん以来二千年余の
「人類の知恵の結晶」なのかも知れないのだ。
それなら、新しい発想で「お経」の中身を分かりやすい「日本語」に
直す試みが生まれてもいいのではないだろうか。

こうなると、「分かりやすい言葉のお経」は先人たちが先送りに
してきた「歴史の忘れ物」と言えるのかも知れないゾ。
その点、今から六百年近くも前に、既にこのことに気がつきその
作業に取り組んでいた蓮如さんという存在は驚嘆に値する。

蓮如 「そこでヌシたちにちょいとアンケートじゃ。さらに直した方が
    良い点があれば、ささ、遠慮なく改善提案を出してくれ」
村人 「でんにょ様、ホントに遠慮なくでよろしいでしょうか?」
蓮如 「それが既に遠慮というものじゃ。さて、なんじゃ?」

村人 「それなら申しますが、オレのように字の読めない者にも
    分かるような代物だと、心からシメシメですが・・・」
蓮如 「う~む、なるほど!それは一理あるな」
村人 「いいや、オレん家まではしっかり二里はありますダ」

この後、蓮如が「イラスト版・これが阿弥陀如来だ!」の編集に
取り組んだ・・・のかどうかは、実はよく分かっていない。


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