日本史の「ライバル」10 ベストセラー日本地図

江戸後期の1828年のこと、任期を終えたドイツ人医師・シーボルト
(1796-1866年)の帰国のための船が、たまたま起こった暴風雨によって
難破し、そのために積み荷が調べられることになりました。

その際、持ち帰ろうとした帰国用の荷物のうちに伊能忠敬(1745-1818年)
作成の日本地図などを含む多くの禁制品のあることが発覚し、結果として
五十数人もの多数の日本人が連座することになりました。
いわゆる「シーボルト事件」です。 

取調べは長引き、翌年になってシーボルトに対して出された判決は「日本追放」
でした。 しかし、なんでまたこんな厳しい判決に?
理由は明快で、シーボルトが持ち出そうとした地図『大日本沿海輿地全図』
(伊能図/伊能大図)は、この頃まだ「国家機密」だったからにほかなり
ません。
それを国外に持ち出そうとしたのですから、シーボルトの行為は、当然ながら
スパイのそれに該当します。

えぇッ、伊能図は国家機密だったの?
それなら、一般国民の目に触れることはなかったということなの? 
そうです。 国民みんなが知っている情報を「国家機密」とは言いません
からねぇ。
そういうことなら、シーボルトの頃の人たちの頭の中あった「日本地図」って、
大昔のいわゆる「行基図」ほどのものだったの?
当然の疑問です。


 map_gyoukizu_02.jpg 行基図

~(行基図とは)江戸時代初期以前に日本で作られた日本全図のうち、
 五畿七道の諸国を平滑な曲線で囲み、山城(京都)を起点とする諸国への
 経路を記入した簡略な図の総称。~

ただし、
~この種の図に奈良時代の高僧・行基(668‐749年)の作である旨の記載が
 あるが、後世の付会であろう。~
とされています。

ふーむ、なぁるほど、「江戸時代初期以前」はそういうことだったのか。
しかし、ちょっと待て。
だったら、「江戸時代初期以後はそうではなかった」と言っていることに
なるゾ。

そうこうするうちに、ぶつかったのが長久保赤水(せきすい)なる名前で、
そこにはこんなキャプションがあったのです。
~伊能忠敬より42年も前に日本地図を作った男~

  以下は地元紙「中日新聞」(2022・05・31/06・07)の記事、
  「伊能忠敬より42年も前に 日本地図を作った男 長久保赤水を語る」
  (佐川春久/長久保赤水顕彰会会長)を参考にしていますので、予め
  ご了解くださいね。

さて、その新聞記事にあったのはこんな説明。
~日本地図といえば伊能忠敬を思い浮かべる人が多い(筆者もその一人)が、
 伊能図は江戸幕府に秘蔵され江戸時代の庶民の目に触れることはなかった。~


なぁるほど。 だからこそ、先の「シーボルト事件」も、国家機密の国外
持ち出しと判定されたわけだ。
~これに対し、伊能図(1779年)より42年前に製作された、常陸国
 赤浜村(現在の茨城県高萩市)出身の長久保赤水(1717-1801年)の
 日本地図『改正日本輿地(よち)路程全図』(通称・赤水図/1821年)は、
 江戸時代末期までの約百年間、ベストセラーとして版を重ねた。~


ゲッ、ベストセラー日本地図ってか。 
ちょっとばかり驚きを感じていると、続いて、
~浦賀(神奈川県横須賀市)にペリー艦隊が来航した頃も、庶民や幕末の志士
 たちが見ていたのは赤水図だ。
 松下村塾を開いた吉田松陰(1830-1859年)も愛用していたことが、
 故郷・山口県の 兄への手紙に記されている。~

そういうことなら、当時は地図といえばこの赤水図だったことになりそうだ。

それに、伊能図との違いも示されています。
~伊能図は、全国の拠点を歩いた測量図であり、
 他方の赤水図は、多くの情報を収集して比較検証を重ねた編集図である。~


さらに、この赤水図は、
~天文学の知識も取り入れ、緯度を示す緯線(横線)と直角に縦線
 (ほぼ経線と同じ)を表示~
したものとの説明で、そればかりか、
出身地である高萩市の教育委員会はこんな見解を示しています。
~(赤水図は)初めて経緯線の入った日本地図~

そして、
~実は伊能も、測量時に赤水図を携行していたと日記に書き遺している。~
携行したのなら、それなりにコンパクトな体裁になっていたということに
なりそうだ。

すると、
~地図製作で一貫して重要視したのは、使う人の利便性と分かりやすさである。
 縦84.6cm、横128.8cmの赤水図は、利用者が携行して動くことを想定し、
 二十四分の一に折り畳める。~

どうやら、日本地図のメッチャ優れ物だったようです。


 map_japan_1783.jpg nagakubo_sekisui_zou_01.jpg
  『改正日本輿地路程全図』 / 長久保赤水像(茨城県高萩市)

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持ち歩きに便利で、しかも見やすく分かりやすい赤水図。
ですから、歓迎されたのは国内だけではなかったようで、 
~二十年余の歳月をかけ、製作された赤水図は、日本人ばかりでなく、
 渡来した外国人から実用的な地図として歓迎され、ひそかに国外へ
 持ち出されたのだ。~


案の定、~シーボルトも、赤水図を持ち帰ったという。~
ですから、歴史的結果としては、
~赤水図の海外持ち出しは不問扱い(あるいはバレなかっただけ?)で、
 伊能図の持ち出しは厳禁~
だったことになりそうです。

その理由は、伊能図とは違って赤水図はすでにオープン情報にされていた
せいか、あるいは帰国の折の手荷物検査が緩やかだったのか、そのへんは
よく分かりませんが、結果からすれば、最初の「シーボルト事件」まで
には発展しなかったということです。

そういうことなら、では、外国人からどのくらい歓迎されたものかを知り
たくなります。 すると、
~赤水図は世界六カ国の図書館や博物館などで、計四十四枚が貴重な
 コレクションなどとして大切に保管・管理されていることが分かっている。~


ゲッ、赤水図は海外でも現存しているようで、調査で分かった範囲では、
オランダ14枚/アメリカ10枚/カナダ8枚/フランス7枚/イギリス3枚/
ドイツ2枚を確認しているとのことです。

さらに、ロシア特使・レザノフ(1764-1807年)が日本滞在中(1804年)に
入手し持ち帰ったものが、1809年と翌1810年にロシア語訳の赤水図として
ロシアで刊行もされたことも確認できているようです。

えぇッ、そういうことなら、赤水図ってメッチャ凄いモノじゃん。
しかし、それにしては、その知名度はイマイチではないか?
筆者自身も知らなかった(それは無理もないとしても)し、筆者の周りにも
その名を知る人はとんといなかったくらいだから。

そう感じたところへ、紙面はこんな話題も取り上げていました。
~一方、国内では赤水の知名度が子どもたちの間でも上がりつつある。~
ええッ、なんで突然、そんな運びになるのさ?

~昨年度から帝国書院の教科書「中学校社会科地図」に長久保赤水の名前と
 『改正日本輿地路程全図』が伊能図と並べられて掲載された。~

そして、そこではこのように紹介されているとのことです。

~(赤水図は)江戸時代に長久保赤水が作った地図です。
 写真の伊能図より約四十年早くつくられました。
 伊能図は一般に公開しなかったため、一般の人はこの地図を頼りにしました~

なぁるほど、そういうことなら、
~国内では赤水の知名度が子どもたちの間でも上がりつつある。~
ことは間違いなさそうだ。

だだ、問題はそうした社会科教育を受けなかった世代のオジサン・オバサン
たちで、「赤水」という字面を見た瞬間、こんな反応を示す方が多い。
~おお、知っているとも。
 配管中の鉄サビ等で水道水が赤くなってしまうこっちゃな。~

ほんとは違うのだけど、説明するのも面倒だから、まぁいいことにしておくか。




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