日本史の「列伝」14 三像のモデルはどなた?

長らくの間源頼朝を描いたとされていた下の肖像画も、最近はそれを
疑問視する声が上がっているとのことです。
どうしてそんなことになっちゃうのかはよくわかりませんが、そこはそれ
お話のついでですから、少し探ってみることにしました。
ところが、これが結構にややこしい道を辿ることになってしまったのです。


 new_ashikaga_tadayoshi_01.jpg 源頼朝(旧) | (新)足利直義

~源 頼朝(みなもと の よりとも)は、平安末期から鎌倉時代初期の
 武将、政治家。 鎌倉幕府の初代征夷大将軍~

Wikipediaの「源頼朝」のページを開いてみると、冒頭にこんな説明があり、
さらに欄外のスペースにはその源頼朝御本人の肖像画も掲載されています。

そして、そこには~絹本着色伝源頼朝像(神護寺蔵)~とのタイトルが
あって、要するに「源頼朝の肖像」であるとまでは断定することはしないで、
~そのように伝わっております~という言い方をしているのです。

モデルになった人物の名を、画の端にでも記しておくような習慣があった
なら、後世にこんな検証作業も必要なかったことでしょうが、今更それを
ボヤいても後の祭りです。

しかも説明はそれで終わりではなく、さらに末尾部分に<注釈1>とした案内も
付記されています。
おそらくは~詳しくはここを参照せい~ほどの意味でしょうから、素直に
そうしてみると、今度は~足利直義説もある。神護寺三像を参照~

救急車のたらい回しでもあるまいにと思いながらも、すでにいい加減足を
踏み込んじゃっているわけですから、ここで踵を返すのも口惜しい。
前進あるのみということで、その「神護寺三像」なる項目へアプローチして
みると、今度はこんな説明に遭遇です。

~神護寺三像(じんごじさんぞう)は、京都神護寺が所蔵する三幅の肖像画。
 「絹本著色伝源頼朝像、絹本著色伝平重盛像、絹本著色伝藤原光能像」の
 名称で1951年(昭和26年)に国宝に指定された~


ふえッ、国宝指定ってか?
ただ、それにしてはイマイチしっくりこないが、「伝源頼朝/伝平重盛/
伝藤原光能」と、いずれも場合も「伝」の一文字が残されて、しかもその後に
こんな文章が続いていることです。

~しかし、1995年に源頼朝像は足利直義、平重盛像は足利尊氏、
 藤原光能像は足利義詮の肖像画であるとする新説が発表され、以後、
 像主・成立時期などをめぐって論争が続いている(後述)~


これだけで終わらず、さらにご丁寧に「後述」の案内もありますが、この辺
まででも、いい加減頭がくしゃくしゃですから、一度深呼吸をして事態を
整理してみることに。
上の説明文に従えば、問題の「三像」に比定される人物はそれぞれこうなり
ます。

○(旧) 源頼朝(1147-1199年)→(新)足利直義(1306-1352年)
○(旧) 平重盛(1138-1179年)→(新)足利尊氏(1305-1358年)
○(旧)藤原光能(1132-1183年)→(新)足利義詮(1330-1367年)

活動した期間を比べ合わせてみると、それぞれざっくり150年から200年ほどの
時間差があることになります。
要するに、令和時代の首相・安倍晋三(1954- )と江戸幕府老中・松平定信
(1759-1829年)を取り違えるようなものですから、それを思えば、この差が
ちょっくらちょいのものでないことに気が付こうというものです。

しかも、旧の比定について注文をつけるなら、名族の四つである「源平藤橘」
のうち、橘を除く源平藤をそつなく並び立てた印象も拭いきれません。
もっとも、その御三方と「神護寺」の関りについてはよく承知していません
から、あくまで筆者の直感・シックスセンスの範囲においてという条件付き
なのですが。


 new_ashikaga_takauji_01.jpg new_ashikaga_yoshiakira_01.jpg
平重盛(旧)|(新)足利尊氏 / 藤原光能(旧)|(新)足利義詮
 
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そういうことを並び立てるなら、「神護寺三像」のモデルは新しく比定された
お三方の方が似つかわしい印象にもなるところです。
つまり、一人目は室町幕府創立者であり、また初代将軍となった足利尊氏では
ないかという思いです。

この線を押していくなら、二人目はその尊氏と二頭政治を行い「両将軍」つまり
幕府共同経営者として認知されていた尊氏実弟の直義(ただよし)。
そして三人目を、尊氏の嫡男でありその後の室町幕府・第二代将軍に就いた
義詮(よしあきら)と見立てるのなら、いずれもが室町幕府に大いなる影響を
及ぼした方々という共通点も見いだせるわけですから、これが一番分かり
やすい比定のようにも思えます。

尊氏と直義は父母を同じくする一つ違いの実に仲の良い兄弟でした。
また能力面においても、尊氏は軍事、直義は政務に関して抜群のものを備えて
いましたから、この面でも互いに補完し合えるバランスの良いコンビでした。
ちなみに、室町幕府の施政方針を示した「建武式目」(1336年)はその直義の
意向を強く反映したものとされています。

役割を分担する形で幕府を支えていたのですから、言葉にすれば、「二頭政治/
共同経営者」ということになります。
ところが、ツートップ体制を敷くとどんな組織でも派閥を作りやすくなる
もので、その点は室町幕府とて例外ではありませんでした。

この先のお話には、ただでさえ複雑な「南北朝」が遠慮なく登場します。
つまり尊氏が北朝方に、直義が南朝方に立ったと考えれば、少しは分かり
やすいのかもしれません。

そこでお節介なことですが、一般的な時代区分にも触れておきましょう。
いえね、読者に対する親切心と言うことではなく、単に筆者自身がこの辺の
ところが分かっていないための念のための作業ですから、それほど恐縮がる
必要はありませんよ。

ざっくり並べればこうなります。
建武の親政(1333-1336年)
  →鎌倉幕府滅亡の以後、後醍醐天皇が実権を掌握した。
室町時代(1336年-1573年)
  →建武の親政が崩壊した後、足利尊氏による新たな武家政権の樹立。

南北朝時代(1336-1392年)
  →皇統が南朝と北朝に分裂した時期から両朝合一までの57年間。
  ※ただし、時代区分としては「室町時代」に包含される。
  ※また、「室町時代」の末期(1467-1590年)は「戦国時代」との名称も。

こうした「室町時代」初期の尊氏・直義兄弟による「二頭政治」は、
それぞれの側に不満も芽生えさせました。 いわゆる派閥抗争です。
水面下での動きまでは承知しませんが、まずは尊氏派勢力を幕府から
追い出そうとする動きが直義派勢力の方から出たようです。
トップ同士が仲良しであっても、その重臣同士・部下同士ともなれば
そうはいかないものもあるということです。

尊氏派勢力とて、直義派勢力のこうした動きをく黙って見過ごし続けるわけ
にもいきませんから、当然ながらも武力を以て抗戦に出ました。
このままではさらに大事を招きかねないと判断したものか、この段に及んで
直義は頭を丸めて幕府を去っています。

もはや「二頭政治」は崩壊してしまったことになり、幕府退職?をした直義の
仕事は、後に二代目の室町将軍となる尊氏嫡男・足利義詮が引き継ぐことに
なります。
ただし、尊氏・直義兄弟間の抗争はここで留まることはなかったのです。

ついには「観応の擾乱」(1350-1352年)という悲劇にまで発展していきました。
メッチャ仲良しだった兄弟によるガチンコ抗争です。
そういう事情もあって、これを「日本史上最大の兄弟ゲンカ」と評する人も
いるくらいのものです。

戦を得意とする兄・尊氏に連破され武装解除までされた弟・直義は、鎌倉の寺
に幽閉されました。 ところが、その後二か月を待たず急死しているのです。
世間向けには急病急死ということにされましたが、どっこい太平記には
ばっちり「尊氏の手で毒殺」と記されているそうです。

そういうこともあってか、直義派による抵抗は直義の死後十数年を経た
1364年頃まで続いたとされています。
こうした足利宗家の骨肉の動乱ぶりを知るにつけ、先の「神護寺三像」
モデルは、新説のように尊氏・直義・義詮との比定の方が、筆者的には
シックリくる印象です。




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