日本史の「ライバル」03 源氏と平家は好対照物語

平安時代の終わり頃、平氏棟梁であった平清盛(1118-1181年)が、
武士階層出身の初の太政大臣に任じられるや、その直後に、今度は源氏の
貴種にあった源頼朝(1147-1199年)が幕府を開くことで武家政権を確立
させることに成功しています。

そして、武士の二大勢力であるこの源氏と平氏が覇権を争った、概ね
11世紀末から12世紀末までの約100年ほどの期間を「源平時代」と呼ぶ
こともあります。
それまでは「卑しい存在」とされていた武士の階層が、社会に影響力を
及ぼすまでの台頭が目立ち始めた時代ということです。

さて、こうして源氏平氏についての前説を紹介したあとに、ひょっこり
「源氏物語」「平家物語」という名称を並べてみると、一瞬の錯覚を
起こしかねません。
~「源氏物語」と「平家物語」は一対となった作品であるかもダ~

少し冷静さを取り戻せば、そうでないことにも気が付きますが、では、
そのそれぞれの内容にまで突っ込まれると、
~その名は知っているが、実物とお付き合いをしたことはない~
こうした人が案外に少なくないようです。
では、なぜそんなことが言えるのか・・・かく申す筆者もその一味に
他ならないからです。

それはともかく、せっかくの機会ですから、この両者の輪郭だけでも探って
みることにしましょう。
まず「源氏物語」については、このような説明になっています。
~栄耀栄華の最中にある公家・藤原道長(966-1028年)の支援の下で、
 才女・紫式部(生年不詳-1019年頃?)が、宮仕えをしながら書き続けた、
 54帖からなる長編小説~


で、その内容はと言えば、
~天皇の子に生まれ臣籍降下して源氏姓となった光源氏の大河ドラマ~
ほどのところですが、その主人公は才能・容姿ともにメッチャ恵まれて
いたこともあって、本名ではなく「光源氏」という愛称で登場しています。

ちなみに、この54帖全部は必ず紫式部一人が書き綴ったのかと言えば、
必ずしもそうは断定できない要素もあるようです。
当時にはまだ著作権の概念もなかったことを考えれば、他の者がひょっこり
書き加えたり改変するなども、悪意なく制約なく割合に簡単にできたで
しょうから、当然の疑惑?かもしれません。

また、成立した時期についても、これが「単独作者」による作業であった
のなら、もう少し絞り込めてもよさそうなところですが、ざっくり
「1000年頃の成立」として、必ずしも明瞭になっていない点も、こうした
疑惑?を裏付ける材料になるのかもしれません。

しかし、ともあれ骨格になる部分は紫式部の手によるものであることは
間違いないとされています。

で、続いてもう一方の「平家物語」については、こんな説明に。
~鎌倉時代(1185頃-1333年)に成立したとされる軍記物語で、
 平家の栄華と没落、武士階級の台頭などを描いている~


ただし、こちらは読み物というよりは、琵琶(楽器)の伴奏によって
歌われる?ことが多かったようです。
ということは、おそらくは折に触れ多数の手による編曲?も重ねられた
だろうとも考えられ、その点を考慮すれば、成立年にメッチャ幅があるのは
致し方のないことかもしれません。

さて、こう並べてみるなら、いくら「源平」という言葉があったにせよ、
「源氏物語」「平家物語」が対になった作品でないことは一目瞭然です。
第一、「源氏物語」は朝廷を舞台にした貴族・源氏のお話ですし、片や
「平家物語」は武士・平家の栄枯盛衰を取り上げているのです。

もっともよくよく眺めてみれば、「源氏物語」の成立年は武士階層が
台頭する前、つまり平清盛や源頼朝が登場するより以前のことですから、
武士・源氏の栄枯盛衰を描くことは、ハナから無理があることに気が付く
のですが。

源氏物語01.jpg 琵琶法師01.jpg
源氏物語/琵琶法師

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その「源氏物語」が、基本的には単独作者による作品とされているのに
比べたら、こちらの「平家物語」は少しばかり複雑なスタッフ構成になって
います。
その点は現代でも同様で、「文学作品」なら作家一人で完成させることも
可能ですが、「音楽作品」ともなれば、作詞家・作曲家・歌手という
複数の才能のコラボ作業になるからです。

もっとも、これらすべてを一人でこなしてしまう「シンガーソングライター」
という存在もありますが、しかし、これも「シンガー(歌手)ソング(作曲)
ライター(作詞)」を単純に並べくっつけただけの言葉ですから、本来は
別個の才能と見るべきなのでしょう。

そうした視点からすれば、「平家物語」は現代なら「音楽作品」もどきの
ものですから、やはり分業で取り組んでいます。
必ずしもピッタリとは当てはまらないかもしれませんが、まあ以下くらい
のイメージになりそうです。

作詞=藤原行長(信濃前司行長?/生没年不明)  ※個人名である
作曲=生仏(東国生まれの盲目の僧/生没年不詳) ※個人名である
歌手=琵琶法師(琵琶を演奏する盲目の僧/多数) ※個人名でない
少なくとも吉田兼好(1283?-1352年?)による随筆「徒然草」には
そのように記されています。

「盲目の歌手」なんて言われると、反射的にレイ・チャールズ(1930-2004年)
やスティーヴィー・ワンダー(1950- )、あるいはホセ・フェリシアーノ
(1945- )などの名が浮かんできますが、題材として怨霊を取り上げて
いる「平家物語」の場合は、その憑依を警戒しての「盲目の僧」琵琶法師
なのです。

現代人には、「怨霊なんて迷信」って片付ける人も多いのでしょうが、
当時の人たちにとっては「怨霊封じ」は最大のテーマでした。
なぜなら、世の中の禍はすべてが怨霊の仕業によるものと考えていたから
です。

ちなみに、盲目僧による「怨霊憑依」「怨霊封じ」の様子は、後に
映画(1964年/監督:小林正樹)にもなったラフカディオ・ハーン
(小泉八雲/1850-1904年)の作品「怪談」の中の一編「耳なし芳一」にも
取り上げられています。

ますます脇道へ逸れていってしまいますが、こんなツッコミを受けたら
どのように返答したらよいものでしょうか?
~確かに源平には違いないが、ではなぜ「源家物語」、あるいは
 「平氏物語」にならなかったのだ?~


う~ん、「源氏」は普通「源氏」と言いますから、それでいいので
しょうが、「平家物語」の方は確かに「平氏物語」でも不都合がなかった
ように感じられます。
そこで、そのあたりを探ってみると、こんな説明に遭遇しました。
~平家物語という題名は後年の呼称である~

だったら、最初のタイトはどのようなものだったのだ?
このことも併せて説明されていました。
~当初は「保元物語」や「平治物語」と同様に、合戦が本格化した
 治承(元号)年間より「治承物語」と呼ばれていたと推測されているが、
 確証はない~


ちなみに、各元号の時期は下記の通り。
○保元年間(1156-1158年/後白河天皇・二条天皇)
○平治年間(1159年/二条天皇)
○治承年間(1177-1181年/高倉天皇・安徳天皇)
この少し後の「壇ノ浦の戦い」(1185年)において、源義経(1159-1189年)
率いる源氏軍に完敗を喫した平家はこの時点で滅亡に至りました。

なにぶんにもメッチャ古い時代のことなので、平氏・平家の
使い分けについて、分からないことがあるのは致し方のないことかも
しれません。
でも、独断と偏見を述べておくなら、筆者的にはこんな印象も持っている
のです。

「源氏物語」は光源氏とニックネームされた人物のお話だから、
これが「源家物語」ではいかにも整合性に欠ける。 
しかし一方の「平家物語」は、いわゆる「平氏」の個人個人のエピソードに
留まらず、御家全体(滅亡)にまで触れているおり、そうなると単なる
「平氏物語」では、すこぶる迫力に欠けてしまうから。

もっとも、前もって白状しておくなら、せっかくのこの独断と偏見自体が、
ハナから迫力に欠けているとの評判も頂いているわけですが。



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