日本史の「列伝」11 御幼帝御用達?の歴史本

人によっては、その字面はちょくちょく目にするものの、その時代や内容に
なると、とんと承知しない事柄も、ままあるようです。
実はそうした状況が筆者自身にもあって、その一つに「神皇正統記」
挙げることができそうなのです。

これまでにも何回かはその字面には対面はしたことがあります。
しかし、いまだに正しい読み方すら承知していないのですから、苦手意識は
かなり根が深いのかもしれません。
さて、前の「神皇」の部分は「しんこう」? それとも「じんのう」?
はたまた後ろの「正統記」の部分は「せいとうき」? それとも「しょうとうき」?

どうやら両方合わせて「じんのう/しょうとうき」と読むのが正しいようで、
その先にはこんな説明も。
~「神皇正統記」は南北朝時代に公卿の北畠親房が、幼帝後村上天皇の
  ために、吉野朝廷(いわゆる南朝)の正統性を述べた歴史書である~

素直に読めば、後村上天皇(第97代/1328-1368年)御一人のために
書かれた教科書もどきの歴史本といった印象になります。

そういう非常に狭い範囲を対象にした本が、なぜそこそこの知名度を備えて
現代まで伝わっているのか? このことも不思議といえば不思議です。
そこで、それを知るためには、まず著者の北畠親房(1293-1354年)からという
ことで、そこらへんをコチョコチョッと調べてみると、これがまた茶ノ木畑に
入ったかのような案配になって、結局は十分な理解に及びません。

あれこれの御苦労様に揉まれているうちに、こんな説明にぶつかりました。
~(北畠親房は)第96代・後醍醐天皇(1288-1339年)の時代には
  「後の三房」の一人として篤い信任を得た~

なにぃ「後の三房」だとぉ? じゃあ「前の三房」とか「先の三房」もあるのか?

こうなると、イヤでも「後の三房」にも触れなければなりません。
要するに、さらに複雑な「茶ノ木畑入り」を覚悟しなければならないわけです。
さて、まず「後の三房」の読み方については、「あとのさんふさ」ではなく、
「のちのさんぼう」が正しいようです。

まず入口の部分から間違えていたワケですねぇ、いやぁ面目ない。
で、ここにある「後」は「後醍醐天皇」の頭文字?「後」を頂戴したもので、
それに続く「三房」とは、「房」の字が付いた三人の側近を意味していると説明
されています。

ここまで来たらほとんどヤケクソですから、ことのついでに、その「三房」にも
手を拡げておきましょう。
   ○北畠親房(きたばたけ・ちかふさ)以外のあとの側近「二房」は
   ○吉田定房(よしだ・さだふさ/1274-1338年)
万里小路宣房(までのこうじ・のぶふさ/1258-1348年) 
ちなみに、「万里小路」は「まんりこみち」でもなく、はたまた「ばんりしょうろ」
でもなく「までのこうじ」というフェイント読み?が正しいそうですから、日本語は
ホントに疲れます。

それはともかく、では御幼帝御用達歴史教科書?「神皇正統記」には、
いったい何が書かれてあるのか? ざっくり並べれば、こんなことのようです。
○南北朝のうち南朝(吉野朝廷/後醍醐天皇系)を正統としている。
「三種神器」の保有を皇位の必要不可欠の条件としている。
○徳治政治こそ「正理」(正しい道理/あるべきすじみち)であるとしている。
天皇と公家が統治して武士を統率するのが理想の国家像であるとしている。

おそらくは、これが親房にとっての「この国のあるべき姿」ということなの
でしょう。
ついでと言っては畏れ多いのですが、この歴史教科書?で学んだはずの
第97代・後村上天皇(1328-1368年)にも少し触れておけば、
先代・後醍醐天皇の第七皇子で、歴代の数字から分かる通り、後醍醐天皇を
後継した天皇ということになります。

ただこのあたりにも、「南北朝時代」の分かりにくさがつきまとうことは例外では
なく、「第97代・天皇」と認定されたのは実はなんと20世紀に入ってからのこと
なのです。 なんでそうなるの?
~南朝・北朝のいずれが正当なのか、あるいは両朝並立だったのか~
こんなとてつもなく大きな命題が残されていたからに他なりません。

このことについては、学問的にも政治的にも思惑が絡み合う形になり、
その後においても大きな混乱状況を招いています。
こうした状況は「万世一系」の建前からしても決して好ましい姿ではありません。
そこで、最終的には第122代・明治天皇(1852-1912年)の御裁断によると
いう格好にして決着を付けたわけです。

~その時点で「三種神器」を所有した南朝が正統である~
「三種神器」の保持を正統性の根拠にしたところなどは「神皇正統記」
主張に沿った形になっていることに気が付きます。

神皇正統記01 北畠親房01












「神皇正統記」/北畠親房

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実は、明治天皇のこの御裁断は「大日本史」の記述を根拠にしたとの説明も
あります。
その「大日本史」といえば、江戸幕府の御三家の一つである水戸徳川家当主・
徳川光圀(1628-1701年)によって開始され、完成までに実に250年という
長大な時間を要した一大歴史書です。

実は先にも挙げたように「神皇正統記」は、
~天皇と公家が統治して武士を統率するのが理想の国家像である~として
います。
ということは、武家でありしかも御三家という将軍家に最も近い親戚である
はずの水戸徳川家が、そんな主張を結構熱烈に支持していたことになります。
将軍家を裏切るかのようなそんな真似をしちゃって拙くはないのでしょうか?

聞いて驚け! それがちっとも拙くないのです。
なぜなら、元々から~大の天皇家贔屓である武家・水戸徳川家~だからです。
それどころか、光圀はこの「大日本史」「神皇正統記」による親房の
主張を高く評価しているのです。

分かりやすいイデオロギーは、ともすれば拡がる傾向を見せるものです。
その点は、こうした親房や光圀の主張も例外ではなく、それどころかますます
強化されていったと見るべきかもしれません。
ことほど左様に、「神皇正統記」は水戸学とも結び付き、さらにはそれが
後の皇国史観にまで影響を与えるようになっていきました。

念のために付け加えておくと、「水戸学」とは、言葉からもわかる通り、水戸で
発展したことは言うまでもありませんが、要するに儒学思想を中心に、
国学・史学・神道を結合させた総合政治学といったところでしょうか。
さらには、そこから派生する、
~日本の歴史は万世一系の天皇を中心として展開されてきた~
とする歴史観が、いわゆる「皇国史観」ということになります。

幕末における政治運動に、この「水戸学」が大きな影響を与えたことは
誰もが認めるところです。
たとえば、幕末に起きた大老・井伊直弼暗殺事件、いわゆる「桜田門外の変」
(1860年)の実行犯の大半は、直前までその水戸藩士でした。
(事前に脱藩したため、決行時点の身分は浪士・浪人)

また、ドラマなどで薩摩藩士・西郷隆盛(1828-1877年)が登場する場合など、
必ずと言っていいほど「敬天愛人」という言葉がついて回るものですが、
これも元をただせば水戸学の思想なのです。

こうして少しずつ分かってくると、こう思わざるを得ません。
「神皇正統記」って、御幼帝御用達歴史教科書?どころかドエライ思想書
かもしれんゾ。
また、それを著わした北畠親房もチョイとばかり凄い人だったのかもしれん、

なのに、筆者なんぞはそんなことも知らずに今まで無邪気に生きてきた
のでから、いささか罪の意識も芽生えようというものです。
さてはて、~歴史書を著わした北畠親房~なんて聞かされると、ついつい
学者風の人物像をイメージしてしまいがちですが、どっこい、それもちょっと
違うようです。 なぜなら、こんな経歴も持っているからです。

○1330年/後醍醐天皇の皇子(世良親王)の急死を嘆いて出家、政界引退。
○1333年/鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇「建武の新政」が始まると政界復帰。
○1335年/京都を占領した足利尊氏を討伐を仕掛け、一旦は駆逐に成功。
○1343年/戦況不利のため吉野に帰還し、以後南朝の中心人物に。
要するに、学究肌の人物というよりは、老獪な政治家であり、戦に長けた軍人、
と見た方が実像に近いのかもしれません。

それにしても、歴史的事実の一面も幾分はあろうかとは思うものの、
「南北朝時代」とか、はたまた「後醍醐天皇」とかが登場すると、毎度のこと
ながら、歴史自体がいっぺんに複雑化した印象を抱いてしまいます。

そこのところを他人様に言わせると、
~歴史が複雑化するのではなく、単にオマエの「南北朝オンチ」が原因~
なのだそうです。
その「オンチ」が、今回大胆にも「神皇正統記」に触れているですから、
まったくもってマナーも常識も遠慮のかけらもない「なんでもアリ」の世の中
だと言わざるを得ませんねぇ。 いやホント!



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