日本史の「災難」21 名前記述の聖徳太子ルール
かつての教科書は「聖徳太子」について、推古天皇の摂政として、
十七条の憲法や冠位十二階の制定、はたまた仏教の交流や遣隋使の
派遣など、重要な政策を一手に担う革新的な政治を行った人物として
記述していました。
こうした事績は、奈良時代前半に成立した『日本書紀』に依拠したもので、
つまり、「聖徳太子」(574-622年)の死後1世紀を過ぎた史料に基づいたもの
だそうです。
そこで、その「聖徳太子」についてちょいと覗いてみると、
~父は第31代・用明天皇の第二皇子で、飛鳥時代の政治家、宗教的思想家。
生没年(574-622年)~
さらには、生前に呼ばれた複数の名前も紹介されています。
~厩戸(うまやど)皇子、豊聡耳(とよとみみ)、上宮(かみつみや)王ともいう~
聖徳太子(厩戸皇子)
そうした史実を踏まえると、従来通りの「聖徳太子」という呼び方だけでは
不親切に過ぎるかもとの意見も増し、それなら教科書でも
「聖徳太子(厩戸皇子)」と表記しようという運びになったようです。
筆者は実はこの動きに対して好意的ではありません。
その理由は至極単純で、長ったらしい名前であり、しかも書こうとすれば、
「厩」という文字がメッチャ難しくて覚えられないからです。
それはさておき、その「厩」(うまや)という文字にも手を伸ばしてみると、
これが発音通りに「馬屋/馬小屋/厩舎」の意味になるとの説明です。
しかしまあ、人の名に「厩」の字も珍しいのもだと感じ入っていると、
ご丁寧に命名の由来も説明されていました。
~母の穴穂部間人皇后が庭を歩いているとき、厩戸の前で皇子を出生した
ので「厩戸」の名がつけられたという~
ドラマチックで面白いエピソードになっていますが、正直に白状すれば、
筆者的には「史実」だとは思えません。
天皇の奥方(皇后)が、臨月それどころか出産直前という時期に、ことも
あろうに庭を歩いて厩戸の前を通るなんて運びが、何かしら不自然な感じが
するからです。
それに「馬小屋での誕生」って場面は、なんとはなしに「イエス・キリスト」
の誕生エピソードを連想させて、怪しい気配を感じさせる印象です。
もっとも、そうではなく誕生年に由来するとの説もあるようで、それに
よれば、『上宮聖徳法王帝説』の記述にもとづく太子の生年(574年)は、
干支が「甲午(きのえうま)」なので、生まれ年の干支(午=馬)にちなんで
「うまやと」と名づけられたのでは、としているとのことです。
話のついでですから「別の名」の由来にも触れておくと、豊聡耳(とよとみみ)
皇子についてはこんな説明になっています。
~聖徳太子が十人同時に話されても、なんなくすべてを理解したという
その伝説から「豊かな耳を持ち、聡明であった」ということからこの名前が
ついた~
ということなら、これも若い頃に使っていた名前ではないことになります。
伝説に依った名前を若いころから名乗っていたなんてことも、考えてみれば
やっぱり、ちょっとヘンな按配ですからねぇ。
ではでは、更なる別名「上宮王」は?
~『日本書紀』皇極天皇紀では太子の一族が居住していた斑鳩宮を指して
「上宮」と呼称しているほか、子の山背大兄王を「上宮王」、娘を
「上宮大娘姫王」とも呼称している~
うっへー、ややこしッ!
ちょっとあぐんだ気分に陥っていると、さらなる追い打ちが。
~『日本書紀』には「聖徳太子」という表記はないッ~
なんだとぉ! いまさら、なんちゅうことを言うのだ。
怒りを押し殺して、先へ進んでみるとこんな説明です。
~『日本書紀』では、たんに「皇太子(ひつぎのみこ)」と呼ばれている。
そして『日本書紀』から読み取れる彼の実名は「厩戸皇子」である~
この「厩戸皇子」が本名ということなら、今までに登場してきた「聖徳太子/
豊聡耳皇子/上宮王」などは、いったい何なのだ。
通名? 愛称? アダ名? ペンネーム? 芸名? ハンドルネーム?

第31代・用明天皇/北条早雲(伊勢新九郎)
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つまり「聖徳」とは生前に名乗っていた名前ではなく、「厩戸皇子」没後の
諡名であるのだから、その「聖徳」だけの名乗りでは不親切。 であるなら、
教科書なども、「諡名(本名)」というような形で併記するべきであろう。
ということのようですが、その御親切は確かに痛み入るとしても、何かしら
余分な気遣いにも思えないわけではありません。
なぜなら、諡名を有する人物の名を挙げようとする場合に、たとえば今回の
教科書記述のように、「聖徳太子(厩戸皇子)」など「諡名(本名)」の
二重表記を妥当だとすると、非常に厄介な問題も発生してしまいそうだから
です。
なにが? たとえば、歴代天皇皆さまのお名前はどうでしょうか。
えぇ、「聖徳太子(厩戸皇子)」の御父上である第31代「用明」天皇だって
例外ではありません。
この「用明」という名は紛れもなく諡名であり、生前の御本人は一度たり
とも名乗ったことのない御名前です。
ここら辺の事情は子である「聖徳太子」とまったく同じですから、だったら、
「用明天皇」の場合も「聖徳太子(厩戸皇子)」とするのと同様に、
「諡名(本名)」とするのが、名前記述ルールとしては整合性があることに
なるはずです。
ところが、ギッチョン。 そうまではしないようです。
えぇ、そりゃあそうかもしれません。
だって、用明天皇については、諡名であるこの「用明」は承知していても、
生前の本名を知る人なんかは、歴史学者やマニアックな歴史知識を誇る人
以外にはほとんどいないと思われますのもねぇ。
ついでですから、この「用明天皇」についてもちょいと覗いてみました。
すると、
~第31代とされる天皇(生年?-没年587年/在位585~587年)。
和風諡号は橘豊日(たちばなとよひ)天皇。
第29代・欽明天皇の第四皇子。 母は蘇我堅塩媛で、その第1子。
厩戸皇子(聖徳太子)の父~
肝心の本名については、まったく触れられていないので、さらに深追いして
みると、
~諱(本名)は池辺皇子?・・・(かもしれないし、そうでないかもしれない)。
また即位前の名として大兄皇子とも称する~
しかし、「大兄」って、普通は複数の兄弟がいる場合の「大きい兄ちゃん」
ほどの意味合いですから、胸を張って本名だとも言いづらい。
すると、「聖徳太子(厩戸皇子)」の名前ルールに従って同様な名乗りを
しようとすると、「用明天皇(池辺皇子?)」、
あるいは「用明天皇(大兄皇子)」ほどになり、これはもう煩わしいだけで
意味ある気遣いとは思えません。
~そんなことなら元へ戻って、「聖徳太子」とのシンプルな記述法でいい
のではないか~
こんな気分にもなるところです。
というのは、「諡名だけでは不十分」ということなら、ずっと後の時代に
なりますが、戦国大名の走りとされる「北条早雲」(1432-1519年)の場合は
どのような名前で記述すべきが適切なのかを考えてしまうからです。
御本人が「北条」を名乗ったことはありません。
なぜなら、「北条」とは早雲の死後、嫡男・氏綱の代になってからのもの
だからで、生前の署名も通名の「伊勢新九郎」や、号を使った「伊勢宗瑞」
だったとされています。
ちなみに、入道後の号が「早雲庵宗瑞」。
また諱の方も一筋縄ではいきません。
紹介されている候補だけでも、「長氏/氏茂/氏盛/盛時」など、なんとも
盛り沢山の紹介になっているのです。
そういう状況にあって、「聖徳太子(厩戸皇子)」ルールに頑なに拘って、
この人物の名を記述しようとしたら、いったいどうなるの?
ひょっとして、「早雲庵宗瑞(伊勢盛時/新九郎)」くらい?
これでは分かる人には分かるのかもだが、分からぬ人は生涯分からんぞう、
きっとなら。
そうした意味からも、聖徳太子についてもこれまで通りに、単に「聖徳太子」
という記述でいいような気がしている今日この頃の筆者です。
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つまり、「聖徳太子」(574-622年)の死後1世紀を過ぎた史料に基づいたもの
だそうです。
そこで、その「聖徳太子」についてちょいと覗いてみると、
~父は第31代・用明天皇の第二皇子で、飛鳥時代の政治家、宗教的思想家。
生没年(574-622年)~
さらには、生前に呼ばれた複数の名前も紹介されています。
~厩戸(うまやど)皇子、豊聡耳(とよとみみ)、上宮(かみつみや)王ともいう~
そうした史実を踏まえると、従来通りの「聖徳太子」という呼び方だけでは
不親切に過ぎるかもとの意見も増し、それなら教科書でも
「聖徳太子(厩戸皇子)」と表記しようという運びになったようです。
筆者は実はこの動きに対して好意的ではありません。
その理由は至極単純で、長ったらしい名前であり、しかも書こうとすれば、
「厩」という文字がメッチャ難しくて覚えられないからです。
それはさておき、その「厩」(うまや)という文字にも手を伸ばしてみると、
これが発音通りに「馬屋/馬小屋/厩舎」の意味になるとの説明です。
しかしまあ、人の名に「厩」の字も珍しいのもだと感じ入っていると、
ご丁寧に命名の由来も説明されていました。
~母の穴穂部間人皇后が庭を歩いているとき、厩戸の前で皇子を出生した
ので「厩戸」の名がつけられたという~
ドラマチックで面白いエピソードになっていますが、正直に白状すれば、
筆者的には「史実」だとは思えません。
天皇の奥方(皇后)が、臨月それどころか出産直前という時期に、ことも
あろうに庭を歩いて厩戸の前を通るなんて運びが、何かしら不自然な感じが
するからです。
それに「馬小屋での誕生」って場面は、なんとはなしに「イエス・キリスト」
の誕生エピソードを連想させて、怪しい気配を感じさせる印象です。
もっとも、そうではなく誕生年に由来するとの説もあるようで、それに
よれば、『上宮聖徳法王帝説』の記述にもとづく太子の生年(574年)は、
干支が「甲午(きのえうま)」なので、生まれ年の干支(午=馬)にちなんで
「うまやと」と名づけられたのでは、としているとのことです。
話のついでですから「別の名」の由来にも触れておくと、豊聡耳(とよとみみ)
皇子についてはこんな説明になっています。
~聖徳太子が十人同時に話されても、なんなくすべてを理解したという
その伝説から「豊かな耳を持ち、聡明であった」ということからこの名前が
ついた~
ということなら、これも若い頃に使っていた名前ではないことになります。
伝説に依った名前を若いころから名乗っていたなんてことも、考えてみれば
やっぱり、ちょっとヘンな按配ですからねぇ。
ではでは、更なる別名「上宮王」は?
~『日本書紀』皇極天皇紀では太子の一族が居住していた斑鳩宮を指して
「上宮」と呼称しているほか、子の山背大兄王を「上宮王」、娘を
「上宮大娘姫王」とも呼称している~
うっへー、ややこしッ!
ちょっとあぐんだ気分に陥っていると、さらなる追い打ちが。
~『日本書紀』には「聖徳太子」という表記はないッ~
なんだとぉ! いまさら、なんちゅうことを言うのだ。
怒りを押し殺して、先へ進んでみるとこんな説明です。
~『日本書紀』では、たんに「皇太子(ひつぎのみこ)」と呼ばれている。
そして『日本書紀』から読み取れる彼の実名は「厩戸皇子」である~
この「厩戸皇子」が本名ということなら、今までに登場してきた「聖徳太子/
豊聡耳皇子/上宮王」などは、いったい何なのだ。
通名? 愛称? アダ名? ペンネーム? 芸名? ハンドルネーム?
第31代・用明天皇/北条早雲(伊勢新九郎)
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つまり「聖徳」とは生前に名乗っていた名前ではなく、「厩戸皇子」没後の
諡名であるのだから、その「聖徳」だけの名乗りでは不親切。 であるなら、
教科書なども、「諡名(本名)」というような形で併記するべきであろう。
ということのようですが、その御親切は確かに痛み入るとしても、何かしら
余分な気遣いにも思えないわけではありません。
なぜなら、諡名を有する人物の名を挙げようとする場合に、たとえば今回の
教科書記述のように、「聖徳太子(厩戸皇子)」など「諡名(本名)」の
二重表記を妥当だとすると、非常に厄介な問題も発生してしまいそうだから
です。
なにが? たとえば、歴代天皇皆さまのお名前はどうでしょうか。
えぇ、「聖徳太子(厩戸皇子)」の御父上である第31代「用明」天皇だって
例外ではありません。
この「用明」という名は紛れもなく諡名であり、生前の御本人は一度たり
とも名乗ったことのない御名前です。
ここら辺の事情は子である「聖徳太子」とまったく同じですから、だったら、
「用明天皇」の場合も「聖徳太子(厩戸皇子)」とするのと同様に、
「諡名(本名)」とするのが、名前記述ルールとしては整合性があることに
なるはずです。
ところが、ギッチョン。 そうまではしないようです。
えぇ、そりゃあそうかもしれません。
だって、用明天皇については、諡名であるこの「用明」は承知していても、
生前の本名を知る人なんかは、歴史学者やマニアックな歴史知識を誇る人
以外にはほとんどいないと思われますのもねぇ。
ついでですから、この「用明天皇」についてもちょいと覗いてみました。
すると、
~第31代とされる天皇(生年?-没年587年/在位585~587年)。
和風諡号は橘豊日(たちばなとよひ)天皇。
第29代・欽明天皇の第四皇子。 母は蘇我堅塩媛で、その第1子。
厩戸皇子(聖徳太子)の父~
肝心の本名については、まったく触れられていないので、さらに深追いして
みると、
~諱(本名)は池辺皇子?・・・(かもしれないし、そうでないかもしれない)。
また即位前の名として大兄皇子とも称する~
しかし、「大兄」って、普通は複数の兄弟がいる場合の「大きい兄ちゃん」
ほどの意味合いですから、胸を張って本名だとも言いづらい。
すると、「聖徳太子(厩戸皇子)」の名前ルールに従って同様な名乗りを
しようとすると、「用明天皇(池辺皇子?)」、
あるいは「用明天皇(大兄皇子)」ほどになり、これはもう煩わしいだけで
意味ある気遣いとは思えません。
~そんなことなら元へ戻って、「聖徳太子」とのシンプルな記述法でいい
のではないか~
こんな気分にもなるところです。
というのは、「諡名だけでは不十分」ということなら、ずっと後の時代に
なりますが、戦国大名の走りとされる「北条早雲」(1432-1519年)の場合は
どのような名前で記述すべきが適切なのかを考えてしまうからです。
御本人が「北条」を名乗ったことはありません。
なぜなら、「北条」とは早雲の死後、嫡男・氏綱の代になってからのもの
だからで、生前の署名も通名の「伊勢新九郎」や、号を使った「伊勢宗瑞」
だったとされています。
ちなみに、入道後の号が「早雲庵宗瑞」。
また諱の方も一筋縄ではいきません。
紹介されている候補だけでも、「長氏/氏茂/氏盛/盛時」など、なんとも
盛り沢山の紹介になっているのです。
そういう状況にあって、「聖徳太子(厩戸皇子)」ルールに頑なに拘って、
この人物の名を記述しようとしたら、いったいどうなるの?
ひょっとして、「早雲庵宗瑞(伊勢盛時/新九郎)」くらい?
これでは分かる人には分かるのかもだが、分からぬ人は生涯分からんぞう、
きっとなら。
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