日本史の「偶然」03 東の天皇も西の皇帝も

本来なら昨年中に開催されていたはずのオリンピック東京大会が、新型コロナ
感染症拡大の影響を受けて紆余曲折の経過を辿っています。
そんなところへ大会組織委員会の会長のこんな発言があって、さらなる混乱を。
~女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる~

これが「女性蔑視」の発言とされ、国内外を問わず厳しい批判を呼びました。
そればかりではありません。
その後においても大会組織員会の組織そのものをまるで私物化しているかの
ような言動を披露したこともあって、結局は会長職辞任にまで追い込まれた
のです。

批判が集中した「女性蔑視」とは、元を辿れば儒教にある「男尊女卑」
思想になります。
ということで長いマクラになってしまいましたが、今回はこの「男尊女卑」の
周辺から話題を取ることにしたのです。
これをタイムリーなセンスというべきか、はたまた安直な選択というべき
なのか、そのあたりのことはよく分かりませんが、とにかくお話を続ける
ことにしましょう。


 tokyo_2020_01.jpg
 東京2020 オリンピック/パラリンピック

さて、海に浮かぶ“日出る処”(大和)の地で聖徳太子(754-622年)が、
第33代・推古天皇(554-628年)の摂政を務めていた時代のこと。
大陸にある、一方の”日沈む処“(中国)の「隋」には、日本側の政治的トップ
は他ならぬ聖徳太子その人だと受け止めていたフシが窺えます。

無理もありません。
なにせ「男尊女卑」をポリシーとする儒教の本場なのですから、女性をトップ
に据えるなんてことは非常識の極みであり、絶対にあり得ないことだからです。
もっとも東アジアのこの“日出る処”においてさえも、女性の天皇を頂くことは
まったく初めてのことでした。

ところが、その聖徳太子から少し後の中大兄皇子(626-672年)の時代、
日本と中国が海を隔ててのガチンコの衝突をしたことがありました。
「白村江の戦い」と呼ばれる、日本にとっては総力を挙げての大戦です。
念のためですが、この中大兄皇子(626-672年)とは後に第38代・天智天皇
なる人物ですが、この頃はまだ即位前のためこちらの名を使っています。

さて、その「白村江の戦い」(663年)とはこのように説明されています。
~日本は唐・新羅軍に攻略された百済の救援のために軍を進めたが
 大敗し百済は滅亡。 日本は朝鮮半島進出を断念した~


こればかりではなく、中大兄皇子は都を琵琶湖の畔、近江大津京への遷都を
断行せざるを得ませんでした。
~ひょっとして、唐が逆襲してくるのではないか~ 
そうした恐怖心もあって都をさらに内陸部に移したということです。

東アジア情勢にも大きな影響を与えるに違いない大戦争といえますから、
開戦の前には日本側ばかりでなく、おそらくは中国側も日本に対してのかなり
熱心な敵情偵察に努めたはずです。
紀元前の軍事思想家・孫子(孫武/前535年頃-没年不明)もこう言っている
ほどですからねぇ。 ~彼を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず~

入手した偵察情報に接した中国側は腰を抜かさんばかりにビックリこいた
ことでしょう、きっとなら。
~なぬッ、この地では女が酋長になったこともあるのかッ~

世界の中心であり世界唯一の文明国であることを標榜する中国からすれば、
日本とはこんな存在になります。
~我が中国(中華)国が授ける「国王」という名称にそっぽを向いている
 ばかりか、あろうことか、その酋長に中国皇帝の「皇」の字を無断使用して
 「天皇」と名乗る、とことんの無礼者民族~


さらには、こんな上から目線にもなります。
~あの列島民族の者共は「男尊女卑」とする儒教の、その高邁な思想にさえ
 理解が及んでいないために「女性トップ」という為体を演じたこともある
 ようで、つまりはおバカな未開人で野蛮人であることは間違いないッ~


えぇ、その敵情偵察は概ね正しいものでした。
その時までに日本は三代(二人)の女性天皇を誕生させていたからです。
先に挙げた史上初の女性天皇である第33代・推古天皇(554-628年)の
少し後にも第35代・皇極天皇(594-661年)がいたのです。
この方は重祚した第37代・斉明天皇の名でも知られています。


 jitou_tennou_21.jpg busokuten_china_01.jpg
 (日本)東の天皇・持統 / (中国)西の皇帝・武則天

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そして、こうした敵情を知って、大いに喜んだであろう一人の中国人女性が
いました。
そこには、儒教の大鉄則である「男尊女卑」にとんと頓着していない民族の
姿があったからです。
~なによ、「男尊女卑」の意識からちょいと離れるなら「女性皇帝」だって
 全然アリってことじゃないのサ~


その女性とは、姓は武氏、諱はしょう(明の下に空と書く/自身が作った
新字)で、経歴(624?-705年)は下記のようでした。
~官僚の家に生れ、初め唐の第二代皇帝・太宗(598‐649年)の後宮に入り、
 皇帝の死後尼になっていたところを、第三代皇帝・高宗(628-683年)に
 見出され、皇后を陥れることでみずからが皇后となった~


ここまででも結構迫力に満ちた経歴ですが、その迫力はさらに続きます。
~高宗が健康を害すると政務に口を出し,有能な人材を登用しつつ独裁権を
 握った。
 高宗の死後、実子兄弟を続けざま帝位につけ、反抗する唐の皇族らに
 大弾圧を加え、国号を周と改め(690 年)みずから帝位に上った~


「則天武后」あるいは「武則天」の名で知られている女性です。
しかしまた、なんで二つの名前が残されたのか?
~最終的に権力を奪われ唐の第3代皇帝(高宗)の皇后の形で葬られたため
 「則天武后」(624?-705年)とも呼ばれているが、高宗の死後には
 国号を周(武周)と改め、みずから女帝「聖神皇帝武則天」となったため~


えぇ、メッチャ長い長い中国の歴史上でも、女帝という存在は後にも先にも
この「武則天」たった一人だけ。
その意味では、文字通りに空前絶後の「女帝」でした。
ところが、その武則天が中国史上初の女性皇帝になったその時期、日本では
第41代・持統天皇(645-703年)が三人目の女性天皇になっているのです。

ここらあたりについて、井沢元彦著「お金の日本史」にこんな文章があります。
~六九〇年(持統四)、つまり日本では持統天皇が即位し、中国では
 聖神皇帝武則天が即位した年は、「東の日本天皇、西の中国皇帝」が
 ともに女帝だったという極めて珍しい時代の始まりだった。~


へぇ、そんな珍しい時代だったとは、ちっとも気が付いていなかったなぁ。
それはともかく、続いて、
~ちなみに歴史事典で武則天の項を見てみると、即位後の彼女は仏教を
 重視したとある。 中国には三教(三つの宗教)という言葉がある。
 先祖崇拝の儒教、神仙(中国伝統の神々や仙人)を尊ぶ道教、そして
 外来の仏教だが、彼女が仏教を選んだのは三教の中で仏教が一番女性を
 差別しないからだろう。~


ええぇ、仏教に女性差別の意識はなかったの? それには、
~とにかく仏教は、中国の伝統的な男尊女卑の考えに基づく民族宗教の
 儒教や道教よりは、世界宗教であるがゆえに女性を蔑視しない部分が
 あるとは言えそうだ。~


要するに、この時期の東西二人の女帝は共通して仏教に注目していた、と
いうことです。 そして、その理由は多分こういうことになるのでしょう。
武則天 → 「男尊女卑」が鉄則の儒教では、女性皇帝の正当性を主張するのが
      困難なため、男女差別の意識が薄い仏教に目を向けた。

そして、ここでは取り上げなかったものの、
持統天皇 → 積年の課題であった死の穢れ(死穢)問題を解決するに
       仏教式の葬送である火葬に大いなる関心を示した。
事実、史上初めて荼毘(火葬)に付された天皇は何を隠そう、この持統天皇
なのです。

えぇ、それにしても冒頭に挙げた当時のオリンピック大会組織委員会長の
発言は御粗末すぎて、これを見ていた某氏はTVに向かってこんなツッコミを
入れたほどでした。
~会長ッ、アンタが入っている会見は時間がかかるッ!~




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この記事へのコメント

橋口明生
2021年03月11日 05:45
文春出身の花田さんが「正論と産経がなくなったら
日本は大変なことになりますよ」と言っていました。

井沢さんは、歴史学者というのはひどいものだ
と書いておられます。

精神医学者もひどいもので、私もひどい目にあいました。
いろいろと手を打っているのですが無視されています。
住兵衛
2021年03月12日 09:46
>橋口明生さんへ

コメントありがとうございました。
大変なこと、ひどいことが各方面で多発しているとの
ことで、なにかと気を付けなければいけませんね。