日本史の「世界標準」28 水土の神道と火の仏教

「神道」にはいくつかの解釈があるようです。 
たとえば、~日本固有の民族信仰~ あるいは、
~古来あった神々への信仰が、仏教、道教、儒教などの影響を受けて展開して
 きた宗教~


その上に、こんな説明も見られます。
~神道には、最初から明確な教義があったわけではなく、長い時間をかけて
 神学が形成され、とりわけ近世になって体系化が進められた~

元々が「明確な教義」もないままであり、ようやく「近世になって体系化が
進められた」ということなら、確固とした宗教というよりは、むしろ素朴な
信仰心と表現した方が似合っている印象にもなります。


 suubutsu_ronsou_saga_mononobe_02.jpg 崇仏論争(蘇我氏VS物部氏)

さらに、
~また、古来の伝統的な信仰や儀礼が「神道」として認識されるようになった
 のは、仏教の伝来以降のことと考えられる~

このような説明も見られますから、要するに特段の教義も(多分その名称も)
ないまま、民族の素朴な心情として存在していた信仰心が、仏教という
外国製の宗教が入ってきたことたために、「それとは違うもの」として区別
するために「神道」という概念を作ったことになるのかもしれません。

では、その「仏教」が日本に伝わったのはいつのことか。
~6世紀半ばの「仏教公伝」より以前から、すでに私的な信仰としては
 伝来していたと考えられる~
 
ですから、メッチャ大雑把にならこんな言い方もできそうです。
~6世紀半ば以降の日本には神道も仏教も存在していた~

もっとも「仏教」が日本民族にすんなり認知され受け入れられたわけでも
なかったようです。
「仏教」の信仰の対象、すなわち仏サマを巡っては、「崇仏か、排仏か」と
いう論争が起こり、ここに政治上の勢力争いも加わったことから
「丁未(ていび)の乱」(物部守屋の乱/587年)まで引き起こしました。
その結果において「崇仏」派が勝利し、一応の決着をみたものでした。

これ以後は、基本的に神サマ仏サマが融合した一つの信仰体系「神仏習合」
の形となり、それは幕末期までざっと1200年ほどの間続くことになります。
要するに、日本においては、神サマ仏サマは一心同体、不可分な存在として、
そこに明確な区別を設けなかったということです。

世界宗教の歴史について無知な筆者ですから、いわば直感ということに
なりますが、まったく別物である複数の宗教が、互いを駆逐してしまうこと
なく、このように共存する形は世界的にも珍しいような気がします。

実際、日本でも「崇仏か、排仏か」を巡っては戦争まで引き起こしましたが、
勝利した崇仏派は、仏を認める代わりに神は認めない、なんてケチなことを
言いもしませんでしたし、またそれを実行に移すこともありませんでした。

おそらく日本以外の他の地域(すなわち外国)で同様なことがあれば、
敗戦側が担いだ宗教は、まず大抵は「邪教」の扱いを受け、早々に駆逐・
抹殺されたはずです。

ところが、日本ではそのようには運ばなかったのですから、
~日本の常識は世界の非常識~
まさに、この神道と仏教の在り方自体も、世界の宗教常識を照らせば、
思う存分に非常識な展開だったかもしれません。

しかし、なんでまた、共存することになったのか?
~お互いに相性が良かったのさ~と言われれば、その通りには違いない
のでしょうが、それなりの理由があったはずです。
そこでじつに無謀な挑戦ですが、今回筆者がその理由を探ってみることに
したのです。

もっとも、トコトンの宗教オンチの筆者には学問的な検証なぞはハナから
無理な相談ですから、まあ当時の人たちが備えていた素朴な信仰感覚に
ついての「とある推理」ほどの受け止めにしておいてくださいナ。


 kohun_nintoku_01.jpg fire_flame_01.jpg
 神道・古墳(水と土) / 仏教・火葬(火)

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まず、いわゆる「神道」を眺めてみましょう。
特定の「教義」はないとされているものの、この信仰心にはメッチャ大きな
特徴があります。 それは「穢れ」をとことん嫌うことです。
なんですかぁ、その「穢れ」って?

こんな説明になっています。
~日本の禁忌(タブー)についての観念の一つ。 不浄、汚穢ともいう~
これだけではよく分かりませんという人には、追い打ちの説明も。
~出産、死、月経、あるいは動物食をはじめとする異常食事などによって、
 当事者およびその関係者に付与される異常状況をいう~


ゲッ! おめでたいはずの出産さえもが穢れだなんて。
それに「トン(豚)カツ」を食べたら、それは動物食つまり異常食事だから
バッチリ穢れてしまうなんて、てんで理屈に合わん。
えぇ、昔の人々の信仰感覚を説明しているのですから、そうした点は
現代とは異なっていても、それはそれでいいのです。

そして、~穢れを祓うには禊(みそぎ)が必要~
さらに、その禊とは、~川や海の水で心身を洗い清めること~
そうした穢れの中でも、当時は死によって発生する穢れ、つまり「死穢」には
手の打ちようがなく、この世から「隔離」もどきの状態にすることがせいぜい
でした。

高貴な人の死穢ほどその穢れのパワーが大きいと信じられていたことは、
お墓である「古墳」の規模・構造がそれ示しています。
その穢れパワーが地上にまで届かないように、遺体は土中深く埋め、さらに
盛り土を重ねているのです。

では、これで「死穢完全封鎖」ができたのかといえば、そんな保証は
ありません。
そこで古墳の周囲を囲んで堀を設け、そこへ水を湛えます。
あの世とこの世との「結界」という意味合いもあるのでしょう。
もっとも、この「結界」とは元々が仏教用語とのことですから、筆者の
言葉使いも、結構いい加減なのですがねぇ。

ところが、新しく入ってきた「仏教」には、そうした死穢問題を解決に導く
「最先端機能」が備わっていました。
それは、古墳を設けなくとも死穢を回避できるというスグレものでした。
「火葬」です。

遺体を火で焼く(荼毘に付す)ことによって処理し、残った骨だけを壺や
箱に納めて埋葬する方法です。
日本では、どうやら6世紀後半頃から、ぼつぼつとは行われていたようですが、
文献記録上に限れば、日本で最初に火葬された人物は僧侶・道昭(629-700年)
で、その時期は700年のこととされています。

ちなみに、それからさほど経ない703年には、第41代・持統天皇(女帝/
645-703年)が、天皇として史上初の火葬で送られています。
つまり、「神道」の最大のウィークポイントだった「死穢」問題を仏教が
解決したことになるわけです。

相互扶助というか、持ちつ持たれつというか、非常に塩梅のいいコンビだった
わけです。
そういうことであれば、何も「これは神道で、それは仏教だ」なんて境界線を
引くようなヤボなことも必要なく「神仏習合」こそ無駄のないあるべき姿と
いうことになります。

事実、その「協力関係」は幕末期まで続きました。
それにヒビが入ったのは、じつは神道の都合でもなく仏教の都合でもなく、
理想国家建設を目的として明治政府が打ち出した「神道国教化」政策によって
でした。

しかしまあ、1200年も続いてきた伝統というものは一片の法律で容易く
変えられるほど軽いものではなかったということなのでしょう。
そのことによって、さすがに「神仏習合」の形は崩れたものの、どっこい
「仏教」が消滅に至らなかったことは誰もが知るところです。

ちなみに、「葬式仏教」という言葉を聞いたことはありませんか?
~葬儀や法事などを形式的に執り行うのみで、人々の救済や真理の追究など、
 宗教本来の目的を失ってしまったとして、現代の仏教界を批判して言う語~

と説明されています。

でもひょっとしたら、現代だけでなく伝来当時の仏教に寄せた最大の期待は
ほかならぬ「火葬」であり、言葉を換えるなら、取りも直さず「葬式仏教」
だったということなのかもしれませんでぇ。




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