日本史の「誤算」16 三日三月三年限りの栄光

「三日坊主」とは、修行に耐えられず三日で還俗してしまう僧侶(坊主)のこと
から生まれた言葉だそうです。
何をしても厭きっぽくて長続きしないことや、またそのような人のことを
嘲っていう時に割合よく使います。

ちなみに還俗とは、一度出家した者が再び俗人に戻ることを意味していますし、
また、この場合の「三日」とは一日二日三日と指入りカウントして数える実際の
日数ではなく「極めて短期間/束の間」ほどの意味合いになっています。


 3ka_bouzu_4moji.jpg 四文字熟語辞典ONLINE

さて、かく申す筆者自身がその「三日坊主」の一味なのだそうです。 
身近な者の証言ですからこの信憑性はかなり高い。
しかし、本人にその自覚がないので、そこで「それは濡れ衣だ!」と抗議する
のは当然の成り行きです。
ところが反論の余地もない証拠物件を突き付けられてしまったのです。

たとえば筋トレ。 これが続いたのはわずか二日だけだったそうで、周りから
すれば「三日坊主」とすら呼べないレベルとのことでした。
その折は、なんでも「尋常でない筋肉痛」を理由に颯爽と中断してしまった
とのことですが、肝心の本人は「まったく記憶にございません」。

さらには、ロープワークについても同様の指摘を受けました。 
こちらの場合は教本を買っただけで、ロープの結び方を実技するまでには
至らなかったとの証言です。 「そんなハズはないッ!」

でも念のためですからこっそり本棚を整理し直してみると、アレッ、
「ロープワーク」の教本が出てきたのですねぇ、これが。
いや、正直なところビックリで、「青天の霹靂」ってこんな時に使う言葉かと
思ったほどです。 (少しばかり違うような気がしないでもありませんが。)

さて、この「三日坊主」とは別に、「三日天下」という言葉もあります。
こちらは、戦国時代に家臣・明智光秀が主君・織田信長を討って天下を取った
ものの、十数日にはライバル・羽柴秀吉に討たれてしまったことをいった
言葉です。
こちらの「三日」も坊主の場合と同様に、指入りカウントして数えた実際の
日数ではなくやはり「極めて短期間/束の間」を強調した言い方になっています。

折角ですから、その辺をもう少し整理してみましょう。
明智光秀(1528?-1582年)織田信長に仕え殊遇を得るが後に謀反
織田信長(1534 -1582年)全国統一の業半ばで光秀謀反により倒れる
羽柴秀吉(1537 -1598年)山崎の戦いで光秀を討ち信長に変わり天下に号令

以上が主要な登場人物です。 そして、
「本能寺の変」(1582年) 京都本能寺に宿泊中の信長を家臣・光秀が討つ
「山崎の戦い」(1582年) 秀吉に撃破された光秀は敗走途中に殺害される

要するに、それまで家臣の立場にあった光秀が「本能寺の変」(6月2日)で、
主君・信長を討ち倒したその日から、「山崎の戦い」に敗れて逃亡中に土民に
殺害(6月13日)されるまでの実日数13日間のことを「三日天下」と言っている
わけで、かなりデフォルメした表現になっています。

そうした表現が許されるのであれば、「三日坊主」や「三日天下」の他にも
「三日○○」と言えそうなことがあるのではないか?
そこで、日本史の中からそうした「三日○○」もどきの出来事を見つけ出して
みようと思い立ちました。

要するに、指入りカウントして数える実日数の三日ではなく、「極めて短期間/
束の間」ほどの意味合いでの「三日○○」をです。
ところが、これが思いかけずに難儀な作業になりました。

考えてみればこれはある意味当然で、「極めて短期間/束の間」ということは、
歴史に及ぼす影響もハナから小さいわけで、そのためにクローズアップされる
機会も必然的に少なくなるからです。
その手の事柄を探し出そうとするのですから、難儀を避けることはできません。
う~ん、そこで、しばし沈思黙考するハメに。


 fukuhara_sento800_01.jpg ashikaga_yoshiaki_01.jpg
 福原遷都八百年記念の碑 / 室町幕府将軍・足利義昭

 応援クリックを→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ ←にほんブログ村



~坊主も天下も三日なら、これも同様ではないか~という候補を見つけました。
平清盛(1118-1181年)です。
清盛が亡くなる前年(1180年)のこと、世情は風雲急を告げていました。

それまで平氏政権下の中央政界に留まり、清盛の篤い信頼を得ていた源頼政
(1104-1180年)が、第77代・後白河天皇(1127-1192年)の第三皇子・以仁王
(もちひとおう/1151-1180年)と結んで挙兵を企て、諸国の源氏に対して
平家打倒の令旨(皇族の命令)を伝えたのです。

しかしこの計画は事前に露見することとなり、準備不足のまま挙兵
(以仁王の挙兵/源頼政の挙兵/1180年)したために、結局は平家の追討を受け、
以仁王は戦死、源頼政は自害に追い込まれてしまいました。

しかし、平家に対する抵抗運動はこれだけに留まることはなく源頼朝
(1147-1199年)、木曾義仲(1154-1184年)ら源氏勢力も相次いで挙兵。
入京を誇示する義仲の勢いにたまらず、ついに清盛は福原(現:神戸市)への
遷都を強行したのです。

元々が保守・伝統を好む朝廷・公家ですから、この遷都を好みません。
そうしたことから「福原遷都」は反対が根強く未完に終わり、結局は京都に
帰還することになりました。  その間約170日。
この短い遷都期間を「三日遷都」と言うのはあまりに大袈裟としても、まあ
「三月遷都」くらいに呼んだとしても、さほど失礼にはならないでしょう。

平氏棟梁である清盛の死が1181年のことで、「壇ノ浦の戦い」で平家が滅亡に
至ったのが1185年のことですから、この「福原遷都」は平氏政権末期の
右往左往ぶりを象徴した出来事だったのかもしれません。

さてここまで来たら、折角ですから「三日○○」と冠できそうな出来事をもう
一つくらい見つけてみたくもなります。 
そこで、またあちらこちらを徘徊するはめになったのですが、すると
ひょっこり、この人物に突き当たりました。

室町幕府(最後の)第15代将軍・足利義昭(1537-1597年)です。
義昭の将軍在職期間は1568年から1588年とされています。
ところが、一般的な歴史年表ではこう説明されているのです。
~室町時代とは、1336年から(義昭京追放の)1573年の期間~

これらを重ねてみると、イヤでもこういうことになります。
~室町幕府が滅亡したのは1573年だが、義昭自身は1588年まで将軍だった~
だったら、こんな疑問が出てくるのは当然です。

~室町幕府滅亡の1573年から将軍でなくなった1588年までの、およそ
 15年の間、義昭は「何の将軍」をやっていたの?~

えぇ、幕府は滅亡したとされているのに将軍は存在していたことになるわけ
ですから、話はちょっとややこしい。

そこで、京を追放された義昭の「引っ越し先」を知る必要が出てきます。
理屈から言えば、その地で将軍を務めていたことになるからです。
義昭は当初、大阪や和歌山の辺りの知り合いを頼って逃げ隠れしていたよう
ですが、それでは敵対する信長に近すぎる。

そこで、毛利氏の支配下である備後国(広島県)「鞆の浦」に腰を落ち着けました。
ですから、日本史用語の慣例に従えば、「鞆の浦幕府・初代将軍」ということに
なるのかもしれません。

以下は「福山市ホームページ」から転載。
~(鞆幕府とは)戦国時代、織田信長によって擁立された室町幕府
 第15代将軍の足利義昭は、やがて信長と対立。
 1573年に京都を追われ、流浪を重ねながら最終的に毛利輝元を頼り、
 鞆に身を寄せます。

 一般的に義昭が京都を離れた時点で室町幕府は滅んだとされますが、
 義昭はその後も征夷大将軍の地位にあり、1576年に鞆で政権を構えました。
 また毛利輝元を副将軍に据え、幕府直轄下の寺院を支配して援助を得るなど、
 将軍としての影響力をもっていました。

 近年の研究では、諸説ありますが、義昭が鞆を去る1587年までの11年間の
 政権を「鞆幕府」と呼んでいます。~


このHP記事に従えば、この「鞆幕府」も、先の「三日天下」や「三月遷都」と
同等程度のデフォルメを加えるなら、まあ「三年幕府」くらいには呼べるかもしれません。
えぇ、ここで今回タイトルである「三日三月三年限りの栄光」の揃い踏みが
完成したということです。 やれ、メデタシ、メデタシ。




 応援クリックを→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ ←にほんブログ村



--直近の記事---------------------------
711 日本史の「発明発見」27 お茶ルネッサンスの仕掛人 飲めばパワー全開
710 日本史の「災難」17 ウップン全開放の箇条書き 口答え無用の恐怖叱責
709 日本史の「数字」08 お歴々は五世孫を主張した それが正統性の限界か
708 日本史の「微妙」18 五つ金と五つ輪の四方山話 万葉集と五輪の金銀銅
707 日本史の「列伝」15 鎌倉後継将軍たちの履歴書 嫡流から摂家や親王へ
706 日本史の「忘れ物」30 日本製ワクチン出遅れる 細菌戦争に直結する?
----------------------------------
ヤジ馬の日本史~超駄級・700記事一覧~ №601-699編 貧乏ヒマな史!
ヤジ馬の日本史~超駄級・600記事一覧~ №501-599編 だがしか史!
ヤジ馬の日本史~超駄級・500記事一覧~ №401-499編 満腹握りめ史!
ヤジ馬の日本史~超駄級・400記事一覧~ №301-400編 颯爽ろくでな史!
ヤジ馬の日本史~超駄級・300記事一覧~ №202-299編 堂々肩すか史!
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 後編「な→ん」巻 あゝ七転八倒!
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 前編「あ→と」巻 七転び八起き!
----------------------------------

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント