日本史の「数字」07 徳川将軍の二番目記録

♪あたまを雲の/上に出し/四方の山を/見おろして/
 かみなりさまを/下に聞く/富士(ふじ)は/日本一の山/

唱歌「富士山」の歌詞にもある通り、日本一高い山は富士山であることは
日本人の常識になっているといっても過言ではありません。

その富士山について、裾野は山梨県と静岡県に広がり頂上は3,776mなどと、
友人とちょっとした雑学競争をしていたところ、周りにいたオジサンから
不意の問いかけが。 ~だったら高さ二番目はナニ山だか知っとる?~


 fuji_yama_01.jpg ♪富士は日本一の山

「日本一高い富士山」は常識かもしれませんが、日本二番の高い山とも
なると、これは案外の盲点で返事に詰まってしまいます。 
すると、オジサンからこんな解答が。
~そんなもん、名前からしても二位高山(新高山)に決まっておろうが~
なんだぁ、オジンギャグを飛ばしたいだけだったのか。

そこで念のために「日本一」ならぬ「日本二」の山を探ってみると。
~標高3、193mの北岳(山梨県南アルプス市)が日本第2位の高峰~
ことのついでに、寒いオジンギャクに出た二位高山(新高山)にも目をやると
~標高は3、952mあり台湾で最も高く、日本統治時代(1895-1945年)には
 日本の最高峰であった~
 
ゲッ台湾にあったのか、富士山より高かったのか、ついぞ知らなんだなぁ。

しかも、その新高山にはこんなエピソードが。
~日米開戦の日時を告げる大日本帝国海軍の暗号電文「ニイタカヤマノボレ
 一二〇八」の「ニイタカヤマ」とはこの新高山のこと~

えぇ、日米開戦となった1941年12月8日を意味する「一二〇八」です。

ことほど左様に、最高とか最長などと冠される「一番目(トップ)記録」は
割合と記憶にあるものです。
しかし、この二位高山?のように準優勝もどきのいわゆる「二番目記録」には
案外に無頓着・無関心なのもこれまた事実のようです。

そのことに気が付いたので、今回その二番目記録に注目してみることに
したのですが、たまたまのことつい先日見たNHK大河ドラマ「青天を衝け」に
江戸幕府第十五代将軍・徳川慶喜(1837-1913年)が登場していたことを思い出し
たのです。

えぇ、江戸幕府「最後の将軍」であり、かつ日本史上「最後の征夷大将軍」と
冠される御仁です。
その徳川慶喜については、このように「最後の」という修飾ばかりが目立って
いますが、実は江戸幕府歴代将軍の中で「最短の在任期間」という記録も
備わっているのです。

在任の期間は1867年1月から1868年1月までですからちょうど1年ポッキリ。
幕末という日本史上でも未曽有の混乱期に当たっていたことを思えば、
この短さも無理もないのかもしれません。

それはそれでよしとして、では「二番目記録」に注目です。
江戸幕府歴代将軍全15人の中で、その在職期間が二番目に短かったのは誰?
知っている人以外は案外知らないものです。
しかし、その答えを知って、多少の意外感を持つ人も少なくないのでは? 
かく申す筆者もその一味であったことを白状しておきましょう。

答えは初代将軍・徳川家康(1543-1616年)で、その在任期間は1603年2月
から1605年4月までの2年余り。
確かに数字を辿ればその通りなのでしょうが、筆者としてはもう少し長かった
イメージがありました。
歴史ドラマにもよく登場していることがそれなりの親近感を生み、それが
錯覚を呼んでいたのかもしれません。

さて、江戸幕府(1603~1867年)の265年間を歴代将軍15人で割り算すると
265年÷15人≒17.6年/人ほどになります。
ということは、在任期間が極端に短かったこの最後と最初の将軍以外の方々は、
それなりに長期間にわたって務めたことになるわけです。
では、その最長不倒記録と二番目不倒記録は?


 tokugawa_ieyasu_01.jpg tokugawa_yoshinobu_51.jpg
 初代将軍・徳川家康 / 第十五代将軍・徳川慶喜

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最長不倒在任記録を持つ将軍をご存知の方は多いのかもしれません。
第十一代・徳川家斉(1773-1841年)で、その在任期間は1787年4月から
1837年4月までの50年、つまり半世紀ちょっきりです。

実はこの将軍、この記録以外にもユニークなエピソードを豊富にお持ちに
なっています。 たとえば、
~精力増強のためオットセイの陰茎を粉末にしたものを飲んでいたので
「オットセイ将軍」とも呼ばれた~


その効果によるものか、儲けた子供の数も男子26人/女子27人の合計53人
とされ、半端ではありませんでした。
もっとも、成人まで成長できたのは半数の28人だったとか。

またその最期も、将軍としてはそうそうありふれた姿ではありませんでした。
当然の如く将軍のお住まいで生活していたのですから、取り巻きの者たちも
多く、一人になれる時間もほとんどなかったように想像したくなるところです。

ところが、ギッチョン、こう伝えられているのです。
~栄華を極めた家斉であったが最期は誰一人気づかぬうちに息を引き取った~
現役の将軍が、結果として「自宅で孤独死」?したことになりますから、
周辺にいた関係者にとっては弁解出来ない大ポカでした。

では、二番目不倒記録を持つ将軍は誰?
第八代将軍・徳川吉宗(1716-1745年)になるようで、これが1716年8月から
1745年9月までの29年 1ヶ月です。
「享保の改革」「目安箱」政策を主導したことで、一般的には「名君」と
評されています。

しかしながら、尾張に生息する筆者などはその吉宗将軍と御三家・尾張徳川家
の藩主・徳川宗春(1696-1764年)との間に繰り広げられたガチンコの確執を
思い出してしまい、そうした評価を素直に首肯できません。
というより、正直なところ「なにが名君でぇ」との気持ちの方が強いのです。

そうした個人的な事情はともかくとして、この吉宗の後、つまり三番目
以降の記録は僅差で続きます。

○三番目/第四代将軍・徳川家綱(1641-1680年)
     在任:1651年8月から1680年5月/28年 9ヶ月
○四番目/第五代将軍・徳川綱吉(1646-1709年)
     在任:1680年8月から1709年1月/28年 5ヶ月
○五番目・第十代将軍・徳川家治(1737-1786年)
     在任:1760年5月から1786年9月/26年 4ヶ月

要するに、江戸幕府将軍の在任期間の最高が「半世紀」であり、歴代15人の
うちの1/3に当たる5人はそれぞれが「四半世紀」以上を勤めたことになります。

では、短命長命といういわゆる寿命はどうだったのでしょうか。
もっとも短命だったのは少年時代に亡くなった第七代将軍・徳川家継(1709-
1716年)で享年わずかに8。
風邪の悪化による急性肺炎が夭逝の原因だったとされています。
次いで、第十四代将軍・徳川家茂(1846-1866年)で享年21。
幕末の動乱期の「第二次長州征伐」遂行中に大阪城において急逝したもの
でした。

では、逆に長命ランキングは?
意外なことに、これが在任期間の短さとまったく同じ順位になるのです。
面白い偶然ですねぇ。
えぇ、第一位は十五代・慶喜で享年77、第二位が初代・家康で享年75、
ということです。

しかし、それでも現代日本人男性の平均寿命(81.41歳/2019年データ)
までには届いていないのです。
えぇ、100歳以上だって約8万人(女性約7万人/男性約1万人)ですから、
この現実には長寿だった慶喜サンも家康サンも、草葉の陰でちょっとばかり
ビックリこいているかもしれませんねぇ。




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