日本史の「逆転」24 女帝の独善純粋数奇な生涯

ここで取り上げるのは第45代・聖武天皇(701-756年)の娘として生まれた 阿倍内親王(718-770年)のことで、後に二度までも皇位に就いた方です。 この重祚、つまり一旦退位された後に再び即位されることですが、このこと 自体が非常に稀で、長い歴史の中でもじつは御二方しかおられません。 ですから、既に数奇な境遇の中にあったとも…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「トンデモ」07 朱子学採用も科挙は別

戦国の「なんでもあり」の状況から、最終的な勝者の地位を占めることに なった人物が三河国出身の徳川家康(1543-1616年)でした。 その「なんでもあり」の状況には、家康自身も何度も直面しています。 たとえば、家臣・明智光秀(1528?-1582年)の謀反によって主君・織田信長 (1534-1582年)が呆気なく倒された「本…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「災難」16 幕末の同時多発逆転劇

黒船来航(1853年)から大政奉還(1867年)くらいまでの15~16年間ほどの 期間を一般的に「幕末」と呼んでいます。 普通に考えれば「江戸幕府の末期」という意味なのでしょうが、その有様は まさに「激動の幕末期」と呼ぶにふさわしい状況を呈しました。 それが一番よく分かるのは、絵に描いたような「逆転劇」がどこにも頻発 した…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「数字」06 天皇賢臣の前と後の三房

「日本三大○○」という表現を時折見かけることがあって、つい最近のこと 本ブログでも、いわゆる「日本三大仇討ち」に触れたことがあります。 もっともこの折は、本当に「仇討ち」という判定が妥当なのかという点で いささかの疑問を呈した内容になったのですが。           ※日本史の「微妙」07 日本三大仇討ちのモヤモヤ さて…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「列伝」15 頑迷者の花火とチョンマゲ

いわゆる幕末期に外様大名・薩摩藩を掌握していた人物が前藩主・ 島津斉彬(1809-1858年)の異母弟に当たる島津久光(1817-1887年)でした。  しかし、藩主ではありません。 前藩主・斉彬は、この久光の長男・忠義(1840-1897年)※を養子に迎え、 遺命を以て後継藩主としたのです。   ※藩主在任中は茂久(もちひ…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「ツッパリ」28 誤りは常に相手にあり

母子2人の死亡ほか9人に重軽傷を負わせた東京・池袋の車暴走事故 (2019年4月)は、まだまだ記憶に新しいところです。 加害者の自動車に搭載されたドライブレコーダーには、その事故の前後の様子 が録画されていました。 それによると、こんな状況だったようです。 ~加害者は制限速度を超えるスピードでカーブに進入し、前方のバイクや…
コメント:0

続きを読むread more