日本史の「油断」12 祖法大事で自縄自縛

江戸幕府の創立者であり、初代将軍にも収まった徳川家康(1543-1616年)は
それより少し前に主君・織田信長(1534-1582年)に対する家臣・明智光秀
(1528?-1582年)の謀反や、またその後の、これまた家臣であった羽柴秀吉
(後に豊臣姓/1537-1598年)が主家・織田家を乗っ取る姿をを目の当たりに
してきました。


 honnoujino_hen_53.jpg 本能寺の変 

こうした体験を重ねた家康がそれなりの心構えを持つのは当然です。
~間違っても、徳川将軍家に対する謀反・乗っ取りなどが起こってはならぬ。
 そのための手を早々に打っておかなくっちゃ~

そこで、武士社会に「朱子学」を拡げることにしたのです。

朱子学の最大の徳目は孝であり忠ですから、これを武士の教養として定着
させるなら、主君(将軍)に対する謀反も、また主家(徳川家)に対する
乗っ取りも「武士にあるまじき非道の所業」ということになります。
つまり、家康はそうしたことへの抑止力として朱子学を採用したわけです。

で、この初代将軍・家康の命により二代将軍・秀忠(1579-1632年)が
まとめ上げた、武士・武家に対する統制を目的とした「武家諸法度」
(元和令/1615年)の登場です。
同じ頃から、朝廷公家に対しては「禁中並公家諸法度」(改訂なし)、
寺社へ向け「寺院諸法度」を定めていますが、こちらは今回取り上げません。

さて、その「武家諸法度」とは、今風ならさしずめ「武家の憲法」ほどの
位置づけになるのかもしれません。
そうした意識で捉えるなら、時代に即した改定も当然必要になってきます。
なぜなら、時代に伴い武士の社会環境も変化するからです。

余談ですが、1947年に施行された「日本国憲法」がその後、一度として
改定されることもなく現在に至っている事実は、世界的にもむしろ珍しいこと
なのかもしれません、
どの国とて数回から数十回の憲法改正を行っているのが普通?だからです。

ひょっとしたら、これもまた「日本の常識は世界の非常識」ということに
なりそうですが、それはともかく、江戸幕府の「武家諸法度」は以下のように
数度の見直しをしています。
○寛永令(1635年) 三代・家光 →参勤交代/大船の建造禁止
○寛文令(1663年) 四代・家綱  →キリスト教禁教を明文化
○天和令(1683年) 五代・綱吉 →殉死の禁止/末期養子の緩和
○正徳令(1710年) 六代・家宣 →和文体に
○享保令(1717年) 八代・吉宗 →改訂なし(天和令に戻る旨)

いずれも、その時代の社会状況に即した改正です。
こうして眺めてみると、三代・家光の頃ともなると天下の権力者として、
他家から人質を取ることさえ明文化していたことが分かります。
さらに大船の建造禁止との改正は、今後は海外世界との交流に目をやること
なく、自国内で自給自足するライフスタイルを選択する意志を示したものと
いっていいのでしょう。

また、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康の時代には、その活動をそれなりに
許していたキリスト教をその後禁教としましたが、四代・家綱の時代には
その禁教の旨をはっきり明文化しています。
キリスト教が抱いていた領土的野望に対して、大いなる警戒心を示したと
いうことです。

対外的な政策だけではありません。 
内政的にもあれこれの見直しが行われています。
三代・家光、四代・家綱の時代には、なんやかやの理由を付けては他家を
取り潰すことに躍起になっていたのですが、五代・綱吉の頃には逆にそれを
救済する方向での改定を明文化しています。 

また、それまで建前としては武士の鑑とされていた、主君の死に対して家臣が
死を選ぶ(殉死)ことを、有用な人材を失うという事実を理由に、これを禁止
しました。
また、それまでは後継者がないままに当主が亡くなった場合などは、容赦なく
即改易の処置が取られていましたが、それなりの猶予を認めるようになって
います。 これも大きな方向転換と言えそうです。


 buke_syohatto-52.jpg shimabarano_ran_01.jpg 
  武家諸法度 / 島原の乱

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という具合に、この頃までは割合熱心に取り組んでいた憲法改正?でしたが、
ところがこれ以後になるととんと不熱心な姿勢に転じます。
じつは、これもまた朱子学の影響でした。

それまでは「教養」とされていた朱子学が武士社会に浸透するや、いまや
「常識」にまで拡散したことで、「武士とは朱子学原理主義者である」と
言ってもいいほどのものになりました。

しかも、先にも挙げた通り、その朱子学の最大の徳目は孝であり忠なのです。
すると、どうなるの?
先祖や先人や先輩方が行ってきたことに疑問や批判は挟めなくなります。
そりゃまた、どうして?

そうした行為・行動自体が「(親)不孝」であり、また「不忠」の極みという
解釈になるからです。 するってぃと、どうなるの?
必然的に「何事も御先祖様(先人・先輩方)がやってきたやり方が正しい」
いうことになります。
「先人たちは正しい」のですから、そこへ疑問や批判を挟むなぞは、常識ある
人間のすべきことではない。 こういう理屈になるのです。

ですから、この後の「武家諸法度」にも大きな改定が加えられることは
ありませんでした。
そんなことをしようものなら、「祖法(先人たちが行ってきた方法)」に
ケチを付けたという解釈になってしまうからです。

早い話が、八代・吉宗が下した決定がその通りの内容になっています。
~武家諸法度には改定を加えず、(五代・綱吉当時の)「天和令」に戻るべき~
こうした「朱子学原理主義者」もどきの動きは、なにも吉宗に限りません。
その後も、多くの人物が同様の言動を繰り返しました。

後世「江戸時代の三大改革」と呼ばれるようになった幕政改革もその通り
でした。 ちなみに、その「三大改革」を順に並べれば、
「享保の改革」(1716-1745年?)八代将軍・徳川吉宗の主導による
「寛政の改革」(1787-1793年) 老中・松平定信(吉宗の孫)の主導による
「天保の改革」(1830-1843年) 老中・水野忠邦の主導による
こうなりますが、いずれの政策の内容も朱子学べったりですから、本来なら
とても「改革」と表現できるものではありません。 

さて、朱子学の嗜好?の一つに「貴穀賤金」を取り上げることができます。
~穀物(米)こそが貴いのであって銭なんぞは汚く賤しい~
ですから、「朱子学原理主義者」が考える政策は必然的に農業重視になり、
商業寄りの政策が罵倒されることになります。
八代・吉宗が「米将軍」と呼ばれ、名君との評価を得た理由もこの思想を
通して眺めるとよくわかります。

また、松平定信が「商は詐なり」(商業・商人なんて詐欺なのだ)との言葉を
残したことも、さらには商業重視政策を取った先輩老中・田沼意次に対して
「ワイロ政治家」との誹謗を繰り返し、日記にも「いつか殺してやりたい」
とまで書き残したことも筋金入りの「朱子学原理主義者」であったことの
証拠と言えましょう。

さらにもう一つには、「士農工商」という身分思想があります。
同時代の経世家・林子平(1738-1793年)は、こんな言葉で海防充実の必要性を
訴えました。
~江戸の日本橋より唐(から)、阿蘭陀(オランダ)まで境なしの水路なり~

ところが、時の老中・松平定信は、その著者「海国兵談」を発禁本とした
ばかりか、版木は没収廃棄処分とし、著者である子平を処罰(強制帰郷/蟄居)
したのです。

ところが、著書の内容が処罰の理由ではないのです。
~(武士の身分ではない)医者風情の、そのまた弟の分際が、エラそうに
 御政道に口を 出すなんぞは絶対にあってはならんことだ~

松平定信にとっては、子平の行動が「士農工商」という朱子学的な身分区分に
抵触?したことが問題だったということです。

このようにして、以降の江戸幕府は「朱子学の呪縛」から逃れることが
できないまま、次第に時世の変化に対応できなくなっていきました。
そしてついには、子平が憂慮した通りに「黒船来航」(1853年)です。
こうなると、「朱子学」では何らの対応を取ることもできず、徳川幕府も
ついに政権返上と相成ったワケです。 
ですから、自縄自縛の最期だったと言っていいのかもしれません。

そう言えば、幕末期にその幕府を相手に回して戦った長州藩・高杉晋作
(1839-1867年)には、こんな言葉がありましたっけ。 
~朱子学では戦は出来ぬから~
「祖法大事/士農工商/貴穀賤金」という朱子学的価値観に凝り固まっていた
のでは、到底新しい時代は迎えられないゾという意味だったのでしょうか。




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