日本史の「言葉」32 毬遊びとどんど焼きと左利き

仲間うちでの雑談中にふとこんな言葉が飛び出しました。
「左ギッチョ」。 要するに左利きを意味した言葉です。
ところが、この言葉に対する仲間の反応は様々で、たとえばこんな具合。

A氏/完全に差別用語なのだから、仲間内でも使うべきではない。
B氏/このド田舎・尾張だけで通じる方言であるから、それ以外の人も
   加わった場面では、普通に「左利き」との表現をすることが望ましい。

C氏/郷に入れば郷に従えで、この地・尾張に身を置いているのであれば、
   「左ギッチョ」もごく普通の言い回しではないか。
D氏/一種の隠語めいた雰囲気もあるからには、この場はともかく不特定
   多数が集まる場では控えることが良識というものかもしれん。

E氏/とんでもハップン! まごうことなき標準語であるからして、
   その使用には制約もなければ問題もありゃあせん。


 obama_lefty_01.jpg 左利き/オバマ元米国大統領

しかし、無知を絵に描いたような連中が、ああだ、こうだと口に泡していても
始まりません。
そこで、折角ならこの機会に正解を探ろうということに落ち着きました。

しかし、本ブログではつい最近もこうした「左/右」問題※を扱ったため、
重なるテーマという点ではいささか心苦しいものがありますが、しかしまあ、
仲間内の意見衝突を解消させるためということで、しばらくのご協力を
お願いするところです。 ※日本史の「付録」14 天照大神と野球用語

さて、「ぎっちょ」という言葉を探してみると、まずはこんな説明にぶつかり
ました。 ~左きき/左ぎっちょ~ 
これは、とっくに承知していることです。 さらには、
~地域によっては「ぎっちょ」は差別用語にあたるため放送禁止用語に
 なっているが、東北地方では普通に方言として使われており、差別や相手を
 馬鹿にしているわけではない~


放送禁止用語になっているのであれば標準語ということですから、A氏や
E氏の主張は正しいことになりそうです。
しかし、東北地方でも普通に方言として使われているのなら、B氏の主張で
ある「ド田舎・尾張だけの方言」というわけでもないことになる。
う~む、「ギッチョ」って結構奥が深そうだ。

そこで語源を探ってみると、Wikipediaにこんな記述が。 
~「(左)ぎっちょ」の語源は「毬杖」(ぎっちょう)~
えええ、何ですか、その「ぎっちょう」って? ますますワケが分からん。

~毬杖(ぎっちょう)は、木製の槌(つち)をつけた木製の杖を振るい、
 木製の毬を相手陣に打ち込む遊び、またはその杖~

筆者はそんな遊びをしたこともないし、そんな杖を見たこともないゾ。

すると、
~平安時代に童子の遊びとして始まり、後に庶民の間に広まり、その後は
 形骸化していったが、正月儀式としては江戸時代頃まで残った~

なんだ、それで納得! 
筆者は江戸時代にはまだ生まれていないのだから、知らなくても当然なのだ。

でもなぜ、「左利き」のことを「毬杖」と言うようになったの?
~左利きの人が毬杖を左手に持ったことから、「ひだりぎっちょう」の語源
 とする説もある~
 さらには、古い本にはこんな説明もあるそうだ。
~左の手の利きたる人を「ぎっちょ」といへるは、左義長といふ意~

う~む、ますます茶の木畑へ入り込んでしまったようだ。
ええ、筆者の生息地であるド田舎・尾張では、迷路に迷い込んだように出口が
分からなくなってしまうことを「茶の木畑へ入る」って言います。
つまらん余談でしたが、それはともかく、ここから抜け出すためには、
この「左義長」にもアプローチする必要がありそうです。


 gittyou_01.jpg sagityou_01.jpg
    毬杖 / 左義長(三毬杖・さぎちょう)※どんど焼き

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その「左義長」(さぎちょう/三毬杖)とはこう説明されています。
~小正月(正月15日またはその前後を含む期間)に行われる火祭り行事であり、
 地方によって、とんど(歳徳)、とんど焼き、どんど、どんど焼きなどとも
 言われる~


なんだ、最近では防火上の観点から、街中で行われることが少なくなって
しまった、あのどんど焼きのことなのか。
しかしまあ、「左ギッチョ」と「どんど焼き」に関連があるなんて、とんと
知らなかったなあ。

そんな流れで一応の解答が得られた後のこと、仲間雑談の次なるテーマは
これでした。  ~左ギッチョ(左利き」の武士はいたのか?~
これも喧々諤々、数多の解釈が無責任にタレ流されるばかりで、確たる
答えにはほど遠い。 そこで、今度もちょいと調べてみることに。

最初にぶつかったのが、この説明でした。
~武士は利き腕に関係なく左腰に刀を差していた~
それでは左利きの武士はメッチャ不便だったろうにと思いきや、親切にも
こんな「一説」も紹介されていました。

~(江戸時代)当時は道が狭く、左利きが右腰に刀を差していると、道で
 すれ違う時に相手の刀とぶつかってしまう。
 刀の接触は相手への非礼とされていたため、これを避けるために
 左利きの者も左越しに刀を差すようになった~
 なるほどねぇ。

しかも、この頃は「右利き」が正しい所作だとされており、本来は「左利き」
である者も、それを矯正するように幼い頃から訓練されたとのことです。
~左利きは躾(しつけ)の失敗例~という受け止めだったのでしょうか。

しかしまあ、時代そのものが、戦もなく平和を享受していていた世相でした
から、刀を抜いての真剣勝負もそうそうはなかったことでしょう。
それを考えれば、「左利き武士」が「左腰帯刀」にしていたところで、
それほどの不便はなかったようには感じられます。

その人数はそれほど多くはなかったと思いますが、ただ、病気や負傷に
よって右腕が機能しなかった武士もいたことも考えられます。
では、そうした者はどうしていたのか?

ちなみに、これはお話とは逆に左腕のケースですが、実在した「隻腕」(片腕)の
武士としてその名を挙げられている、幕末期の幕臣・伊庭八郎(1844-1869年)
のケースを探ってみます。
~隻腕の剣客として知られる~と紹介されているからには、剣の技術も
相当なものだったはずです。

鳥羽・伏見の戦い(1868年)に従軍する中で負傷したことによって、
左腕の途中から切断し「隻腕」になったようです。
これ以後、不自由な体でありながら戦い抜き、箱館戦争(五稜郭の戦い/
1868-1869年)で、今度は被弾負傷です。

ところが、負傷兵としての後方搬送をきっぱり断わって、わざわざ五稜郭に
入りました。 徹底抗戦の覚悟です。
しかし、その後に戦況が好転することはなく、いよいよ開城前夜になって
自決しています。

では、それとは逆に、実在はしなかったけれどメッチャ有名な「隻腕」の剣士は?
そりゃあもう、人気時代小説の主人公・丹下左膳の名を挙げるべきでしょう。 
小説家・林不忘(1900-1935年)が八代将軍吉宗の時代を借りて
創作した人物ですから、物語上では江戸時代の剣士ということになります。

それに、何しろ隻腕だけじゃありゃあしません。
右腕・右目を失った、つまり隻腕で隻眼、その上に剣の強さったら
ちょっくらちょいではないのです。  では、この丹下左膳の場合にも、
~武士は利き腕に関係なく左腰に刀を差していた~のか?

そこで数多の「丹下左膳」映画のスチール写真を確かめてみると、帯刀姿には
それほどの拘りは持たなかったようで、作品によっては江戸時代に正式と
された左腰帯刀もあれば、それとは逆の右腰帯刀のポーズもありました。
こんな大雑把加減が許されてしまうのも、もとより創作人物であることの
強みなのかもしれません。

ややっ、話の軌道が大きく横道に逸れてしまったぞい。
さて、元に戻して、「左ギッチョ」という言葉です。
ド田舎・尾張を生息地とする筆者なぞは、上の調査結果から、このように
受け止めた次第です。
~語源からしても「左ギッチョ」とは決して差別用語ではありゃあせんゾ~




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