日本史の「トホホ」32 政権以前の武士の境遇

武士政権と聞けば、まず大方は以下の三つの幕府政治を連想することでしょう。 
時代順に並べれば、こうなります。
鎌倉幕府(1185頃-1333年) 創立者/源 頼朝
室町幕府(1336 -1573年) 創立者/足利尊氏
江戸幕府(1603 -1867年) 創立者/徳川家康

さらに、それぞれに一口メモを添えるならこんな感じか。
最初の幕府政治である鎌倉幕府は、政権トップである征夷大将軍の座には
創立者・源頼朝の血筋が就くようにしました。
しかし、それも三代まで。
執権としての北条家が政治実務は掌握したことで、四代以降の将軍には、
藤原家や皇族出身者が据えられました。


 mouko_syuurai_ekotoba_01.jpg 蒙古襲来絵詞

また、外国元から侵略戦争を受けたことも鎌倉幕府にとっては大きなダメージ
になりました。
撃退には成功したものの、外国から仕掛けられた戦ですから、実質的な
戦利品を獲得することはできません。
つまり、「御恩と奉公」という幕府運営の根幹システムが巧く機能しない状況に
追い込まれたのですから、結局は衰退への道を辿らざるを得ません。

その後には次なる室町幕府が創立されました。
しかし、これは鎌倉幕府終焉の直後に続けざまの形で成立したわけでは
ありません。
年代の数字を見比べると分かる通り、両幕府の間には、短い期間ながら
「建武の新政」(1333-1336年)という時代が挟まっています。

鎌倉幕府を打倒した第96代・後醍醐天皇(1288-1339年)が親政(天皇自らが
行う政治)を行った期間で、つまり、武家政権・幕府政治は、この時点で
一旦中断されたことになります。

しかも、こうした朝廷勢力の存在は室町幕府の運営にとって大きな障害に
なり続けました。
「建武の新政」に引き続いて、「南北朝時代」(1336-1392年)とする時代区分が
設けられていることがその証拠です。

幕府が厳として存在しているのに、南朝と北朝に分裂した皇統はその隙を伺う
姿勢を示し続けていたのですから、幕府も放っておくことはできません。
皇統分裂の争いの影響は、実際幕府が無視できるほどには小さくなかった
のです。

結局のところ、幕府の本拠地を本来的な東国に置くのを諦めざるを得ず、
仕方なく京の地・室町に構えたために、後世「室町幕府」と呼ばれることに
なりました。
その意味では、やはり武家政権としては間違いなく脆弱な政治基盤だったと
言わざるを得ません。

では、三つ目の幕府の江戸幕府はどうだったのか。
まず、そのトップである征夷大将軍の座には、創立者の血統にある者が、
その後も十五代に渡って収まり続けたことが挙げられます。
室町幕府も同様な形で続いたことは確かにその通りですが、実情を眺める
なら、三つのうちでは最も安定した武士政権だったと評価できそうです。

ただ、国内においては絶対的な権力を誇ったものの、長らく没交渉(鎖国政策)を
決め込んでいたために、外国に対してはその対応がいかにも不慣れで拙く、
それが原因で、ついには幕府も終焉を迎えるハメになりました。

う~む、こう眺めただけでも、武士政権の変遷にはなかなかに面白いものが
あります。 しかし、ではでは、幕府政治、つまり武士政権が登場する前の
武士って、いったいどんな状況にあったの? 
こんなことをいきなり尋ねられると、正直言葉に窮してしまいます。

そこで気を取り直して、その辺りを少し徘徊してみると、こんな言葉に
ぶつかりました。  「○○(の)武士(者)」・・・えっ、何ですかそれ?


 hokumen_bushi_01.jpg taira_tadamori_01.jpg
 北面武士(御所を警護する武士たち) / 平忠盛

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この他にもあるのかもしれませんが、筆者が遭遇したのは以下の三つ。
少し補足を加えながら時代順に整理してみると、こんな具合です。

「滝口(の)武士(者)」 平安時代(9世紀末)
 内裏や天皇の警護を行っていた武士たちで、庭の流れの落口(滝口)近くを
 詰所にしたことからこの名が。
 例>平将門(生年?-940年) 後に不本意ながら朝廷に反旗。

「北面(の)武士」 平安時代(11世紀末)
 →主に寺の強訴に対応するために創設/白河法皇
  院(上皇)御所、上皇の警護を行っていた武士たちで、御所の北面に
  詰所があったことからこの名が。
  例>源義朝(1123-1160年) 後に鎌倉幕府を創立する頼朝の父。

「西面(の)武士」 鎌倉時代(13世紀初頭)
 →鎌倉幕府に対抗する軍事力として創設/後鳥羽上皇
 →「承久の乱」(1221年)では上皇軍として参戦するも鎮圧される。 
  院(上皇)御所、上皇の警護を行っていた武士たちで、御所の西面に
  詰所があったことからこの名が。
  例>藤原秀康(生年?-1221年) 後鳥羽上皇側の大将軍。

ちなみに、「承久の乱」(1221年)で鎌倉幕府に敗れた後鳥羽上皇(1180-1239年)が
隠岐国に流されると西面武士は早々に廃止され、さらには朝廷の武力を削ぐため
に北面武士も規模を縮小し、次第に有名無実化していったとされています。

要するに、朝廷・公家に尽くすことより、武士自身の利益を図るようになって
いったわけです。
ただ、それでも家門を示す名誉職としての「北面(の)武士」は明治維新まで
存続したようです。

ですから、幕府誕生以前の武士についてはこんな言い方ができるのかも。
~(幕府以前)当時の武士という存在は、最高に出世した場合でも上皇の
 ボディガード、上皇御所のガードマンがせいぜいのところであった~

「滝口/北面/西面武士」についての説明も確かにその通りの内容になって
います。

もっと露骨に言うなら、こんなことも?
~武士は朝廷公家の「番犬」もどきの立場にあった~
その原因は、朝廷公家が「武士は穢れた存在」と見ていたことにありました。
なんだとぉ、どこが穢れているってんでぇ! 

それは、こういうことです。
この国の権力者である朝廷・公家は、第50代・桓武天皇(737-806年)以来
「武装」という発想を棄て、軍隊も警察も実質的になくしてしまいました。
それは、この当時から、国家であれば何事につけ「丸腰/非武装」である
ことがもっとも高貴な姿であり、かつトレンディな思想ということになった
からです。

ところが、警察もいないという実情ですから、武士は自衛という意味もあって
武装していました。
武士のそうした姿は、朝廷公家からしたら「アンビリーバボー」であり
「とんでもハップン」なことでしたから、当たり前のように差別もします。
「武装するなんて、なんとも野蛮で穢れた奴らだ」ということです。
ところがおかしなもので、そうした思想に引きずられて、武士自身もまた、
同じ傾向のコンプレックスを自らに対して抱きます。

ですから、こんな言い方もできるのかもしれません。
~幕府登場以前の武士は半ば朝廷公家連中の奴隷もどきの存在であり、
 いっぱしの公民権?なぞに無縁であった~

そういうことであれば、そうした状況を打破するために、朝廷公家勢力に
対して、「公民権運動」?を模索する動きも出ようというものです。

しかし、それは簡単なことではありません。
高貴を自認する朝廷公家が、穢れた奴隷の存在である武士に対して、
公民権を認めるはずもないからです。

しかし、時代は変わっていきます。
その陰には、おそらく莫大な献金など、数々の工作もあったのでしょうが、
ともかくそれまで決して許されることのなかった武士の昇殿が、とうとう
実現する日が来たのです。
武士としての、その最初の殿上人は北面武士でもあった平忠盛(1096-1153年)
でした。

えぇ、それまで昇殿できる殿上人と、昇殿を許されない地下人とが明確に
区分されていた身分の垣根の一部を、武士たる平忠盛が初めて乗り越えたと
いうことです。
初めての武家政権・鎌倉幕府が誕生したのは、この出来事から六十余年後の
ことであり、これ以後の変遷は先にもご案内した通りです。

蛇足かもしれませんが、親切心から一言。
昇殿が許される「殿上人」に対して、昇殿不許可の者を「地下人」(じげにん)と
称しますが、地べたに伏す身分というイメージはあるものの、決して
「地下人=地底人」ということではありませんので、御留意くださいネ。




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