日本史の「タブー」14 平安貴族のケガレ感覚

平安京に遷都された年から、朝廷側が武士身分である源頼朝に守護や地頭の 設置権を認めたときまでの期間(794-1185年)を、一般的には平安時代と 呼んでいます。 平安京が都だったことから「平安時代」という名称になったことは言うまで もありません。 その「平安」とは、今風の言葉なら「平和」ほどのニュアンスになりますが、 時…
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日本史の「言葉」31 朱子学じゃあ戦が出来ぬから

明治維新に大きな功績を果たした雄藩も実際にはそれぞれの事情を抱えて いました。 そうした事情は長州藩でも同様で、藩主・毛利敬親(1819-1871年)の下で、 改革派と保守派の2つの派閥が主導権を争っていました。 その各々の姿勢を追えば、改革派とは尊王攘夷・討幕派のことであり、 保守派とは幕府恭順派ということになります。 …
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日本史の「例外」05 皇位継承の現代事情

第126代天皇・徳仁は昨年の令和元(2019)年5月1日に即位され、本年 令和2(2020)年11月8日には皇位継承順位第1位である弟・文仁親王が 「立皇嗣の礼」を迎えられました。 基本的に皇嗣は皇太子(在位中の天皇の皇男子)がなるため、従来は 「立太子の礼」が行われてきましたが、天皇徳仁の御子は愛子内親王 だけで、その他…
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日本史の「陰謀」31 血筋制覇は子作りから

以前にも取り上げたことがありますが、今回もまた江戸幕府代11代将軍・ 徳川家斉(1773-1841年)のお話です。 この将軍、幕政を人任せで自分は大奥に入り浸っていたことから「俗物将軍」 とか、さらには精力増強のためオットセイの陰茎を粉末にしたものを好んで 飲んでいたことから「オットセイ将軍」とも呼ばれた、いささかユニークな …
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日本史の「誤算」14 神剣盗難事件その後

「えぇまあ、拙宅の庭みたいなものですねぇ」   筆者が他人様にこう吹聴するのは筆者の生息地域にある熱田神宮のことです。 実際にそこまで歩くならそこそこの時間はかかりますが、距離的に近いことを デフォルメした言い回しをしているわけです。 さて、その熱田神宮の境内の一角、とは言っても参拝用のメインストリート からは少し外れた場…
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日本史の「微妙」17 日本三大仇討ちのモヤモヤ

筆者の生息エリアにある熱田神宮には、現在でも「信長塀」が遺されており、 その案内板にはこう記されています。 ~信長塀/永禄三年(一五六〇) 織田信長が桶狭間出陣の際、当神宮に  願文を奏し大勝したので、そのお礼として奉納した塀である。  土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねている。  三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と…
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