日本史の「列伝」15 頑迷者の花火とチョンマゲ

いわゆる幕末期に外様大名・薩摩藩を掌握していた人物が前藩主・
島津斉彬(1809-1858年)の異母弟に当たる島津久光(1817-1887年)でした。 
しかし、藩主ではありません。

前藩主・斉彬は、この久光の長男・忠義(1840-1897年)※を養子に迎え、
遺命を以て後継藩主としたのです。   ※藩主在任中は茂久(もちひさ)
ですから久光は藩主の父、言葉にすれば「国父」という立場で藩の実権を
握りました。

肩書がモノを言う公式の場ではともかく、藩内においては藩主自身より、
その父である「国父」の方により大きな権威を認めました。
最高の徳目を「(親孝行)」とする朱子学では、親は子より偉いということ
になるからです。


 shimadu_hisamitsu_01.jpg 薩摩藩「国父」・島津久光

江戸幕府が始まって以来、武士の公式学問とされてきたのが朱子学でした。
ですから当然のこと、この久光自身も朱子学の徒ということになります。
それどころか、「祖法大事」や「攘夷貫徹」の姿勢を頑迷に守り通す頑迷一直線の
朱子学原理主義者?と言った方が適切なのかもしれません。

当時、薩摩藩士であった西郷隆盛(1828-1877年)や大久保利通
(1830-1878年)などは、こうした国父の下に置かれ仕えていました。
つまり、新しい時代を模索しようとする藩士の上には、祖法大事の国父が
いるという構図になっていたわけです。
そうであれば、その言動思想の面での対立は避けられるものではありません。

目端の利く大久保なぞは、国父の好きな以後の腕を磨くことで接触する機会
を増やすなど、あれこれの才覚も働かせました。
国父の懐に飛び込む目論見があってのことです。
しかし、一本気の西郷にはそうした器用さはありません。 
そのために、相当な辛酸を舐めるハメに陥っています。

この時期最大の政治テーマになっていたのが公武合体
その調整役を買って出ようとした久光が、西郷の意向を確かめるべく、
左遷先から召喚したことがありました。

こうした場合、普通ならお愛想の一つも並べるのが生活の知恵?なのでしょう
が、ところが西郷はそんなことにはお構いなしでこう直言したのです。
~失礼ながら、殿(久光)は田舎者ゆえ、その役目は荷が重い~
久光が頭にくるのは当然です。

そういう類の確執があれこれ重なっていったのでしょう。
徳之島への遠島を申し渡した西郷が、家老たちの計らいによって間借りもどき
に一応は建物内で寝起きしていることを知った久光は、改めて沖永良部島への
遠島を申し渡しました。
それに留まらず、さらにはこう厳命もしたのです。
~牢込めにし、決して開けてはならぬ~

久光の命によって西郷を処刑したりすれば、それこそ
~前藩主・斉彬様に比べたら、国父(弟久光)様は肝ッ玉が小さいのぅ~
という見方になり、そうした評判が藩内ばかりでなく世間も広がっていく
ことは火を見るより明らかです。

しかし、罪人・西郷が遠島先で死んだのであれば、受刑中の死ということで
久光に責任が及ぶものではありません。 
ですから、この命を下した時の久光には、本気で西郷を殺すつもりが
あったとも考えられないわけではありません。

さて、孝を大切にするということは、すなわち「祖法大事」ということに
なります。
何事も御先祖様がやってきた生活態度やルールを正しかったとしなければ、
御先祖様を批判することになってしまうからです。
言葉を換えれば、進歩・発展・改良などは悪であり、あくまでも「伝統的」
(守旧)」の生き方が正しいということになります。

つまり、西郷や大久保たちが取り組もうとしている日本改造?は、ガチガチの
朱子学原理主義者?である久光に到底受け入れられるものではなかったという
ことです。
何らの改変を加えない昔ながらの在り方こそが、久光にとっては人間としての
正しい道だからです。


 haihan_chikennno_mikotonori.jpg shimadu_tadayoshi_01.jpg
   廃藩置県の詔 /  薩摩藩主・島津忠義

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そうした双方の考え方のズレが、藩という限られた範囲に収まっている頃は
ともかくも、明治新政府が胎動し始めると、西郷・大久保に対する久光の
影響力が次第に小さくなっていくのは仕方ありません。
西郷も大久保も、久光の下にある薩摩藩士ということではなく、日本政府の
人間、天皇の臣下という立場で動くようになっていたからです。

その西郷や大久保らが主導するかたちで断行した「廃藩置県」(1871年)に
対して反発を示した藩も、実は少なからずありました。 
ほとんど騙し討ちのような唐突さがあって、十分な合意もなされていなかった
からです。
むろん久光も烈火のごときの怒りを見せました。

確かに新しい藩知事こそ旧藩主であった忠義が収まったというものの、
近代的集権国家体制となったことで、それまでの「島津家の薩摩藩」では
なくなったのです。
久光の大嫌いな大変革に問答無用で見舞われたのですから、腹の虫が
治まらなかったのも無理はありません。

今風に言えば「プッツン」してしまったのということです。
その「廃藩置県」に対する抗議の意を、プッツン久光はこんな突拍子もない
方法で示しました。 ~自邸の庭で一晩中花火を打ち上げさせた~

抗議行動というものは、現代でも世界中に見ることができますが、そのために
花火を打ち上げた人物はあまり見聞きしたことはありません。 
その意味では、久光は現代人にも非常にユニークな印象を残している人物と
評することもできそうです。

さらに、久光の朱子学原理主義者?ぶりは、こんなところにも表れています。
「散髪脱刀令」(1871年)です。 
その趣旨はこう謳われました。 ~散髪脱刀勝手たるべし~
要するに、~髪型は自由にしてよいゾ~ 
同時に~華族・士族が刀を差さなくても構わないゾ~ということです。

しかしながら、それまでのライフスタイルを根底から揺さぶるようなお触れ
ですから、そうそうスムーズに運ぶものではありません。
どんな時代でも、人間にやはり「慣れたことが一番安心」だからです。

とんと真新しいことは一応は周りを見回して、その様子を窺った上で対応を
考えることが人間の知恵です。 この「散髪令」もその通りでした。
そこで、おそらくは率先垂範の意味からでしょう。
明治天皇(1852-1912年)が自らが散髪に及び、これをキッカケとして
以降には官吏を中心に散髪するものが増えていったようです。

しかし、久光が散髪することはありませんでした。
なにしろ、朱子学原理主義者?ですから、こう考えます。
~散髪なぞの新しいことに手を出すのは祖法に背く悪事であり、
 何事も昔通りが正しいのダ~


ですから、久光は、死ぬ明治20(1887)年まで丁髷(チョンマゲ)頭を改める
ことはありませんでした。 
要するに、生涯を頑迷にチョンマゲ頭のままで通したことになります。
それどころか、子の忠義に対してもこう言い残したようです。
~えぇか。忠義よ、チョンマゲ頭とは、つまり祖法なのであるゾ~

父親からそのように言われれば、子である忠義もそれを無視することは
できません。
なにしろ朱子学的では、親の言い付けを守らぬようなヤツは人間失格です
からねぇ。

久光が亡くなった2年後(1889年)に大日本帝国憲法が公布されました。
この日の島津忠義は洋装でありながら、頭はチョンマゲのままでした。
どうやら、忠義もまた生涯をチョンマゲ頭で通したようですから、少なくとも、
親不幸ということにはなりませんでした。

また、意外に思われる向きも少なくないようですが、この島津久光・忠義親子は
両人ともに国葬に遇されています。
さらには、忠義は現上皇(明仁)の曽祖父、今上天皇(徳仁)の高祖父に
当たる人物なのです。 整理のためにちょっと系図も。

島津久光→→→○島津忠義→→→○俔子(ちかこ/久邇宮邦彦王妃)
(島津千百子)(山崎寿満子) (久邇宮邦彦王)

→→→○香淳皇后→→→○現上皇(明仁)→→→○今上天皇(徳仁)
   (昭和天皇) (美智子上皇后)   (雅子皇后)




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