日本史の「例外」05 皇位継承の現代事情
第126代天皇・徳仁は昨年の令和元(2019)年5月1日に即位され、本年
令和2(2020)年11月8日には皇位継承順位第1位である弟・文仁親王が
「立皇嗣の礼」を迎えられました。
基本的に皇嗣は皇太子(在位中の天皇の皇男子)がなるため、従来は
「立太子の礼」が行われてきましたが、天皇徳仁の御子は愛子内親王
だけで、その他に男子親王はいません。
そのため、弟殿下が皇嗣(皇太子ではない)に迎えられたことで、その名称
も「立皇嗣の礼」とされたものです。
立皇嗣の礼(2020・11・08)
その皇位継承順位は「皇室典範」に定められています。
典範(1889年制定)は戦前にもありましたが、現在は日本国憲法下での
新典範(1947年制定)が用いられています。
その皇位継承順位とは以下の通り。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
第1条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
第2条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫
(以下、<第2項・第3項>及び<第3条>は省略)
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
ですから、現在は皇室典範「第2条の六 皇兄弟及びその子孫」に基づき、
弟殿下・文仁が皇位継承順位1位ということになります。
しかし、上記にある継承順序の一から五までを素っ飛ばして、やっと六に該当
することからしても、想定外とまでは言わないものの、「男系男子の継承」には
かなり苦労している印象はうかがえるところです。
さらには、この皇室典範にはこんな縛りもあるようです。
○養子の禁止
○非嫡出子を皇族としない
こうしたがんじがらめの制約の中で、将来的にも「男系男子の継承」の大原則
を遵守し続けようとしているのですから、その継続に危機感が芽生えたとしても
不思議ではありません。
そうしたこともあって、昨今では「皇位継承問題」という言葉もよく使われる
ようになりました。
しかし、振り返ってみるならば、我が国の歴史が一点の曇りもなく
「男系男子の継承/万世一系」を貫いてきたかと言えば、実は必ずしも
そうでもなかったことに気が付きます。
伝説に属する時代の天皇は別として、現在の天皇家まで皇統が繫がっている
ことが確実視されているのは第26代・継体天皇(在位:507?-531年)ですが、
この継体天皇から今上天皇(徳仁)までが1500年余、代にして101代。
その間には「男系男子の継承」を実現できなかった時期も実際にはあり、
その折には以下のように10代8人の女性天皇が立てられました。
(在位期間) /男系の系統
第 33代 推古天皇(592-628年) 父/ 29代・欽明天皇
★第 35代 皇極天皇(642-645年) 祖父/ 30代・敏達天皇
★第 37代 斉明天皇(655-661年) 祖父/ 30代・敏達天皇
第 41代 持統天皇(690-697年) 父/ 38代・天智天皇
第 43代 元明天皇(707-715年) 父/ 38代・天智天皇
第 44代 元正天皇(715-724年) 祖父/ 40代・天武天皇
☆第 46代 孝謙天皇(749-758年) 父/ 45代・聖武天皇
☆第 48代 称徳天皇(764-770年) 父/ 45代・聖武天皇
第109代 明正天皇(1629-1643年) 父/108代・後水尾天皇
第117代 後桜町天皇(1762-1770年) 父/115代・桜町天皇
★/☆は重祚(同一人物の再登板)を示す。

第122代・明治天皇 / 第123代・大正天皇
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つまり、継体天皇以降の101代のうち約1/10の10代は女性天皇だったわけで、
「皇統に属する男系の男子がこれを継承する」という原則からすれば、メッチャ
多いとまでは言えないにしても、例外ということにしてばっさり切り捨てて
しまえるほどには少なくない気もするところです。
そういう背景があるのなら、次の第127代天皇に今上天皇(徳仁)の内親王愛子を
迎えることもさほど暴挙とは思えません。
しかし、ここを衝かれるとちょっと困るのも事実です。
~上記10代8人の女性天皇に時代には「皇室典範」なんてなかったゾ~
なるほどその通りで、上記のうちでは最後の女性天皇である第117代・
後桜町天皇でさえ、現在から見れば250年ほどの前の方ですから、要するに
この皇室典範には無縁な存在でした。
ということは、現在時点で天皇愛子を誕生させることは「男系男子の継承」と
いう現皇室典範の決め事を踏み外した法律違反の企てということになって
しまいます。 これは困ったゾイ、だったら、どうすればいいの?
これまでの歴史伝統をさっぱり無視してしまうこともできません。
さりとて法治国家を自負する手前、うっかり法律違反を犯してしまうことも
できません。
要するに、どのような方法をとれば伝統と典範の擦り合わせが成り立つかと
いう問題になってくるわけです。
大きなテーマですから、その解答が難しいのは当然です。
しかし、純粋に「伝統と典範の擦り合わせ」という点に的を絞れば、努力の
余地がないわけでもない気もします。
このように妙に自信なさげの表現を用いるのは、実はこの意見が「不敬」と
捉えられることを心配しているからにほかなりません。
ということで、もしアナタが「不敬」に敏感な方であるなら、記事を読むのは
ここで止めておいてください。
以下には不愉快を感じる内容が含まれているかもしれませんからね。
さて、このように一応の予防線を張った上で「伝統と典範の擦り合わせ」に
ついて述べます。
ここでいう典範とは、取りも直さず「男系男子の継承」の一点に尽き、そして
伝統としては、この点を指摘することができそうです。
~歴代天皇は皇后の他にも「妻」を持つ一夫多妻制を原則としていた~
民族の伝統を重視する立場に立つなら、こうした慣例?を避けて通るのは
いささか卑怯臭い印象になりますから、認めるべきという結論になります。
早い話が、比較的近い時代に限っても、例えば現上皇・明仁の祖父に当たる
第123代・大正天皇(1879-1936年)も、そのまた父である
第122代・明治天皇(1852-1912年)も、~父は天皇であるが母は皇后ではない~
という生い立ちをされています。
要するに、天皇の「妻」を皇后一人に限ってしまうことを、皇室は昔の昔から
「男系男子の継承」には大きなリスクだと捉えていたフシがあるということ
になります。
それは当然なことで、皇后の存在が即「男子誕生」を保証することにはならない
からです。
なぜなら、皇后が妊娠したとしても、それで男子誕生が約束されるわけでは
ありません。
女子ということだって半分の確率であるわけですし、ひょっとしたらそこまで
いかないケースだってあり得ます。
否でも応でも、このことは生物的な要件に大きく左右もされるからです。
~複数妻の存在は、確かに皇室の伝統に則したものかもしれないけれど、
21世紀の現代の時流からしたらメッチャ女性蔑視の考え方じゃんかッ!~
おそらくは、こんな意見も登場することでしょう。
えぇ、現代は性に拘る見方・捉え方は「正しくない」とされ、ジェンダー
ニュートラル(性的中立性)の考えに基づくことこそが正しいと受け止め
られているからです。
たとえばJAL(日本航空)が、機内や空港アナウンスでつい最近まで
ごくごく普通に使っていた英語の敬称、「レディース&ジェントルマン」
(Ladies and Gentlemen)を廃止し、新たに「エブリワン」(Everyone)や
「オール・パッセンジャーズ」(All Passengers)などに切り替えている
こともそうした意味合いからなのでしょう。
話を本筋に戻しますと、さて、そういうことであるなら、
~皇室典範が謳う「男系男子の継承」の伝統を優先するのであれば、
「天皇多妻婚」の復活を!~という意見も挙がるでしょうし、逆に、
~「天皇多妻婚」が時代的感覚に不都合ということなら「男系男子の継承」を
謳う皇室典範の見直しを!~という考え方が登場するのも自然です。
いずれにせよ、「皇位継承」問題はいま伝統意識と現代感覚のせめぎ合いの
はざまにあるということなのかも。
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令和2(2020)年11月8日には皇位継承順位第1位である弟・文仁親王が
「立皇嗣の礼」を迎えられました。
基本的に皇嗣は皇太子(在位中の天皇の皇男子)がなるため、従来は
「立太子の礼」が行われてきましたが、天皇徳仁の御子は愛子内親王
だけで、その他に男子親王はいません。
そのため、弟殿下が皇嗣(皇太子ではない)に迎えられたことで、その名称
も「立皇嗣の礼」とされたものです。

その皇位継承順位は「皇室典範」に定められています。
典範(1889年制定)は戦前にもありましたが、現在は日本国憲法下での
新典範(1947年制定)が用いられています。
その皇位継承順位とは以下の通り。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
第1条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
第2条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫
(以下、<第2項・第3項>及び<第3条>は省略)
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
ですから、現在は皇室典範「第2条の六 皇兄弟及びその子孫」に基づき、
弟殿下・文仁が皇位継承順位1位ということになります。
しかし、上記にある継承順序の一から五までを素っ飛ばして、やっと六に該当
することからしても、想定外とまでは言わないものの、「男系男子の継承」には
かなり苦労している印象はうかがえるところです。
さらには、この皇室典範にはこんな縛りもあるようです。
○養子の禁止
○非嫡出子を皇族としない
こうしたがんじがらめの制約の中で、将来的にも「男系男子の継承」の大原則
を遵守し続けようとしているのですから、その継続に危機感が芽生えたとしても
不思議ではありません。
そうしたこともあって、昨今では「皇位継承問題」という言葉もよく使われる
ようになりました。
しかし、振り返ってみるならば、我が国の歴史が一点の曇りもなく
「男系男子の継承/万世一系」を貫いてきたかと言えば、実は必ずしも
そうでもなかったことに気が付きます。
伝説に属する時代の天皇は別として、現在の天皇家まで皇統が繫がっている
ことが確実視されているのは第26代・継体天皇(在位:507?-531年)ですが、
この継体天皇から今上天皇(徳仁)までが1500年余、代にして101代。
その間には「男系男子の継承」を実現できなかった時期も実際にはあり、
その折には以下のように10代8人の女性天皇が立てられました。
(在位期間) /男系の系統
第 33代 推古天皇(592-628年) 父/ 29代・欽明天皇
★第 35代 皇極天皇(642-645年) 祖父/ 30代・敏達天皇
★第 37代 斉明天皇(655-661年) 祖父/ 30代・敏達天皇
第 41代 持統天皇(690-697年) 父/ 38代・天智天皇
第 43代 元明天皇(707-715年) 父/ 38代・天智天皇
第 44代 元正天皇(715-724年) 祖父/ 40代・天武天皇
☆第 46代 孝謙天皇(749-758年) 父/ 45代・聖武天皇
☆第 48代 称徳天皇(764-770年) 父/ 45代・聖武天皇
第109代 明正天皇(1629-1643年) 父/108代・後水尾天皇
第117代 後桜町天皇(1762-1770年) 父/115代・桜町天皇
★/☆は重祚(同一人物の再登板)を示す。


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「皇統に属する男系の男子がこれを継承する」という原則からすれば、メッチャ
多いとまでは言えないにしても、例外ということにしてばっさり切り捨てて
しまえるほどには少なくない気もするところです。
そういう背景があるのなら、次の第127代天皇に今上天皇(徳仁)の内親王愛子を
迎えることもさほど暴挙とは思えません。
しかし、ここを衝かれるとちょっと困るのも事実です。
~上記10代8人の女性天皇に時代には「皇室典範」なんてなかったゾ~
なるほどその通りで、上記のうちでは最後の女性天皇である第117代・
後桜町天皇でさえ、現在から見れば250年ほどの前の方ですから、要するに
この皇室典範には無縁な存在でした。
ということは、現在時点で天皇愛子を誕生させることは「男系男子の継承」と
いう現皇室典範の決め事を踏み外した法律違反の企てということになって
しまいます。 これは困ったゾイ、だったら、どうすればいいの?
これまでの歴史伝統をさっぱり無視してしまうこともできません。
さりとて法治国家を自負する手前、うっかり法律違反を犯してしまうことも
できません。
要するに、どのような方法をとれば伝統と典範の擦り合わせが成り立つかと
いう問題になってくるわけです。
大きなテーマですから、その解答が難しいのは当然です。
しかし、純粋に「伝統と典範の擦り合わせ」という点に的を絞れば、努力の
余地がないわけでもない気もします。
このように妙に自信なさげの表現を用いるのは、実はこの意見が「不敬」と
捉えられることを心配しているからにほかなりません。
ということで、もしアナタが「不敬」に敏感な方であるなら、記事を読むのは
ここで止めておいてください。
以下には不愉快を感じる内容が含まれているかもしれませんからね。
さて、このように一応の予防線を張った上で「伝統と典範の擦り合わせ」に
ついて述べます。
ここでいう典範とは、取りも直さず「男系男子の継承」の一点に尽き、そして
伝統としては、この点を指摘することができそうです。
~歴代天皇は皇后の他にも「妻」を持つ一夫多妻制を原則としていた~
民族の伝統を重視する立場に立つなら、こうした慣例?を避けて通るのは
いささか卑怯臭い印象になりますから、認めるべきという結論になります。
早い話が、比較的近い時代に限っても、例えば現上皇・明仁の祖父に当たる
第123代・大正天皇(1879-1936年)も、そのまた父である
第122代・明治天皇(1852-1912年)も、~父は天皇であるが母は皇后ではない~
という生い立ちをされています。
要するに、天皇の「妻」を皇后一人に限ってしまうことを、皇室は昔の昔から
「男系男子の継承」には大きなリスクだと捉えていたフシがあるということ
になります。
それは当然なことで、皇后の存在が即「男子誕生」を保証することにはならない
からです。
なぜなら、皇后が妊娠したとしても、それで男子誕生が約束されるわけでは
ありません。
女子ということだって半分の確率であるわけですし、ひょっとしたらそこまで
いかないケースだってあり得ます。
否でも応でも、このことは生物的な要件に大きく左右もされるからです。
~複数妻の存在は、確かに皇室の伝統に則したものかもしれないけれど、
21世紀の現代の時流からしたらメッチャ女性蔑視の考え方じゃんかッ!~
おそらくは、こんな意見も登場することでしょう。
えぇ、現代は性に拘る見方・捉え方は「正しくない」とされ、ジェンダー
ニュートラル(性的中立性)の考えに基づくことこそが正しいと受け止め
られているからです。
たとえばJAL(日本航空)が、機内や空港アナウンスでつい最近まで
ごくごく普通に使っていた英語の敬称、「レディース&ジェントルマン」
(Ladies and Gentlemen)を廃止し、新たに「エブリワン」(Everyone)や
「オール・パッセンジャーズ」(All Passengers)などに切り替えている
こともそうした意味合いからなのでしょう。
話を本筋に戻しますと、さて、そういうことであるなら、
~皇室典範が謳う「男系男子の継承」の伝統を優先するのであれば、
「天皇多妻婚」の復活を!~という意見も挙がるでしょうし、逆に、
~「天皇多妻婚」が時代的感覚に不都合ということなら「男系男子の継承」を
謳う皇室典範の見直しを!~という考え方が登場するのも自然です。
いずれにせよ、「皇位継承」問題はいま伝統意識と現代感覚のせめぎ合いの
はざまにあるということなのかも。
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680 日本史の「陰謀」31 血筋制覇は子作りから 野望の成就と意外な最期
679 日本史の「誤算」14 神剣盗難事件その後 神剣の保管担当は熱田神宮
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