日本史の「誤算」14 神剣盗難事件その後

「えぇまあ、拙宅の庭みたいなものですねぇ」  
筆者が他人様にこう吹聴するのは筆者の生息地域にある熱田神宮のことです。
実際にそこまで歩くならそこそこの時間はかかりますが、距離的に近いことを
デフォルメした言い回しをしているわけです。

さて、その熱田神宮の境内の一角、とは言っても参拝用のメインストリート
からは少し外れた場所なので気付く人も少ないかもしれませんが、門構えと
信長塀がセットなった構造物が遺されています。
そこに立って少し見上げてみると、案内板はこんな説明になっています。


 kusanagi_tsurugi_01.jpg  草薙剣(日本武尊)

清雪門(せいせつもん)/本宮の北門と伝えられ俗に不開門(あかずのもん)
 といって堅く閉ざされている  天智天皇七年(六六八)故あって皇居に
 留まられた神剣が朱鳥元年(六八六)再び当神宮に納められた折 二度と
 御動座なきよう門を閉ざしたという故事による~


この説明を素直に受け止めれば、こういうことになりそうです。
~熱田神宮の御神体である神剣(天叢雲剣/草薙剣)は、第38代・天智天皇
 (626-672年)の御代に「故あって」一時期皇居へ移転され、その後
 18年ほど経って再び戻された~


なにやらややこしいことをやっているし、「故あって」というぼかした表現も
気になります。
それに、ちょいと深追いしてみると元号「朱鳥」の方もこんな説明になって
いますから、これもやや気になるところです。

~元号「朱鳥」は「しゅちょう」または「すちょう/あかみとり」とも読み、
 686年(天武天皇15)7月20日、元号が朱鳥と定められたことで、
 32年ぶりの元号使用となった~

ひょっとしたらこのことも、「故あって」と無関係ではないのかもしれません。

そこでまず、そうした「故あって」の「故」、つまり、なんで「皇居へ動座」
したのか、その事情を探ってみることにしました。
ところが聞いて驚け、なんと「草薙剣盗難事件」(668年)という出来事が
あったとされているではありませんか。 

なにぃ、「三種神器」(八咫鏡/草薙剣/八尺瓊勾玉)の一つである神剣が
盗まれたってか! 
そこで、この一大事をもう少しヒツコク追ってみると、
~僧・道行(どうぎょう)が熱田神宮から草薙剣を盗み新羅に持ち帰ろうとした~

ところがギッチョン!
盗み出したものの、その後の運びは僧・道行の思惑外れとなり、
~一度目は神剣が自ら神宮に戻って失敗。 二度目は船が難破して失敗、
 神剣は日本側に回収され、その後、宮中で保管されていた~


「神剣が自ら神宮に戻った」との説明はいまいちリアル感に乏しいので、
まるまる信じることはできませんが、要するに「故あって」というのは、
話の前後からしても、この「草薙剣盗難事件」を言っていることに
なりそうです。

そして「神剣の宮中保管」を決定したのは、おそらくは時のトップである
第40代・天武天皇(生年不明-686年)なのでしょう。
神器の扱いを決定する権限は天武天皇以外にはなかったと思われるからです。

ということは、天武天皇はこう考えたのでしょう。
~一度ならず二度までも神器の盗難を許している、どうにも脇が甘い
 熱田神宮に保管を任せておくことは 余りにもリスクが大きい~

「二度あることは三度ある」なんて言葉もありますから、当然の用心とは
言えそうです。


 atsuta_jinguu_seisetsumon_02.jpg tennou_tenmu_62.jpg
  「清雪門」熱田神宮 / 第40代・天武天皇 

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ところが、このさらに後のことについて、Wikipediaはこう説明しているのです。
~朱鳥元年(686年)6月、天武天皇が病に倒れる。 病気の原因は
「宮中に神剣を置いたままにし、熱田に戻さない為の神剣の祟り」と判明した。
 陰陽師により御祓を行い、あるいは恩赦や仏教による功徳に期待して
 病の回復を祈るが、それでも神剣の祟りが解けなかったという。
 草薙剣は熱田神宮に戻されたが、天皇は9月に崩御した~


考えてみれば、なんとも大胆な説明ではありませんか。
だって、皇室の正統たる帝の証しとされている三種神器であるにも拘わらず、
その神器・草薙剣を最も身近な場所である宮中に保管したから天皇に祟る
なんて、いったいぜんたい何を言っているの?
言語明瞭意味不明瞭ってこういう時に使う言葉かもしれません。

「宮中に神剣を置いたままにし、熱田に戻さない為の神剣の祟り」
清雪門の案内板はこう説明していますが、では神剣を熱田に戻さないことが、
なぜ天皇に祟りすることになるのか?
この方向から思案してみるなら別の解釈もできそうです。

~神器(草薙剣)そのものが、天武を正当な天皇とは認めてはいない~
ために祟りがあったことになり、事実、天武天皇にはそうした歴史的な
胡散臭さ?も指摘されるところです。

その一例を挙げるなら、たとえば、
○実在が認められる歴代天皇で天武だけが「生年不明」とされている。
○「日本書紀」によれば、天智と天武は同父母の兄弟とされているが、
 これを疑問視(兄弟ではないのでは?)する向きも少なくない。

さらには、
○兄?天智の娘四人までが弟?天武に嫁いでいる。
 (これは弟?天武に対し、兄?天智が人質を差しだした姿とも解せる)
○歴史学では、この時期の天皇の血筋を「天智系」と「天武系」に分けて
 見ている。

これだけではないゾ。
○天武以後称徳女帝までの八代七人の天皇、つまり「天武系天皇」の全員が、
 皇室の菩提寺である「泉湧寺」にその位牌が収められていない。
 (天武系天皇は仲間外れの扱いになっている)
○天武の病気の原因が神剣の祟りとされ、そのことがまた公にされている。
 (天武の血統に神器が祟りをなしても、周囲の人々はさほどの違和感を
  覚えなかったということか?)

ですから天武天皇は、いささか憚られる表現ですが、分かりやすく言うなら
なにかしらの胡散臭さを備えた天皇ということになりましょうか。
何しろ、神器である神剣が祟りをなして、天武の身近に置くことができず
結局元の熱田神宮へ戻さざるを得なかったのですから、やはりそのように
考えざるを得ません。

~朱鳥元年(六八六)再び当神宮に納められた折 二度と御動座なきよう
 門を閉ざしたという故事による~

ですから、この清雪門に掲げられた説明は、神剣が熱田神宮以外へ御動座する
ことは、天皇家にとっても災いの元だとクギを刺していることになるかも
しれません。

うっかり忘れていましたが、もう一つ。
天武天皇の時代を挟んで、この時期の元号もメッチャ不可解な運びになって
いるのです。
簡単に言うと、それまで中断されていた元号が32年ぶりに復活し「朱鳥」
されたその年に天武天皇が崩御。 

ですから、元号「朱鳥」の期間は、分かりやすく西暦で表すこうなります。
~686年8月14日から686年10月1日までの約一ケ月半~
なんちゅう短さなの。
そして、天武天皇の崩御(すなわち686年10月1日)後、その理由はよく
わかりませんが、また15年間ほど新たな元号が定められることはありません
でした。

しかしまぁ、降って湧いたような「神剣の祟り」にせよ、はたまた唐突な
「元号復活そして消滅」にせよ、そのどちらもが天武天皇という人物の
胡散臭さ、強引性を暗示しているようで、ちょっと面白い。

えぇ、筆者の中ではなんとなくアメリカ合衆国・トランプ大統領のイメージ
が重なっているのです。




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