日本史の「微妙」17 日本三大仇討ちのモヤモヤ

筆者の生息エリアにある熱田神宮には、現在でも「信長塀」が遺されており、
その案内板にはこう記されています。
~信長塀/永禄三年(一五六〇) 織田信長が桶狭間出陣の際、当神宮に
 願文を奏し大勝したので、そのお礼として奉納した塀である。
 土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねている。
 三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並び日本三大土塀の一つとして
 名高い。~


へぇ、土塀にも日本三大があったのか。 いまさらながらの意外感。 
そこで、確認の意味でWikipediaの「日本三大一覧」の項に立ち寄ってみると、
確かに「その他・建造物」の欄に「三大土塀」があり、上記案内板にあった
通りに三つの土塀がピックアップされていました。


 nobunagahei_01.jpg 信長塀(熱田神宮)

ところが、そこに「歴史・風刺」欄を見つけ、さらに「江戸時代」という
区分まで進んでみると、「三大仇討ち」という項目があったのです。
立ち寄ってみると、これには次の三つが紹介されていました。
忠臣蔵(赤穂浪士の討ち入り)
伊賀越えの仇討ち(荒木 又右衛門又の仇討ち)/鍵屋の辻の決闘
曾我兄弟の仇討ち

へぇえ、仇討ちにも「三大」があるのかと感心しながら、ついでのことに、
時代順にその様子を追ってみると、
曾我兄弟の仇討ち(1193年)/建久4年5月28日
 源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我(十郎)祐成曾我(五郎)時致
 兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。
 (ちなみに、この兄弟の名は兄が十郎で弟が五郎)

鍵屋の辻の決闘(1634年)/寛永11年11月7日
 渡辺数馬(1608-1643年)と義兄・荒木又右衛門(1599-1638年)が
 数馬の弟・源大夫の仇である河合又五郎を伊賀国上野の「鍵屋の辻」で
 討った事件。 伊賀越の仇討ちとも言う。
 (剣術が未熟な数馬が剣の立つ姉婿・荒木又右衛門に助太刀を依頼)

元禄赤穂事件・吉良邸討ち入り(1703年)/元禄15年12月14日
 江戸城・松之大廊下で、高家の吉良上野介義央に斬りつけたとして、
 播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩が切腹に処せられた一年余後、家臣であった
 大石内蔵助良雄以下47人が吉良邸に討ち入り、吉良央らを討った事件。
 (ちなみに「忠臣蔵」とは芝居・演劇など創作分野におけるタイトルであり、
  歴史事件としては「元禄赤穂事件」との用語になるとのこと)

そこで、念のために「仇討ち」そのものの意味を再確認してみることにすると、
江戸時代にはこんな決まり?があったようです
~父母や兄など目上の親族が殺害された場合に認められる~
言葉を補足するなら、こういうことになります。
~妻子や弟妹(年下の親族)が殺された場合は基本的に仇討ちは認められない~

であるなら、「曾我兄弟の仇討ち」は江戸時代よりグンと古い時代なので除外
するとしても「鍵屋の辻の決闘」は仇討ちとは認められないのではないか。
なぜなら、渡辺数馬が討ったのは「弟」の敵だからです。

ところがギッチョン、こんな説明も登場してきたのです。
~兄・数馬が弟・源太夫の敵を討つことは本来なら出来ないはずだが、
 この事件の場合は、藩主や又五郎の仲間の旗本たちを巻き込んだ大騒動に
 発展し、ついには岡山藩主池田忠雄が「又五郎を討て!」と遺言したことで、
 公式に「仇討ち」が認められた~


ですから、ホンマモンの「仇討ち」とするにはいささか微妙な部分があって
「藩主の遺言」まで飛び出すことがなかったなら、あくまでも「私的復讐」の
位置づけにされていたのかもしれません。


 kagiyanotsuji_kettou_01.jpg akouroushi_52.jpg
鍵屋の辻の決闘/吉良邸討ち入り 

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しかし、この「三大仇討ち」には、なお何かしらの違和感が付きまとって
仕方がありません。
そこで、つらつら冷静になって眺め直してみると、ひょいと気が付いたことが
あります。 「元禄赤穂事件・吉良邸討ち入り」です。

吉良上野介を死に追いやったことからして、普通には、赤穂浪士が亡き主君・
浅野内匠頭の「仇討ち」を果たしたとの受け止めになっています。
しかし、ちょっと待て!  「仇討ち」ルールはこうなっていたはずです。
~父母や兄など目上の親族が殺害された場合に認められる~

赤穂浪士にとって、浅野内匠頭は「主君」であって、決して「目上の親族」と
いうことではありません。 しかも、
~吉良上野介は、もともと浅野内匠頭の「仇討ち」の対象ではない~
この事実も指摘できそうです。

考えてみれば当然なことで、事件の経緯を吟味(裁判)したのは政府(幕府)
であり、その権限により死刑判決(切腹)を申し渡したものです。
だったら、浅野内匠頭に死を与えたのは、吉良上野介その人ではなく、
幕府そのものということになるはずです。

事実、赤穂浪士による「吉良邸討ち入り」については、当時でも問題にされた
ようです。
幕府内で浪士の処分の検討に際しては、儒学者たちの多くから、その義を称え
助命する意見が出されました。
儒教には「義」を徳の高い行為として重視するポリシーがあるからです。

しかし、幕府の政治アドバイザー?荻生徂徠(1666~1728年)は、それに
反対する意見を持ち出しました。
~そもそも浅野内匠頭の切腹は殿中で吉良に斬りかかるという法を犯した
 結果であり、家臣が再び吉良を襲ったのは法として許されないッ~


儒学者たちが言う「仇討ち」ではなく「犯罪行為」だと主張したわけです。
要するに、赤穂藩士が判決を決定した幕府あるいはその吟味関係者に討ち入った
のであれば、「仇討ち」となるかもしれないが、その立場とは無関係だった
吉良上野介を襲うのはまったくの筋違いで、とてもじゃないが、その行動を
「仇討ち」とは呼ぶことはできないという理屈です。

ところが「仇討ちではない」どころか、実際には「三大仇討ち」に数えられて
いるのですから、これにはどこかにトリックがあることになりそうです。
そこで、そこらあたり右往左往していると、「仇討ち」についてはこんな
定義?もあることに気が付きました。
~主君・親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすこと~

ゲゲッ、先の「親兄弟など目上の親族」ばかりでなく、ここには「主君」が
バッチリ謳われているではありませんか。
これなら「三大仇討ち」に数えられていても、なんらの不思議もありません。

で、「主君の仇」を果たした例が過去にどのくらいあったのか探ってみた
のです。 すると、こんな答えにぶつかりました。
~主君の仇を討ったのは「吉良邸討ち入り」が初めてである~
言葉を換えれば、この「吉良邸討ち入り」があったことで、初めて
「主君の仇討ち」という概念が確立したということになるのでしょう。

先の「鍵屋の辻の決闘」にしても、この「吉良邸討ち入り」にしても、
何やら追加公認?めいた印象の「三大仇討ち」のようにも感じられます。
そこで最も古参?の「曾我兄弟の仇討ち」にも立ち返ってみると、これにも
微妙な印象がないわけではありません。

表向きは「曾我兄弟の仇討ち」にはなっているものの、その実態は「源頼朝
暗殺未遂事件」
ではなかったのか、とする見解も実際にはあるからです。
えぇ、そうした騒ぎがあったことは事実です。

ですから、本懐を遂げた「父親の仇・工藤祐経を討った」事件だけは恣意的に
公表したものの、未遂に終わった「源頼朝暗殺」の方にはフタをしたとする
見方もあるということです。

もはやしっかり定着したはずの「三大仇討ち」に対して、いまさらああじゃ
こうじゃと疑問を挟むのも筆者としてもいささか心苦しいので閑話休題。
こうした作業の中で見つけたこぼれ話を御紹介しておきます。

縁起の良い初夢として挙げられる「一富士 二鷹 三茄子」(いちふじ にたか
さんなすび)
は、この「三大仇討ち」から出たとする説もあるようです。 
で、そのココロは?

○一富士(曾我兄弟の仇討ち) /富士裾野の巻狩りの際にそれに乗じて仇討ち
 ○二鷹(赤穂浪士の討ち入り)/赤穂藩浅野家の家紋は「丸に違い鷹の羽」
○三茄子(伊賀越えの仇討ち) /伊賀国は茄子の産地として知られていた

もっとも、時期の特定まではいかないものの、こうした言葉は江戸時代初期
には既に広く流布していたとする向きもあるようです。

江戸時代初期とは、一般的には開府された1603年から1700年頃までとされて
いますから、これも、ちょっと「微妙」な印象にはなりますが、ひょっと
したら、この「吉良邸討ち入り」(1703年)が「二鷹」という言葉を誕生
させたということになるのかもしれません。




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