日本史の「忘れ物」29 身分に関する二三の用語

昔の人にとっては、至極“当たり前田の”常識だったのに、現代人にとっては
イマイチ理解が及ばないというものも、実際には数多くあります。
人間社会の変化が歴史そのものであるという一面もありますから、ある意味では
止むを得ないことなのでしょうが、例えば「身分」なんて概念もそうしたものの
一つなのかもしれません。

明治以前つまり江戸時代には、そうした「身分制度」という概念が「一応は」
ありました。
「一応は」と断ったのは、必ずしも厳格ではなかった様子も窺えるからですが、
「士農工商」という用語もそれに当たるのでしょう。


 shinoukousyo_mibun_01.jpg 左から)商/工/農/士/

~もともとは中国古代に人民を4種に分けた名称~
これが元祖「士農工商」ですが、ところが江戸幕府はこれを日本流の
身分秩序ににアレンジしました。
早い話が、オリジナルの概念とは大きく異なった日本独自の「お約束」を
設けたことになります。

その身分序列について、朱子学思想を最重視した江戸幕府は概ねのところ
こんな設計図を描いていたようです。
/ともあれ武士には特権を付与し、身分最高位とする。
   本来は科挙で選抜された士大夫(官僚)の「士」だが、それには目を
   瞑って日本では武士の「士」としておこう。
/人間が生存するために不可欠な食料を生産するのだから、
   農民がその次のクラス。

/さらにその次には、生活に必要な技術を備えた者たち。
/生産活動にたずさわっていないのだから商人は最下位。
ただし実際には工と商はひとくくりで「町人」と呼ばれていました。

さらに言うなら、この中国オリジナル版「士農工商」には登場していませんが、
日本版にはこの下にも「穢多/非人」が存在し、こちらは非差別階層として
扱われました。
江戸幕府が消滅した後、そうした身分制度は明治新政府の手によって見直し
が進められました。
そうしたことによって、やっとのこと、身分をこえた婚姻や職業・居住の
自由などが認められるようになったのです。

しかし、そうしたことは、当然ながら現代人が享受しているレベルにまで
一気に達したわけではありません。
旧来の「士農工商」は廃止とし、「四民平等」を謳ったものの、新たに
「華族/士族/平民」の身分が設定されたからです。
被差別階層についても「新民/新平民」などの呼称を用いることで実質的な
差別扱いは続きました。

つまり、それまでの「士農工商」が「華士平」なっただけの印象で、その意味
では「四民平等」という表現はいささか大袈裟だった印章です。
その意味では、確かに完璧さに欠ける「四民平等」ではありましたが、さて
問題は、新たに設定された、その身分「華族/士族/平民」です。

このうちの「士族/平民」については何となくイメージできそうです。
いわゆる「士農工商」あるいは「士農町」を整理分類し直したものでしょう。
ところが、問題は「華族」です。 

なにせ「士農工商」の時には姿を現していないのですから、その説明には
ちょいと困ってしまう方も少なくないことでしょう。
えぇ、「華族」についての丁寧な説明ができますか、と突いているわけです。

筆者などは、もともとそうしたレベルには遠く届いていませんから、早速の
こと調べてみると、一応はこんな説明になっていました。
~1869年の版籍奉還により公卿・諸侯の身分を廃し併せて華族と称して
 士族の上に置いた~
 なるほどねぇ。 
「士農工商」の時代にはなかった、それこそ文明開化の新たな身分階層という
感じでしょうか。

その中身については、こんな説明です。
~華族令(1884年)によって公・侯・伯・子・男の5等の爵位に分けられ、
 貴族院議員の選挙・被選挙権を与えられた~

うわっ、華族だの貴族だのって、これまた妙にややこしい。


 iwakura_tomomi_51.jpg kugyou_01.jpg
 公家・岩倉具視/公卿 

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半分ウンザリ気分でしたが、気を取り直して、その「貴族」について深入り
していくと、
~家柄・身分の高い人。 代々、血統・門地により、社会的特権をもつ階級。
 日本では古くは藤原一族や公卿の家柄などがこれに相当し、明治維新後は
 華族令による華族をさしたが、第二次大戦後消滅した~

なんだ、日本の場合なら華族と貴族とは基本的に同じのようだ。

ところが、この説明の中に「公卿」なる言葉も出ているではないか。
よく登場する「公家」と、ここにある「公卿」とは字面がよく似ているけど
同じなの? それとも違うの?
昔の人には常識だったのでしょうが、こうした言葉のイチイチが筆者には
よく分かりません。 えぇ、なにせ現代っ子ですからねぇ。

そこでまた、その「公家」を探り直してみると、
~もともとは天皇と朝廷を意味する言葉であったが、転じて朝廷の官吏の
 意味となった。 とりわけ武家政権成立後は、武家、武家衆に対しては
 朝臣一般を公家、公家衆と呼んだ~


そんなら、もう一方の「公卿」はどうなるのか?
~平安後期武士や寺社の勢力が強大になると、朝廷(おおやけ)の政治を
 担当する身分つまり朝臣が公家と呼ばれるようになり、なかでもその
 最高の地位たる大臣、納言、参議を公卿といった~

つまり、公家の最高ランクにあるのが公卿ってことなのか、あぁややこしい。

こうした複雑なお話を少しでも分かりやすくするために、ここで実在した人物
である幕末の政治家・岩倉具視(1825-1883年)に登場願うことにします。
えぇ、幕末期には、薩摩・大久保利通(1830-1878年)らとともに
「王政復古」を画策し、新政権樹立後には政府洋食を歴任し「廃藩置県」
断行した人物です。

この方についての人物紹介は、大抵は最初の部分でこのくらいの案内がされて
います。 ~幕末・明治の公卿・政治家であり、爵位は公爵~
筆者の身近に爵位を持った方がおられませんので、ついウッカリしていました
が、落ち着いて眺めてみると、公爵/侯爵/伯爵/子爵/男爵の5等ある爵位の
うちの最高ランクということです。

そう言えば。公卿についての先の説明の中には「朝臣」という言葉も混じり
込んでいました。
これも、その字面そのものにはちょいちょい登場しているものの、意味合いに
ついてはかなりアバウトなので、ここでもまた手間を。

~朝臣(あそん/あそみ)とは、古代の姓(かばね)の一つであり、
 もともとは天皇・皇子から分かれて臣下になった「皇族氏族」の有力者に
 与えられたが、のちには有力氏族がこれを称し、やがては単に身分を表わす
 言葉となり、特別の由緒ある氏以外は、すべて朝臣を称するようになった~


こうした説明に沿うなら、「身分」を表す用語も時代とともに変化を見せ
結構流動的だったと言えるのかもしれません。
ということは、江戸時代の「士農工商」が、明治時代には「四民平等」の思想の
下に「華族/士族/平民」と分類されるようになり、さらにはその垣根、つまり
「身分階層」というものすらなくなっていった経緯は、歴史の流れにバッチリ
沿っていたと言える気がします。

そこで念のために、現代日本における「身分」というものを再確認しておくと、
~日本では、憲法第14条が法の下の平等を規定しており、皇族(一部除く)を
 例外として、国民の間には世襲的な特権階級は存在しない~


つまり、国民を、やれ華族だ、貴族だ、遺族だ、裸族だなどと、わざわざ
仕訳して扱うことはしないと憲法は保障しているわけです。
ただし、ひょっとしたら、「暴走族」についてはその限りではないのかも
しれませんが。




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