日本史の「大雑把」06 三英傑のキリシタン対応

スペインの宣教師フランシスコ・ザビエル(1506-1552年)がキリスト教の
布教を目的として、日本(鹿児島)に上陸したのは1549年のことでした。
以後、滞在2年余のうちに平戸、山口、京都などで活動を続け500人以上に
洗礼を授けたとされています。

この頃は日本各地で戦が多発し、後に「戦国時代」と呼ばれることになる
時期でしたから、キリスト教の布教活動もまたそうした世情と無関係では
ありませんでした。

というより、宣教師たちによる布教活動は「戦国の三英傑」の多大なる影響の
下にあったといえます。
何せ、当時の「日本の首領」の立場にあったのが「三英傑」ですからそれは
無理もありません。


 3eiketsu_70.jpg
 <戦国の三英傑>織田信長/豊臣秀吉/徳川家康

今更ですが、その「戦国の三英傑」を紹介しておきます。
織田信長(1534-1582年/尾張国) 他を圧倒し実質的天下人に。
豊臣秀吉(1537-1598年/尾張国) 関白として政治実権を掌握。
徳川家康(1543-1616年/三河国) 幕府を開設し将軍として君臨。

ということは、ザビエルが日本に滞在した時期は、まだ三英傑全員がせいぜい
高校生から小学生ほどの年齢ということになりますから、直接に言葉を交わす
機会はなかったと思われます。
つまり、三英傑に対したのはザビエル以後に来日した宣教師ということです。

ついでと言っては何ですが、話の流れで「キリシタン」という言葉にも触れて
おきましょう。 このような説明になっています。
~ザビエルによって伝えられたカトリックの教え、およびその信者の総称~

なるほどと思いながら、チラっと横目を走らせるとこんな補足も。
~天主教ともいう。 最初は天竺宗、南蛮宗、バテレン(伴天連) 宗など
 とも呼ばれたが、のちポルトガル語によりキリシタンと呼ばれ、「吉利支丹」
 と書いた~

こうした説明からは、これを当時の日本人が「異国に生まれた未知なる宗教」
であることを強く意識してことが感じとれます。

もう一つ留意していきたいのは、この「宣教師」という名称です。
素直に解釈するなら、に宣教師とは確かに布教活動に精進する存在には違い
ないのですが、スペイン・ポルトガルという国家意識から眺めれば外交官的
活動も盛んに行っていましたし、さらに経済活動の面では国際貿易ビジネス
マンもどきの働きも担っていました。

もちろん、日本という国についての実情調査も兼ねていますから、現代風なら
ある意味「スパイ」もどきの任務も分担していたと言ってもよさそうです。
つまり、「宣教師」にせよ「キリシタン」にせよ、これらを信仰の面のみで
受け止めるのでは、いささか実態にそぐわないのかも・・・ということです。

そこで、そうしたことに対する三英傑の対応を以下に並べてみました。
「そのようにも見えなくはない」という程度の筆者的なメッチャ大雑把な
印象を述べたものですから、細かな部分にあまり目くじらを立てないように
お願いしておきます。

長幼の順にご登場を願えば、まずは織田信長です。
キリシタンに対する信長の対応には割合穏やかなものがありました。
それは、信長がキリシタンというものに好意を抱いたというよりは、むしろ、
鉄砲製造などの最新ハイテク技術を保有する「異国」という存在に好奇心を
示したことが理由だと見るべきかもしれません。

鉄砲という最新技術に対する反応もそうなら、宣教師から献上された黒人奴隷
に「弥助」と命名し家臣に取り立てるなどの行動が、信長のそうした好奇心の
昂りを如実に物語っています。
地球儀に対しても大きな好奇心を示したそうで、宣教師の説明に対しては、
「イチイチ理にかなっとるがやぁ」との感想を漏らしたとされています。

こうした信長と同様の対応が当初の秀吉には見られました。
ところが、1587年には早くもキリスト教を禁じバテレン追放を発令するなどの
行動を取り、そうした姿は次第に消滅していきました。
自らの思い通りの施政に取り組もうとするなら、「キリスト教」は何かと
鬱陶しい存在になってきていると判断したものでしょう。


 san_felipe_ship_01.jpg dejima_sakoku_51.jpg
 (スペイン船)サン・フェリペ号 / (長崎)出島

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さらには、こんな経緯も演じられています。 それは秀吉晩年の1596年のこと、
メキシコに向け航行中だったスペインの大船「サン・フェリッペ号」が、
暴風に遭遇し土佐の浦戸に漂着するという出来事が起きたのです。

日本側は船荷をちゃっかり没収し乗組員を拘留しましたが、その中に日本側の
取り調べ態度が頭にカチンときてしまった者がいたようです。
~世界の果てのド田舎国の野蛮人が、世界に冠たる国家の民である我々に
 対して、何ちゅう偉そぶった口の利き方をするのかッ!~


そこで、このド田舎者たちに一泡吹かせてやれと思ったのかもしれません。
取り調べ者の目の前に世界地図を示して、こんな説明をしたとされています。
~我々の国・スペインも本国だけならアンタたちの国・日本と同様に
 ちっぽけだ。 しかし、この地図からもよく分かる通り、我が国は世界中に
 広大な国土を有しておるのだ~


その言葉に対する日本側の反応が思いのほか鈍かったのか、さらに説明を
重ねました。
~なぜならばダ、我がスペイン国王はまず宣教師を海外に遣わし布教事業と
 ともに、さらには征服事業を進めるからじゃ~


この取り調べに対する報告にビックリこいた秀吉は、
~なんだぁ日本征服だとぉ、そんなヤツらの野望は潰さなイカンがやッ!~
興奮すると、ついついオクニの尾張言葉になろうというものです。
その手始めが、京・大阪などで捕えた信者を長崎に送り、翌(1597)年に
処刑したいわゆる二十六聖人の殉教でした。

逮捕された一行は再三の改宗強要に屈することもなく、極寒の季節の中を
陸路海路で約1ヶ月に渡る死への行進をさせられた末に、磔刑になったもの
ですが、その状況は筆者などなら瞬間改宗の応じてしまうに違いないほどに
凄惨を極めたものでした。

あまりのことですから、ここではそれに触れません。
要するに、日本側からすれば宣教師やキリシタンはもはや「危険分子」の
存在になったということです。

秀吉の後を受けた家康も、自らが仏教徒という立場もあって初めから
キリシタン宗門を嫌悪する気分を持っていたようです。
しかし、対外交易を盛んに行いたいとする願望もあったのでしょう、
キリシタンの布教に対しては「黙認」する格好をとっていました。

ところが、コトは家康の目論見通りに運ばず、宣教師の渡来が増加する
ばかりで、交易の方はとんとパッとするところがありません。
ここに至って、幕府の名でキリシタン宗門を禁じ(1612年)、次いで
「キリシタン禁教令」(1614年)によって、国内の宣教師を国外追放としました。

カソリックが、布教国の征服を目指すなど過激な思想に染まっている事実を
憂慮した幕府はカソリックに批判的なプロテスタントの国・オランダに目を
付けました。
~交易はするけど布教は御法度~という条件です。

必ずしも有利とはいえないこうした条件をオランダが吞んだのには、
それなりの事情がありました。
オランダ独立(1596年)を獲得したばかりであり、さらにはアジア進出の
ためのオランダ東インド会社が設立(1602年)された直後の時期でしたから、
それなりの実績を上げる必要もあったのでしょう。

しかし、キリシタンに対する国内の迫害・弾圧は衰える様子を見せません
でした。
家康死後も幕府は踏絵(ふみえ)や宗門改(しゅうもんあらため)の制度を設け、
さらにはキリシタンの密告を奨励する高札まで掲げることまでしました。
密告奨励なんて、まるで現代のどこかの国のようなお話ですが、なんてことは
ない、その昔は日本もやっていたのですねえ。

キリシタンに対するそうした国民感情は使った漢字にも表れています。
当初は「吉利支丹」ほどの表記だったものが、「切死丹/鬼理死丹」など
マイナスイメージを与える文字でも書かれるようになっていったのです。
ですから、こうしたことを捉えて、江戸期の日本はキリスト教を徹底的に
弾圧した、つまり国家ぐるみで「宗教弾圧」を働いていたと見る向きも
ないではありません。

しかし、それはやはり一方的な見方というべきでしょう。
なぜなら、キリシタンの親玉であるローマ教皇は、これよりずっと以前
(1494年)にポルトガルとスペインに対し、キリスト教を布教することと
引き換えに、世界をその二国で分割支配する許可(デマルカシオン)
与えていたからです。

~カソリックが世界征服をすることが神の祝福をもたらす~という理屈です。
そうしたう背景を考慮に入れるなら「キリシタン弾圧」というよりは、日本側に
よる「祖国防衛」の行動だったと言えるのかも。




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